贐。
特に、新たな世界へ旅立つ人の多いこの時期には、よく使われる言葉です。
釈迦に説法でしょうが、そもそもこの言葉、馬の鼻向け、が由来。
昔は今と違って旅行に危険は付き物で、永の別れになるかもしれないもので、遠方へ旅立つ人に向けて、道中の無事と安全を祈願するために、馬の鼻先を旅先の方向に向ける習慣が起こったのです。
このことから「馬の鼻向け」という言葉ができ、「はなむけ」へと転じていきました。「はなむけ」という言葉は、古くは『土佐日記』『伊勢物語』にも記されていることが認められています。
(引用)
1975年春、頬を赤く染め、夢に満ち溢れて東京に出てきました。
短大を卒業して、昨日書いた企業に就職しましたが、実は卒業間際まで就職先が決まりませんでした。
希望の会社にことごとくフラれ、絶望していた時に、友達が新聞の求人広告で見たこの会社を教えてくれたのがきっかけでした。
友達は早々に就職が決まっていたのですが、いつまでも私の事を気にかけてくれていたのです。
当時、都内でも、一二を争う大きな書店でしたが、どういう訳か新聞の小さいスペースで新卒の求人をしていたのです。
面接に行くと、就職の決まらなかった新卒の子たちが存外多くて不安でしたが、めでたく内定をいただきました。
友達が広告を見て、私の顔を思い浮かべてくれなければ、今の私はありません。
場所は覚えていませんが、新人研修の合宿があり、朝起きてランニング、一日中お辞儀の仕方など接客の指南を受けました。
はっきりとは覚えていませんが、かなり厳しかった記憶があり、合宿で挫折してしまった新人もいました。
4月、有名なKホールで入社式。
制服をいただいて、今度は配属部署で研修。
出納課で、もちろんアナログですから、みんなの字の癖を取り除くため、数字の書き方から練習です。
初めてレジを受け持った時は、先輩がそばでサポートしてくださいました。
景気の良かった会社、初めてのボーナスも、その年は特別、新人も金一封ではなく、給料の何ヶ月分かいただいた記憶があります。
因みに短大卒の初任給は85000円でした。手取りだと6万いくらです。
家賃は、4.5畳で18000円。
社員食堂が150円で食べられたので、一人暮らしでも生きていけました。
当時、銭湯は100円でした。
そんな時代を生きてきた私のスタートは、就職が決まらないという絶望の後でした。
希望通りに就職して、その後どうなったかは、たらればの話です。
前に進めばなんとかなる。前に進むきっかけとなった友達には、感謝しかありません。
少なくとも、ダークサイドに行くようなことにならなくてよかったな、と思います。
はなむけ。
現実の旅なら定まった方角もあるでしょうが、新しい世界に足を踏み入れる皆様の鼻先は、それぞれの想いの先。
人生は、思い描くシナリオ通りには行かない事も多く、世の中は不条理であふれています。
時には諦める事も必要です。
でも、それは、負けるということではありません。
頑張れば報われるという保証はありませんが、頑張らなければ報われません。
こんな私がいうことでもありませんが、思い通りの形ではなくても、ここからがスタートです。
やるべきことを積み重ねて、前に進んでください。
45年ほど前の昭和の話など、参考にはならないかもしれませんが、いつの時代でも変わらない物はあります。
それがなんなのか、私にも断言はできませんが、はっきり言える事は、人との縁の大切さ。
よいご縁をいただくことは、運命というより、自分のこころの在り様ではないでしょうか。
運が悪かったという言葉を使って諦めるのも、事と次第によるかなと感じます。
お散歩きらいの、何とも情けない様子のこたろうくんの鼻は、どこをむいているのでしょうか。
木蓮の蕾が、空に向かって一気に開花しました。
ソメイヨシノの蕾も、きみどり色に膨らんでいるものを見かけます。
春はすぐそこ。
案の定、気の利いた贐の言葉にはできなかったですが、新たなスタートを迎える方も、そうでない方も、全ての皆様に素敵な春がきますように。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫