☆つる姫の星の燈火☆

#338 独り善がり

毎朝モーツァルトもちょっと飽きてきて、今朝は久しぶりに仏教的なお話の番組の最後のほうだけみたのですが、

宮沢賢治さんの、よだかの星がテーマのお話でした。

これ、以前にも観て、さっそく宮沢賢治さんの本を借りに行った記憶もあります。

よだか、って本当に醜い鳥なんですよね。どうしてこんな風貌なのかと思うほど。

お話のあらすじは、よだかがその醜い姿のせいで、みんなからいじめられ、そればかりか、自分が虫を食べて生きていることに罪の意識を感じてしまう。

他の生き物の命を奪わないものになりたいという気持ちから、飛び続けて夜空の星になった、というようなお話です。

 

今の時代、いじめで命を絶つ、というような悲しい出来事が少なからずありますが、このお話になぞらえてみると、なぜにいじめられる方の心が美しいのか、って。

美しいというか、弱くて儚いのか。

 

宮沢賢治は熱心な仏教信仰をもって、小説を書いていたそうです。

番組でもその仏教的観点から解説をされていましたが、それでふと思ったことがあります。

仏教でもなんでも、信仰って結局自分の気持ちを丸め込むための手段だなって。

現実逃避だなって。

こんなようなことは以前にも思ってたし、くれぐれも決して信仰を否定したり愚弄したりする気持ちでありません。

 

人の心って、本当に弱くてあやふやなもの。

心もそうだけど、人それぞれ生い立ちから始まって、出来ることにも差があったり、運みたいなものがあったりして、

自信をもって生きられない人、いくら頑張っても報われない、世の中の理不尽に耐えられないって感じている人が、信仰によって、心を救われるってことはあると思う。

昔の話ですが、アパートに住んでいた時、隣人との関りを極力避けたかった私ですが、ある日顔を合わせてしまって、ちょいちょい話をするようになりました。

その方は牧師を目指す方で、何度か話をしているうち、教会に誘われたりすることもありましたが、しつこい勧誘とかではなかったです。

当時の私は野心も夢もあって、そんなようなことをお話しすることもあったのですが、どうしてそこまで頑張るのかっていうようなことを言われたことがありました。

どう答えたか忘れましたが、一つだけ、「私は自分を信じて頑張るだけです」みたいなことを言ったのを覚えていて、その時にその方が

「果たして、自分自身はどこまで信じられるのだろうか・・・」と空(くう)を見つめてつぶやかれました。

はあ・・・これぞ〈神を)信じる者は救われる、というキリスト教の考えなのだろうか。と思いました。

そして、その時の私は、そういう考えについていけず、信じて救われれば苦労はしないわ、と。

 

ただ、その方の言葉は、何年かに一度思い出す。

そして、齢を重ねてからは、そうだなあ、って感じる。

宗教には色々あるけど、そこには必ず手を合わせたり組んだりする対象がありますよね。

人の心があやふやであるからこそ、そんなような対象物が必要なのかなって思うことも。

自分自身を信じるよりも、何かに向かう方が実感がある。

それで、高い水晶玉を売りつけるような宗教はあかんです。

洗脳というものも恐ろしい。

大体、お金を出せば幸せになれるということがイミフ。

宗教で戦争が起こるのも、神様はそんな事望んでない。

神の名のもとに…テロもそう。

 

宗教を持つ持たないに関わらず、人は独りよがりで生きていいのかなって思うんです。

独りよがりって、悪い意味に使うことが多いけど、他人に押し付けなきゃいいんじゃないかなあって。

私も、病気して、88ヶ所巡りをして、弘法大師さまの教えを心の軸として支えられた時期がありました。

神や仏にでもすがりたい、そして独りよがりな解釈だったかもしれませんが、今もどこかでお大師様と出会うたび、心のずっと奥の方に何かを感じます。

ただ、常日頃般若心経を唱えるわけでもありませんし、都合のいい時だけ教えを思い出して暮らしています。

だからと言って、罰は当たらないかな。

 

またもや何が言いたいかわからないものになってしまいましたが、醜いよだかが、いじめられても優しい心を失わず、果ては他の命を奪って生きることを拒み、最後に美しい星となって今でも輝いているというお話、結局は「美しい」ものになる、という結末。

確かに世間では、美しい方が得をすることが多く、今や美容整形は珍しくないものになりました。

その人がそれで幸せになれるなら否定はしないけど、何のために生きているのか、自分自身は空っぽのスカスカになってしまうのでは、って思ってしまいます。

他人の価値観と自分の価値観、違って当たり前。そして、美しい人が幸せだとは限らない。

 

信仰を現実逃避というのは、言葉が違うかもしれないけど、ゴスペルもそもそもは、アフリカから連れてこられて奴隷となった人たちの、心のよりどころとして密かに口ずさんだ祈りの歌が起源。

その頃の奴隷たちは、生きて希望はない、苦しいばかり、死んだら天国に行けるということが、希望や慰めになってた。

そもそも、地獄ってのは、死んでから落ちるところじゃなくて、今の現実なのかもしれない。

奴隷の話、クンタキンテを思い出す年頃の私ですが、それを語ると日が暮れる。

 

独りよがりとタイトルしましたが、自分の気持ちの着地点があった方がいいって意味、ということで、

今日も面倒くさい話になっちゃいましたが、手術から2ヶ月過ぎたころからか、まずまず順調に日々を送っております。

ありがたいことです。

 

さらに、孫息子が、

立った!

自分でびっくりしてる?

 

今日の言葉

自立

 

人間がここから真に自立するまでの、長い事。

そして、ここまで来たのもまさに奇跡だなあって、感慨深い。

 

ご訪問いただきありがとうございます

感謝をこめて

つる姫


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

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