へいこーへいこーらら~ららんらんら~~ 爆
爆っている場合ではありません。七人の小人じゃあないんです。
先日お話した、母校神石中学校の閉校に関して。
昨日、同級生のひと〇ちゃんが、閉校の記念誌を送ってくれました。
というのは、各卒業年度毎に、中学校の思い出などを寄稿するという話があり
その役目が、ひと〇ちゃんのせいで(爆)故郷を離れて住む私の所に回ってきたのです。
45年間続いた神石中学校の卒業生たちによって書かれた文章を
読ませていただきました。
んんナント・・私は第三回目の卒業生でした。 どひゃ~~っ。
あの福本ヒデさんも寄稿されていました。
今お笑いの世界にいる原点は、神石中学校だったというエピソードを書かれていました。
しかも実に、15年も後輩じゃった 激汗
私たちの頃は120人以上いた卒業生の卒業写真の顔は豆粒のようでしたが
ページをめくるたびに、その顔が大きくなってきて(顔がデカくなったわけじゃあない)
最後の入学生はなんと11名。
一人ひとり、顔のほくろまで見えるほどに。
考えてみれば、神石中学校自体が3つの中学が統合して出来た中学校でしたから
すでに45年以上前から、子どもの数が減りつつあったのですね。
中学の時はバレーボールに熱中して、万年補欠でしたが
部活が楽しみで学校に通っていたようなものです。
土の校庭での練習でしたから、突っ込んでレシーブしたら
太ももやひじは傷だらけ。口の中に土が入る事も。
しかしその頃は傷もすぐに治ったものであります。
当時日本の女子バレーが大人気で
アタックナンバーワンやサインはVなどのテレビ番組も欠かさず見ていました。
回転レシーブ、稲妻おとし、X攻撃 !
いや~古い話ですなあ。
今私が住んでいる街でも、小中一貫とかで学校が統合し
廃校になった跡地に高齢者施設が建てられるという話を聞きます。
日本はこの先どうなっちゃうんだろうと思うけど。
私は思ったんです。
私の原点はやはり神石中学校にあったな!と。
中学で大好きな英語を学び、海外に興味を持ちました。
その頃はそこそこ勉強も出来ましたが、高校で落ちこぼれました。
高校時代の私の精神状態は、最悪でしたが
それを知る人はあまりいないみたいです。
特に親は、高校の頃の私が人生の花だった、というような事を言っていました。
親元から離れて暮らしていたので、心の葛藤を知ることはなかったのでしょう。
そしてただ東京に憧れ、東京の短大の英文科を一つだけ受けて合格。
落ちたら福山の専門学校に行くつもりでした。
はっきり言ってほとんど何も考えていませんでした。
その後好き好んで波乱万丈な20代を送り、
30過ぎてアメリカに単身語学留学。
そして海外に行くチャンスのある仕事に就けて
そして・・今に至る。
英語が好きだったことが今に至る。
すべての事が繋がって今に至る!
英語とバレーボールに明け暮れた中学時代に感謝!
落ちこぼれて苦しかった高校時代に感謝!
波乱万丈な20代に感謝!
結婚出産子育ての30~40代に
子どもたちの学校の行事に行かなくてもよくなった50代後半に感謝だ!
母校の閉校という現実。
それに伴い故郷の人たちの今を知ることが出来、沢山の事を学びました。
閉校式に行くことが出来たことに心から感謝していますし
記念誌に文章を載せていただけたことは、とてもありがたい事です。
ひと〇ちゃんありがとう。
願いだ 努力だ 自分のゆく道
自分でひらいて 進むのだ
こうして読むと、中学という年代にふさわしい素晴らしい歌詞ですね。
なんだかやっとテンションが上がって来たぞ。
今日は早速雛人形を撤去します。
今年は娘が手伝ってくれるらしいですが、さて。
人は当てにしない方がよい。
動けるうちが華。
素敵な一日になりますように。
感謝をこめて つる姫
故郷の杉林。絵になりそうかな?