宇宙が開闢してから、138億年でしたか、当時の事はさすがによく覚えていませんが(爆)
私の脳みそでは、とてもとても想像のつかない世界であったことは事実でしょう。
当たり前に生きている今この時点も、大きな大きな流れの中のほんの一瞬の事。
でも、その当たり前の命が、まさに奇跡。
そして、すべての命は、その限られた一瞬の中で、必死で生きている。
幸か不幸か、神が私たち人間だけに与えてくれた、生きる道の選択や、夢や憧れを持つ事の出来る自由。
それがあるゆえに、私たちは、喜びも悲しみも苦悩も、同時に引き受けなければいけなかった。
他の命は、シンプルに命を生き、死を恐れることもないのでしょう。
シンプルが一番いいなあと思う、わたしにんげん。
はい、恥を忍んで再び帰って来た、かも知れない、つる姫は、相変わらず小難しい事を書いていますが、人間そう変わるものではありません。
62歳、人生の終盤。
どのように生きるか選ぶ事の出来る、にんげんの私は、大きな決断をし、行動に移しました。
しかし、ここに至ったのは、私一人の考えとか意志ではありません。
何か大きな力で導かれたように、本気で思います。
令和に入り、細かく書くと本が一冊出来上がるくらいの壮大なドラマがありました。
それはまさに、「他力」ですが、その流れに乗れたのは、常に向かうべき先を想う意識があったからです。
人生は思うようにばかりは行きませんが、夢や希望、なりたい自分を意識していれば、きっとその方向に行く流れに乗る事ができるのだと、つる姫は確信しました。
命はいつまで続くか、誰にもわからない。夢が途中で途切れることだってある。
だけど、夢に向かっている日々が大事なのです。
それは、術後に書いた、拙著の結びに書いた事。私は自分自身の言葉に後押しされたようにも思え、過去は、かけがえのない先生なのだろうな、とも改めて感じました。
どちらかというと、マイナス思考が強い私、あの時ああしていれば、こうしていれば、ああいう事さえなかったら、などと全く意味のない思考に翻弄される日々も、少なからずありました、いや、いまだにあります。
ばかじゃないかと思う程です。ハイ。
ただ、これまで生きてきたことすべてが、今この時に繋がっているのだ、という事は、間違いない事実。
そして、流れに翻弄されても、生かされた命を活かして生きなければ、命に対して申し訳ない。
そう思いつつ、ほとんど惰性で暮らし、だらだらと過ごした術後のこの四年間でした。
正直いまだに、体の事を気にしない日はないです。おびえて暮らす日々、と言っても過言ではありません。
そんな私がやってもうた、大きな決断。
つる姫、何をやらかしたのでしょうか。
一週間後、このブログを開設した記念日の25日の記事で、書ける限りのことをお話したいと思います。
ドタバタを挟んでやっと仕上げた一枚です。
今日も笑顔で過ごせますように。
感謝をこめて
帰ってくるかもしれないつる姫
(ブログ開設から2923日)