真冬なのに、亡くなったロッキー君のバラも咲いて、お祝いしてくれたのを思い出します。
さて、私たちは幼い頃から、元気に挨拶をしよう!みたいなことを教えられてきました。
よね?
何度か書きましたが、私は幼い頃、人一倍気が弱くて、大きな声が出せず、誤解を受けるような子供でした。
学校の登下校の時に、向こうから誰かが歩いて来ると、ものすごく緊張しました。
なにも考えずに「おはようございます!」「こんにちは!」と声を出せば済むものを、もし挨拶が聞こえなかったらどうしよう、もし挨拶をしても無視されたらどうしよう、と思うと、萎縮してしまい、結局シカトするような形で通りすぎてしまうような子供でした。
おとなしくて、気の弱い、自分に自信のない子供でした。
今でも変わってませんけども。
え?なにか?
そんな私が、いうのもアレですが、挨拶とか会釈は見知らぬ人との関わりの中でも、とても大切なものだと思うのです。
資質は変わっていませんが、年月を重ね、こんな私でも、挨拶位はキチンとできる大人になったつもりです。
この数ヶ月、知らない人ばかりの場所に越してきて、ゴミだしの時に近所の方に挨拶をしたり、お散歩の時にわんこと飼い主さんに挨拶することくらいですが、ずっともやもやしていることがあります。
それは、海岸沿いのサイクリングロードを、こたろうと歩いている時の事です。
サイクリングロードは、サイクリングのかた、お散歩のかた、ジョギングの方が使う公共の道です。
そこは、海岸沿いということもあり、せっかくの道路が半分以上砂に埋もれて、すれ違うのが難しい場所がたくさんあります。
私は、そのような狭い場所で前方から自転車やジョギングの方が走って来ると、必ず広い場所で待機するとかして、相手が行き過ぎるのを待つようにしています。
こたろうが危ないから、が1番の理由です。
小さなこたろうが踏まれたり轢かれたりしないように、また相手に対する配慮です。
しかし、すれ違うときに、会釈なり、ありがとうとか、言われたことはまずありません。
当然のように走り抜けて行きます。
その度に、ちょっとむかつく私は、心が狭いです。
そんなことなら、待ってあげなきゃいいのですが、こたろうが危ないのでそうもいかない。
すいません、とかありがとう、とか、言ってほしくてしていることではないのですが、私なら、お礼を言うなり、頭を下げて通りすぎるなりする人です。
気が弱くてもできます。
日本には、ありますよね、狭い道を傘をさしながらすれ違うときに、お互いがさしている傘を反対側に傾ける。
電車に人が座ろうとする時に、こぶし一つ分、でしたっけ、席を広くしてあげるやつ。
それに対して、ありがとうが示し合えるということ。
きっと、相手のみなさんは、そういう意識をもっておられないのだと思います。
だから、むかつく方が損です。
あるいは、皆さん、昔の私のように、気が弱くて挨拶が出来ないのかもしれません。
いつも言うように、もうちょっと、もう少し、他人に対する思いやりが増えれば、この世界はもう少しだけ、素敵になるように思えます。
でも、私のように思っている人がどれほどいるか、そして、こういう考えが本当に正しいのかどうか、最近はわからなくなりました。
世の中はそんなものだと、私ももう少し大人にならなくてはいけないのでしょう。
私は、自分のものさしでしか回りを計れない1番の自己中なのかも知れません。
とはいえ、気持ちのいい挨拶で今日も一日をはじめます。
今日も笑顔で過ごせますように
感謝をこめて
つる姫
追伸ですが、コメントをいただくのはとてもうれしいですし、励みになりますが。過去の記事にコメントをくださっても、気づきません。
最新の記事にその旨を書き込んでくださればチェックします。
私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。
最近の「フォト&エッセイ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事