吹き出す汗。タオル地のハンカチは二枚目です。特殊メイクもとけて行きますが、もうかまわんアラ還おばさん。今更ナンパされようなど。自爆
なだらかな坂道を上りつめ、4番目のお寺の方に曲がると今度は下り坂。
ラッキー!じゃない。帰りはまた上りか~っ。取りこし苦労のA型つる姫。
四番目は恵比寿様の清宝寺。
ああっ!階段じゃー!階段こわい。怪談よりも。
しぶしぶ階段を上り、恵比寿様とご対面。
あら?七福神様たちが揃ってる?今気が付いた、なう。
この時は、へとへとで、恵比須さんが沢山いるのかとしか思わなかったのに、いまさらラッキーじゃん。
ここで全部の七福神さんに会っておったという、今に知る幸運。
とりあえずこの時は、今日はもうおしまい!と思って、お寺の裏から出れば多分あまり上らないで駅の方に帰れるはず・・・と坂道、アッ
プダウンに関しての勘は鋭くなったつる姫。
案の定あまり上らないで駅にたどり着く事が出来ました♪
七福神さえ廻らなければ、この町で昭和的なお店でランチを、と思っていましたが、もう足が痛くてくたくた。自業自得ですが。
とりあえず、都心に近付こうと思い、お昼前でしたが来るときに思ったように、中野に向かう事にしました。
青梅駅の構内にも、映画の看板が沢山。
つるの慕情??いやいや、つのる慕情じゃった。
ホームの待合室もこんな感じ。
室合待?笑
さて、電車は都心へ向かい、たまたま特別快速に乗れたので、意外と早く中野に到着。
中野も私が住んでいた頃とは随分変わって、北口にはエスカレーターなんかできちゃってました。
中野サンプラザ。郷ひろみのコンサートを観に来たなあ~。ひろみ~~~っ!
確かここも取り壊される??ような話を聞いたような聞かないような。
バブルの頃に通っていた小さなスナックが閉店すると聞き、何年か前にその頃の友人と来た事がありましたが、この日は行ってみたい
ところがあったのです。
サンモール、ブローウエイを通り抜け、早稲田通りまで出ました。
行ってみようと思ったのは、バブルの時に住んでいたマンション。本を読んでいただいた方にはご記憶にあるかな?
刑務所通りにあった4階建てのマンションでしたが、その大まかな住所もマンションの名前もどうしても思い出せませんでした。
刑務所通りがわかれば、たどり着けると思い、何人かに道を聞きながら探しますが、なかなかわかる人がいません。
しかし、東京の人は意外と親切。わからないながらも、必死で考えてくれました。
最後の年配の男性に聞いて思い出した。ああ、そうだった~。「刑務所通り」というのは、昔の人しか知らないんだ。私の住んでた頃か
ら「平和公園通り」と名称が変わってたんだ。
そして、ファイナリー、めっけ!平和公園通り!
マンションは30年前は新築だったけど、今もあるのかなあ、と思った時、遠くに刑務所の塀らしきものが見えてきました。
その手前ふと、小さな路地に吸い込まれるように足が向きました。
あ!あった!
このマンションの名前のプレートを見た瞬間、ああこれだ!と記憶が甦りました。
外観、こんな色だったかな?白っぽかった気がするけど、外壁だけ塗り替えたのかな。。
でも、このマンション名の書かれたプレートは多分あの時のままだ。。。
コーポ 〇〇〇〇
万が一差し支えてはいけないので名前は伏せておきます。
裏に回り込んで見上げると、私の住んでいた部屋の外には沢山の洗濯物が干してありました。
今はどんな人が住んでいるんだろう。
マイケルと暮らした「夢のマンション」
あの頃のことが走馬灯のように頭を駆け巡りました。
西日の入るワンルーム。あの窓にはピンクのカーテンがかかってた。。
あまりうろついて不審者と思われても困ると思い、刑務所跡の方へ足を向けます。
あの頃たった一回だけ来て見上げた塀は
へえ~~。
いまではこんなにツタが絡まって、歳月の流れを感じました。
この隣には重機が入って工事が行われていて、きっとここも公園かマンションか何かになるのだろうな、と思いました。
劣化して崩れるのを懸念して、ネットが張られているのでしょうか。
30年経てばつる姫も劣化するよねえ。
いつもビールを買いに行った酒屋さんは無くなっていました(笑)
多分場所的にはこのコンビニになったのでは、と思いました。
あの時のお店のオジサンももうおじいさんだろうなあ。元気かなあ。
引き返し、もう一度マンションの下に。
怪しいものではありませんが、かなり怪しい行動ですな。
キャリーに入れたマイケルと、最後にこの階段を下りた日を想います。
この階段はその時は確かコンクリートそのままでした。
一日の終わりに、猫缶と瓶ビールの入ったレジ袋をぶら下げてこの階段を上ったんだ。
もう一度マンションを見上げた後、30年前の私が歩いて職場に向かったであろう道を歩いてみました。
そう、まさにちょうど30年前です。悩み多き29歳の私が歩いた道です。
近くに大きな公園があったのに、休みの日に行ったこともなかった。一体私はどうやって休日を過ごしていたのだろう。
まさか30年後こんな思いでこの道を歩くなんて。
すると前から来た、黒っぽい服を着て腰まである長い黒髪をなびかせた女性が、伏し目がちに私のすぐ右側を通り過ぎて行きました。
ほんのり甘い香水の香りがして、何故か郷愁を覚えました。
彼女が左手に持った模様のない白いレジ袋の中では、瓶ビールがカチャカチャ音を立てていました。
・・・・ああ、今のはPoisonの香りだ。
思わずふり返ると、そこにはただ風が吹いているだけでした。
爆
ま、この辺りは本を読んでくださった方には、何となくイメージしていただけるかと。
2016年夏の18切符の旅の最終章は、30年前の道を歩いて幕を閉じました。
さようなら、伏し目がちの長い黒髪のひと。。
さて、そろそろ白髪染めのオバサンは現実に戻ります。
時刻はすでに13時半を回っていますが、大崎まで帰ってから遅いランチにすることにしました。
何故なら、さっきの瓶ビールの音を聞いて、ビールが飲みたくなったから(爆)
途中で飲むと絶対だるくなると思って大崎まで我慢して、たまにランチしに行くパスタ屋さんで遅い昼ごはん。
。。。の前に。
プハッ!また一口飲んでから写真を写してしまった。
うま~い!ビールが美味しいのは元気な証拠じゃあ。
困ったなー。昼間からビールのオバサン復活の予感。
二年ぶり、復帰第一回目の2016年版つる姫の夏の18切符の旅の終わりにCheers!
ハンコもそろいましたから、お菓子もらえるかな?ラジオ体操じゃないってか。
因みにこの日は20000歩ほど歩いてました。
思いがけず七福神めぐりも再開出来た素晴らしい旅となりました。
この感動も病気があったからこそ、何倍にも感じられるのだと思います。
一昨日のブログに書きましたが、麻央さん以外にも、病気と闘っている人は沢山いらっしゃいます。
私の友人もその一人です。
病気になんかならない方がいいに決まってます。でもなったらそれを神様のギフトとして受け止めたい。
それは、苦しんでいる時にはきれいごとな言い方だと反感を持たれるとも思いますが、病気にならなければわからない事、得られない
ものは沢山あると思います。
周りにいる人の本性もわかります。本性とは言い方が悪いかも知れませんが、人間関係の断捨離が出来たようにも思えます。
つる姫はこうして元気になって、「病気になってよかった」って言葉にしますが、それが本当の本当の本当の本音かどうかは自分でも
わかりません。そう思うように努力しているだけかも知れない。
でも、すべての出来事に意味があると捉えるのは、間違いなく素晴らしい事だと思います。
そして、こういう事を言える自分は、まだ生かされているからです。
そう思える日が、いま病と闘っている皆さんにもきっと来ますように。来ます。来ますとも。
見れてないと思うけど、闘病中のMちゃん頑張ってね!ふたりで乾杯できる日を楽しみにしてるよ。
二人でしか分かり合えないことを沢山話したいです。
今日の言葉
命を生きるのが生物の仕事
健やかな時も病める時も、今日、今の命を生きる。
いつだってどんな状況だって、なりたい自分になるチャンスはあるんです。
ありがとう。素敵な一日になりますように。
感謝 合掌
つる姫