鶏が炎上して、クリスマスの御馳走に。
いやいや、そうではありません。
確か先月?も聞いたような気がするのですが、今朝のニュースで高級外車Fが炎上した、と言っていました。
これ、先月の時も思ったのですが、なぜFとかPとか、高級外車が炎上すると、敢えてその名前を出すのか?
なんだか、マスコミの悪意を感じたりなんかする私なのです。
車が炎上した、でいいじゃん。
Fという車は、よく炎上する、というイメージが、少なくとも私にはあります。ww
それに走ってて炎上するって、点検とかどうしていたのかなと、そっちも気になりました。
私なんて、コロナ給付金で買った電チャリの電池を盗まれないかとっても不安に思うのと、走ってて転ばないように気を付けているだけです。
そういえばこの秋は、こたろうとサイクリングに行けなかったな。
昔は運転が好きで、田舎にいた頃は、遠くまで行って父を心配させていましたが、今ではそんなもんです。
話が変わって、そうだ、京都行こう!でいって観た若冲と応挙の筆の跡が忘れられず、そうだ、にわとりを描こう!とやっとスケッチブックを開いて描いてみました。
最近は背景をどうするか迷うことが多かったですが、鳥を描き始めた頃は、背景に悩むどころか描く気もなかった。
池を泳ぐカモさえ、水面が難しいので宙に浮いたカモの親子を描いていた。
鳥と花、それが私のスタイルだったのですが、ちょっと思うところがあって、その路線から離れていました。
そのことは、そのうちまた聞いてください。
思えば、インスタに絵を投稿して、人の作品もたくさん見るようになって、人の目を気にするようになっちゃってたんだよね。
私は私、趣味で描いているし、描きたいものを想うようにドンと描けばいいのだ、と初心に戻って描いてみました。
これは足元の切れた写真をもとに描いたので、草に隠しました。
写真を見て描くというのはそういうことなんです。
足だけ別の画像を見て組み合わせようかとも思ったのですが、結局隠しました。
やはり、本物を観察してスケッチしないと、何時まで経っても絵の中の鳥です。
絵にかいた餅という言葉もありますが。
また、実物をありのままに描けるのは素晴らしいけど、私が目指すのはそうじゃないなあって、若冲を見て改めて思った。
思わず写真かと思うような作品は素晴らしいし、技も相当名ものだと感心しますが。
墨だけで、少しの線で描かれた鶏にも命が見える彼の絵に、つくづく感銘を受けた。
言葉にするのも難しいけど。
私の描きたいのは、いのちなんだ。
平面だけ見て描く私の絵に、命が吹き込まれるのはさて、いつのことでしょう。
そのためにも、どんどん外に出て、本物の命を五感で感じなければ。
と、旅に出る口実を作るわけです、はい。
今回、ただ美術展だけを観に行った旅は大正解だったと思う。
ちょっと遠かったけどね。
今日の名言
あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない。
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
自分探しの旅ともいうけど、言ってることは同じかな。
長くなって申し訳ない。
ご訪問頂きありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫