雨が未明まで降っていたようですが
今朝の夜明けはどんなかなあ
昨日の江戸は冷たい冷たい雨でしたが
職場の皆さんは雨に濡れながらお仕事をされていました。
頭が下がります。
お客様にあの姿を見せたら、多少の事ではクレームは言えないなあと思い
色々な現場を見る事はとても大切な事だと改めて思った次第です。
世の中の色んなことを知ることの意義を考えた時に
ある若者の事を思い出しました。
つい先日テレビの特集で取り上げられた方
大蔵拓也さんの事を御存じの方はいらっしゃいますか?
小学生の時に骨肉種を発症し17歳から車いす生活でしたが
その中で日本縦断を計画されて、2006年8月に北海道・宗谷岬を出発。
沖縄・波照間島のゴールを目指し、夏休みを使って野宿などをしながら断続的に車椅子を走らせました。
今年は8月11日に富山県から出発しましたが、間もなく体調が悪化して緊急入院。
病状の悪化で、余命は年内か半年と宣告を受けました。
サポート役で同行していた友人の八木諒平さんら3人が代走し、
先月10日、波照間島にたどり着きました。
夢だった自力でのゴールは果たせなかったものの、八木さんたちのゴールの報告を喜んだ矢先に
彼は天国へと旅立ちました。
その前に彼の計画を一番応援してくれたお父さんが先に天国に旅立たれていたという事実も初めて知りました。
実はこの大蔵さんと息子に接点がありました。
http://world-jumper-kenta.at.webry.info/201306/article_7.html
http://world-jumper-kenta.at.webry.info/201306/article_8.html
最初は息子が大蔵さんの友人である八木さんのツイッターからご縁をいただき
今年の初めに大蔵さんと一緒に初めてお会いしたそうです。
そしてその時に一緒に会ったヒッチハイカーと息子2人に、栃木県大田原市での講演会を企画してくださったのです。
録画した特集を観て人生観が変わりました。
変わったというよりまたはっきり意識したという方がふさわしいかも知れないです。
息子に突然、ヒッチハイクで日本一周すると言われたときも
ヒッチハイクではないけれどアメリカを横断すると言った時も
私は事件や事故に巻き込まれることなどをとりこし苦労しました。
何はともあれ無事に帰ってくる事だけが約束でした。
だけど毎日が同じことなんですね。
電車で学校に行くときは何もそこまで心配しないのと同じように思えば
悪夢にうなされる事もなかったのです。
大蔵さんの場合は病を抱えておられました。
親御さんの想いは私たち親のそれとは別の物だったかもしれません。
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今 なう、虹が出たので気がそぞろでした。
屋根にのぼってきました
後で写真のせます。
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そう、それで思ったのです。
今行ってきますと言って出て行った家族たちと
もしかしたらもう会えないかも知れない、と思う事をネガティブに捉えなければ
私自身ももっと命に感謝してその日を大切に生きられるのではないかと。
言い方が難しいですね。
明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。
ガンジーの言葉を借りました。
そのガンジーも本当に突然、あまりにも突然に凶弾に倒れてなくなりましたが。
社会のルールや倫理道徳に反しない範囲で
そして、人に対する優しさを失わない限りやりたいことはやった方が良いと思いました。
何よりやりたいこと、なりたい自分が明確な事はとても大切です。
ただ日々をこなすことで精いっぱいだと思っている方も
それはそれで素晴らしい一日の積み重ねだと思います。
だけどもし、そんなの無理だろうとかできるわけないとか
今更こんなことを始めても、なんて思っているのなら
やってみた方がいいと思います。
はい、これは自分に向かって発した言葉です。
拓也さんのご冥福をお祈りするとともに
お母様と妹さん、また仲間の皆さんに心から感謝いたします。
息子と出会って下さりありがとうございます。
素晴らしい気付きをいただいてありがとうございます。
突然に亡くなられたお父様は、
先に天国に行って拓也さんの本当のゴール地点で待っていてくださったのかも知れませんね。
お二人の居らっしゃる空の、虹の写真をアップします。
この後また曇ってしまいました。
今日も家族はそれぞれ出かけて行きました。
みんなが無事に帰宅して、あたたかい晩御飯を食べられるという事の有り難さを想い
私も余命が今日一日のように思って大切に生きます。
話しがまとまらず申し訳ありませんでした。
他にも書きたいことがあったのですが、また明日があればその時に
素敵な一日をお過ごしください。
感謝をこめて つる姫