娘やら、息子一家が来ていたので、更新が遅くなりました。
いつもの何倍もの人間が集まって、こたろうが大興奮。
最初はカオスでした。
もうすぐ8ヶ月になる孫、まだずりハイしかできないのですが、動きの速いこと。
こたろうくんがなめたがって困りました。
よく見たら、たまたまおそろいのお洋服。
四歳のお姉ちゃん、赤ちゃんの扱いにもすっかり慣れて、離乳食も食べさせてあげていました。
女の子ですから、母性本能的なものがあるのかな~と思ったけど、最近ではそういう言い方にすら躊躇します。
昭和の私的には、なんの悪意も偏見もないのですけれど、女の子は赤いランドセル、の時代は終わりました。
そういえば、女の子の色、みたいのってありましたよね。
あの頃から、そういう事に違和感を覚えている子もいたのでしょう。
ジェンダーとか、発達障害など色々な事が解明とかされて、多様性を云々。
本当の自分で生きぬくってことは、難しいのかもしれないけど、そもそも本当の自分はどれなのかな。
我慢する方が楽な事もあるし。
そういうことを考えないで生きているのが、本当の自分なんでしょう。
そんなこんなで慌ただしい二日間でした。
誰が来ても気を遣う私は、心身ともにぐったり疲れてしまいましたが、人の世話ができるうちが華なんだろうなあと思うようにしました。
何時から、こんなに気を遣う人になったのか。
ああそうだ、物心ついた時はすでにそうじゃった。自分というものがないんじゃろ。
それが私なんだから、仕方ない。
かと言って、そこまで自分を否定してはおらんのどすえ。
来客があれば増える洗濯物、布団干し。
いま元気だからできることをありがたいと思うようにしよう。
孫は来てよし帰って良し、全くもって大いに実感。
こたろうくん、赤ちゃん優先の状況にかなり戸惑って、私を赤ちゃんにとられるように感じていたかもしれません。
大丈夫、一番大切なのはこたろうくんだよ、とみんなが帰ってから伝えました。
わかっちゃいないと思うけど。
ということで、今日は身体がつかれておりますので、お昼寝に突入します。
夜まで寝てしまうかもしれませんねえ。
さて今週は、終戦記念日のための一枚。
鳳凰ではなくフェニックスのつもりです。
鳳凰には、永遠の命という概念はなく、フェニックスは何度も蘇るという永遠の命があるのだそう。
永遠の命という概念。
今の命は永遠ではないけど、魂というか命を生み出すエネルギーみたいなものは、永遠に消えることはないんじゃないかなあと思う。
ちなみに私は鳳凰でいいですハンソン。
くちばしを見れば猛禽的ですが、想像で描きました。
今日の言葉
子供たちに何を教えるかよりも、子供たちにどのように考えるかを教えることが重要だ
ドリス・メイダフィー
なかなかね、孫を見てても、子育てはほんと難しい。
押し付けになったり親の都合のいいように教えたりするもんです。
躾とそういうことは別物ですし。
子どもとは違い、孫の育ち方に責任はないのですが、一言モノ申したいことを我慢するのも大変。
私自身のものさしとか都合だったりする。そこまで考えると何も言えませんが、どうしても言わなきゃいけない事もあり、
こういう時、嫌われる勇気が必要だなあと思う。
匙加減が難しいですよね?
ね?
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫