夏休み。
小学校の思い出は、ラジオ体操、離れて住むおばあちゃんのうちに泊まりに行ったこと、家族で花火大会に行ったこと、宿題、自由研究(当時は主に理科的な事を調べていたと思う)などなど。
山の田舎でもあり、当時は全国でも気温が30度になることなど滅多にあるものではなかったですが、それでも、朝の涼しいうちに宿題をやり、そこからは、お友達と山や川で遊んでいました。
山でも川でも、子どもだけでは危険なところも沢山あったはずですが、子どもたちが泳ぐ川は、近所の大人たちが、いつも見守ってくださっていたように記憶しています。当時は学校にプールなどなかったですし。
日常の中でも、親が折りに触れ、山や川、自然の中に在る危険性を教えてくれていたように思います。
自然の中で遊ぶことの大切さ、自然が教えてくれる沢山の事を受け取りながら育ったことは、とても幸せな事です。
周りに当たり前にあった、手つかずの自然の中で、真っ黒になって遊んだ夏休み。
学校の校庭で遊んでいる時に、向こうから夕立の雨が向かって来るのを見つけて、逃げ回ったことがありました。
夕立は馬の背を分けると言いますが、雨の軍団が迫ってくる光景は、今でも忘れられません。
夏休みは楽しいけど、新学期にお友達と会えるのも楽しみだった。
そう思えた子ども時代も、しあわせなものだったのですね。
昨日は広島の原爆の日でしたが、この日は確か登校日になっていて、生徒たちが黙とうを捧げたような記憶もあります。
広島市内からは遠い田舎でしたが、近隣にも被爆した方が住んでおられました。
やけどを負われた方もいましたが、怖くて目を背けてしまった幼い頃。
子どもが生まれてからは、子どもたちを連れて遊びに行ける田舎があったことを、とてもありがたく思いました。
また、写真業を営みながらも、山登りやドライブ旅行を趣味とする父のおかげで、私も子どもたちも、かけがえのない経験をさせてもらいました。
父は、沢山のオプションを用意して、孫が来るのをキリンになって待ってくれていました。
広島県で育っていながら、私が初めて広島の平和祈念公園を訪れたのは、息子が5歳になった夏休みでした。
資料館を出た時に、わずか5歳の息子の目が潤んでいたのを、忘れられません。
何を感じたのか、その時、私は息子に聞くことができませんでした。
2020年、コロナが拡大した夏に、アクリル絵の具で描いた絵です。
私の実家は山の谷間にあり、こんな広い景色はありませんが、大好きなおじいちゃんに虫かごと網を買ってもらって、目を輝かせていた息子の背中をイメージしました。
今にしてみると、これはウクライナカラーでしたね。
あのもくもく雲は、決して恐ろしい雲ではないのですが、いまさらながら考えさせられる自分の絵でした。
子どもたちのキラキラの目と未来を守りたいものです。
お子さんたちが事件や事故に遭われない様、今できる事で、楽しい夏休みの想い出が作れますよう。
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫