おかげさまで、今年1月1日にリセットしたブログの投稿数、今日で100個目を達成。
つまり、今年に入ってから今日で100日、毎日更新してきたという事になります。
おかげさまです。
しんどい日もありましたが、今年も100日生きさせていただきました。
ありがたいことです。
昨日は毎年恒例、こたろうくんの狂犬病ワクチンを受けに行きました。
30分ほどの道のり、行きは散歩がてらこたろうくんも歩きました。
去年の接種の時は、お尻に打って、目がまん丸になり、キュ~~ンと鳴いて、受けた後も腰が抜けたようになったのですが、
今年は、こっちの方が痛くないかも、と首の後ろに接種してもらい、あっという間に終了。
うんともきゅんとも言いませんでした。
女の先生だったのですが、こたろうの事をかわいいかわいいと何度も言ってくださって、外に行ってもみんなにかわいいっていわれるでしょう?とか、やっぱりこたろうくんは、第三者が見てもかわいいんだなあと思った。(笑)
ワクチン打った日は激しい運動はしないで、ということで、気温も高かったっし、帰りはドッグスリングに入れて抱っこして帰宅。
私が汗びっしょり。
夕方から元気の出るこたろうくんは、ご飯の後も何度もボールを持ってきて、顔を見あげて遊んでアピール。
今日は暴れたらダメなんだよ、ごめんね、お熱が出たらいけないから遊べないよ、というと
オネツという言葉に何故か反応して、首をかしげてこの表情。
もしやオヤツと勘違いしたか?
ご褒美とはいうけど、オヤツなんて言葉を使った記憶はないのだが。
聞きなれない言葉に首をかしげる事もあるそうですしね。
これは、音をよく聞こうと耳を傾けている状態らしいです。
さてかわいい話の後なんですが、
今実家の父が危ないそうです。
一ヶ月前から状態が悪くなり、その時も飛んでいきたかったのですが、病院は「首都圏「から来る人は面会できない」というのだそう。
ワクチン打っても検査で陰性でも。
コロナなので面会は難しい事は承知しています。
これはもう仕方ない事だし、怒ってはいけないのでしょうが、なぜに「首都圏」と思うんです。
弟の聞き違いで、都市部、かな、とも思うのですが、どこを境に何を目安にそのような事を言われるのか。
確かに「県をまたいでの移動」などと言う言葉が以前にもありました。
有名人の方も、コロナで亡くなった身内に、火葬の終わった後で会えたとか、コロナじゃなくても、面会できなくて看取ってあげられなかったという話も多く聞きます。
居ても立っても居られない気持ちを抑え、実家にいる弟からの連絡を待っている状況です。
ただ、昨日は個室にいる父とビデオ通話ができました。
これは弟が個人的にアレンジしてくれたことで叶いました。個室だったからできた事とも思います。
父は目は見えませんが、耳は聞こえているようです。言葉は出ません。
そんな父が私の声を聞いて、何か音を発した時は驚きました。
私を認識して、何か伝えようとしているのが、わかりました。
マスクで目しか見えませんが、笑っているようにも見えました。
高校卒業して以来家を離れていた私は、おおむね20年ほどしか実家の家族と暮らしておらず、
年に何回かの帰省で、話すくらい。
父が施設に入ってから数年間、コロナ前で面会できる頃は、小一時間も父と昔の話や今の話をしました。
長居をして、介護士さんが椅子を持ってきてくださるほど。
幼い頃は、偏屈で怖い父が嫌いでした。車でどこかに連れて行ってもらう時だけ好きでした(笑)
中学時代は、私は部活と勉強に明け暮れ(また笑)高校の時も家から離れて下宿していたので、父と話をすることなどありませんでした。
その後、実家を出てから帰省するたび、交通の不便な実家から車で駅まで迎えに来てくれる父と、道中の車内で話をするようになって、はじめて父の事を知りました。
私は、父に似てるんだなと思ったのも、その頃でした。
私がお酒を飲めるようになってからは、母はそっちのけで父と話をして、お酒の飲めない母が仲間外れになり、不満を言うほどに。
そんな父と娘の関係でした。
昨日は、声も出せない父に「しゃんしゃんしんさいよ、一緒にエドヒガンを見に行こう」と言ったときに、父が短く声を発しました。
これには、隣にいた弟もおどろいていました。
想像でしかありませんが、アウトドア派で旅の好きだった父は、今年の桜も外の景色も見たかったんだと思います。
シャンシャンするというのは方言で、しっかりするとか、きびきびする?というような事です。
エドヒガンは、実家の方にある樹齢2~300年とも言われる有名な木です。
春の遅い田舎で、今が見ごろとなってきたようで、この週末ライトアップもされたとか。
私はそのエドヒガンが咲いているのを、これまで一度も見たことはありません。
家から歩いても15分くらいの、少し奥まった里山にあるのですが、18才で実家を離れた私は、思春期にわざわざ桜を見に行こうという感覚はなく、大人になってからはこの時期帰省することもありませんでしたから。
そしてこの数日、口から薬も食事も受け付けなかった父が、この後で、口から食事を受け付けたのだそうです。
しゃんしゃんしんさい、という私の喝!が効いたのだろうか、とも思いました。
そろそろ点滴も入らなくなるかもしれないような事も言われているそうですが、私にはその辺の細かいことは直接聞いていないのでわかりません。
弟は、仕事以外の時間はずっと父に寄り添ってくれているようです。
私はただ「待つ」しかないのです。
待つ、という事が、今回の場合どんな意味を持つのかと苦しみながら。
コロナで沢山の気づきをいただき、物事の見方を変える努力もしてきた私ですが、今ほどコロナを怨むことはありませんでした。
また、病院はともかく、田舎の人たちの「東京」など都会に対する気持ち。
弟は、私の事より、人目を気にしているようです。私とは違い、この先もそこで生きていく弟にとっては、そういう思いも致し方ないとはおもいます。
田舎にもいろんな人がいますが、こんな場合でも何を言われるかわからない。
コロナで人の種類が判明しました。まあ、もともとそんな人だとは思っていた、って感じです。
今から実家に戻って、人目につかないように待機するという選択肢もあるにはありますが、こたろうの事もあるし、どうしていいのかわかりません。
そんなこんなで、季節のせいも、もともとのせいもありますが、体調が悪い。
しゃんしゃんせんと人には言うが、いざという時に動けないと思うと、悪循環となっています。
そうは言っても、散歩もこたろうの世話もしていて、そう、世話をしているというより、こたろうに生かされて動かしてもらっているような日常です。
猫派だった私が犬派になったのは、今につながる縁だったんだろうな、とも思える。
猫だったら、散歩には行かないですからね。
そして、こたろうにとって、散歩は私に付き合ってくれてついていってやってる、みたいなものですから(笑)
具合の悪い時にはいかなくて済む。
ありがたい神のようなわんこなのであります。救世主、いや救世ワンこたろう。
人が生まれて最初の縁は、親。というか、縁があって親の元に命をいただきました。
親子にしても色々な関係がありますし、思う事もありますが、父の事でつくづく思うのは、もっとたくさん話をしておきたかったって事です。
父は旅が好きでアウトドア派でした。施設に入ってからも旅の話で盛り上がることもありました。
父は写真の仕事をしながらいつもラジオを聴いていたので、物知りでした。
施設に入ってからでも、へえ、そうなんだ、と思うような事を沢山教えてくれました。
私が来ると知ると、オリジナルのクイズみたいなものを作って、解かせようとすることもありました。
偏屈で人づきあいも下手な父でしたが、飲み友達を招いて語り合っている姿もよく覚えています。
後悔とか反省は、後になってしかできませんが、生きているうちに出来ることは、なるべくやっておく、伝えたいことは伝える、これまでより確実に残りの人生の方が短い私が、今つくづく思う事です。
逢いたい人にあっておくことができない今、私にできる事はなんだろう。
でも、父はまだ頑張ってくれそうです。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
100日連続投稿、万一途切れた時には何かあったと思ってください。
途切れない事を祈ってくだされば幸いです。
感謝をこめて
つる姫
誤字脱字変換ミスなどがあればお許しを。