母の誕生日です。
今年はピンクのバラをネットで注文して、今日広島の実家にく予定です。
母は昭和9年の生まれで、今年80歳。
とてもそうは思えないほど若く見えますが、大変な苦労をした人です。
昭和9年と言えば芸能界に9年会というのがあり
先日亡くなったアナウンサーの山本文郎さんもそうですが
調べてみたら石原裕次郎さんも9年生まれだったのですね。
去年亡くなったお婆ちゃんは、19歳で母を産みました。
お婆ちゃんも戦後4人の子どもを育ててとても苦労した人ですが
母は嫁に来てから、父の育ての母親2人の最期のお世話をして(いろいろ事情があるのだ)
最後に自分の母親の世話をしてみとって、今はわがままな父の世話をして暮らしています。
今でこそ元気に人の世話をしていますが、私が小さい頃は体が悪くて
大変な時期もありました。
腎臓が下がる遊走腎という病気で、顔がパンパンにむくんで
あれはお母ちゃんじゃない~~とショックを受けたことを今でも覚えています。
最初に行った病院では手術するしかないと言われたらしいですが、手術はいやで
国立病院など何か所かの病院に行って、最終的には手術をせずに治す方向で治療をすることになった記憶があります。
その頃は痩せていた母。
少し太るように言われ、下がる腎臓を支えるようなコルセットをつけたり
重いものを持たない、なるべく横になる、などして
結局その病気で差し支えるような事はなくなりました。
私と幼い弟を連れての病院回りは大変だったと思いますし
弟は落ち着かないし、私も待ち時間が長くて疲れてしまいとても嫌な思い出の一つなんですが
その記憶があるから、私は子どもたちにそう言う想いをさたくないという気持ちが強かったです。
そんな母も今でも元気いっぱいというほどではないですが、人のお世話ができるという事は
しあわせな事ではないかなと、常々言っていますが
言うのは簡単ですね。頭が下がります。
で、今日はピンクのバラで母が遠くで笑顔になってくれている事を祈っています。
母にとっては、お婆ちゃんが亡くなってから初めての誕生日となる訳ですが
お婆ちゃんから母へ母から私へ、そして私から娘へ。
つなげたくないものは私の所で止めておき
伝えて行きたいことは娘にしっかりと引き継がなくてはいけないな、と思いますが
悪いところばかり似るもので。
そんな母は以前、死んだ時は「愛の賛歌」で見送ってほしいなどという
情熱的な人です。
そう言うところは私とは似ていません。
私は千の風になって・・かな?
さて、沢山の童謡を作られたまどみちおさんが104歳で亡くなられたそうですね。
ご存命だったこと自体知りませんでしたが
ぞうさん、一年生になったら、不思議なポケット、やぎさんゆうびんなどは
私たちにも懐かしいものです。
ぞうさんに描かれる親子愛。
不思議なポケット、は私も欲しいなあとワクワクしたし
やぎさんゆうびんは、この後どうなるんだろうという期待と不安。
100歳を記念してそれまで作られた作品をまとめた本を出されたときに
戦争中に国民の戦闘意識を上げるために作ったという歌も敢えてのせて
あとがきでその責任をこどもたちに謝罪された、というような事を書いてありました。
作家にも色々ありますね。
さて、昨日の汗ばむ一日とは打って変わり今日はまた気温が低いようですが
職場で奥歯をかみしめてきます。
いつもご訪問ありがとうございます。
素敵な週末をお過ごしください。
感謝をこめて つる姫
ボストンで息子を産んだ時母が日本から来てくれました。
主人の会社の社長さんにお呼ばれした時の写真です。自宅ではありません 汗
今にして思うと、この時の母と今の私が同じ年位。
私が婆ちゃんになるのはいつの話だろうか、さてさて。。