ぼくぽてちん忘備録

a chainless soul
ずーっと夏休み

遁走記⑦(遁走記:遁走前)

2023-06-01 15:21:00 | 日記
「なんだ君は、目つき悪いぞ」

L社に所有権移転されたのが、1998年6月なので、多分それから1か月くらいだと思う
場所は渋谷区南平台「ベラビスタ南平台」のロビーに常設してあるL型のソファーだったと思う
当時の私(21か2)は、書類(命令やら断行やら保全やら抗告から登記や私文書)の作成事務兼、パンチパーマだったこともあり、交渉の威嚇役として黙って交渉の場に座り交渉する上司のカバン持ちをやっていた

冒頭のセリフはそんな私に投げかけた、音楽会社(名前は忘れましたごめんなさい)の社長さんの言葉だった
私の上司も交渉が上手なので、同社長は言葉に詰まった挙句に威嚇するあほ面の私に論戦を逸らせたのだろう。怒ったつもりなのであろうが育ちの良さが隠せず、ntural born naughty , born by gettoなわたしには滑稽だった。

このベラビスタ南平台は、桃源社というかつて日本に存在した会社が建てたマンションシリーズ
私たちは、当時このマンションシリーズを競売で落札した会社の、立退きの下請けをしていた
今で言えば非弁行為にあたる
→不動産流動化周辺の新法は兎に角ばかばかしかった
 今と過去どちらが正しいかは甚だ疑問である。
新執行法も含め、海外勢の資本流入を意図的に促しただけの、拙速且つ文字通り売国な法改正乃至は判例の嵐だった。

このベラビスタの青山学園の隣にある同じマンションシリーズには、朝堂院とかいう嫌いなおっさんが占有していたりした(この時ガレージで初めてケーニッヒを見て、実は高揚していたが)
このマンションも平成10年5月だから似たような時期なんだと思う
ここを落札した会社はR社という目黒が本店の外車販売(反社御用達)の会社ここの実権者はNさんという禿げたおっさん(90%反社)
この人はそこまで憎めないが、この人の顧問弁護士Tはマジで嫌いだった
後に大阪でたこ焼き食ったり、その更に後には、平河町の彼の事務所で自分の自給や金持ち自慢をされるが、兎に角くそ弁護士で今も現役である
確か大阪弁護士会所属なんだよね(なんでだっけな忘れちゃった)

もとい、南平台のマンション
この落札者、L社は著名な音楽家さんの会社で、その方の松濤のご自宅を計画している不動産も立退きを請け負った
不法滞在外国人がタコ部屋に使っていたマンションで、その立退きは今でいう半グレ軍団KのKとKとH(後に音楽会社の社長さんになる)と一緒になってやった
現場に向かう車中(リンカーンのリムジン)でKが英語の話せるHに
「出てけって英語でなんて言うの?」
「Get the fuck out of hereじゃない?」
なんて会話をしてキャッキャ言いながら不良外国人の巣窟に乗り込んでいってた
私たちが何故著名な音楽家や実業家、反社などの立退きを統合して受けていたのかというと、当時Sという有名なおじさんがいて(もう死んじゃった)、その人から立退きの下請けを受任していた。言うなれば立退きの孫請け、半グレKは曾孫請けとなる。今だから笑える話だ。

南平台、その最上階ペントハウスに
桃源社、創業者であり社長
最盛期には総資産1兆円の企業を額面通り1人で成し遂げた、
佐佐木吉之助さんがお住まいだった
私たちは彼の占有解除を担当できなかったが、そこは彼の、というか桃源社の終の棲家ともいうべき住宅であった
蒲田戦記・わが闘争の章を引用する
逮捕当日の模様を新聞から引用してみる
「東京都渋谷区南平台の佐佐木吉之助・桃源社社長の自宅マンションには午前九時、警視庁捜査四課の捜査員ら約三十人が訪れた。高級住宅地の真ん中に立つ白い夕イル張りのマンションの玄関で捜査員がインタホン越しに(中略)淡々とした表情だ。午前十時すぎ、警視庁に入った佐佐木社長は、時折、同乗した捜査員と言葉を交わしたり、取り囲んだ報道陣に笑みを浮かべたりしていた」 (朝日新聞)
逮捕を覚悟したのは二日前の土曜日のことだ。 午後五時過ぎに携帯電話が鳴り、
「NHKが逮捕のテロップを流している」
と通信社の知人が知らせてくれたのだ。 午後七時のニュースでも同様の内容が報じられ、佐佐木も悟った。翌日、対策を練るために第2桃源社ビルに行こうとするが、自宅はマスコミに包囲されていた。午前八時半に密かに自宅駐車場から出ようとしたが、すぐにオートバイに追跡され、都心のホテル駐車場で 佐佐木だけ車を降り、タクシーに乗
り換えてようやく追跡をかわした。
第23桃源社ビルでは週刊誌などの逮捕直前インタビューに応じ、午後三時からは日本テレビのクルー一〇人が密着取材を開始した。日本テレビの取材は逮捕当日の午前四時まで続いた。
逮捕当日は、予告された逮捕劇を取材するマスコミの攻勢が朝から凄まじいものだった。空には取材のヘリコプターが旋回し、自宅の周囲は報道陣で溢れた。保釈された後、佐佐木は近所の松竹会長宅を尋ね、「お騒がせしました」と詫びている。
何の事件だこれ?と思わせるが、佐佐木の住専事件による逮捕劇で、詳細は本書内に私の考察と共に記載する
また佐佐木自身はこのように表現している
自宅三階から見ると、まるで御用提灯だらけの時代劇の捕り物のようだった。 機動隊まで出動していた。後になって、「刑事事件を甘く見ていた」と佐佐木は反省するのだが、自分がお茶の間の主役となった実況中継を自分でも楽しんでいたところもあった。
インターホンからは「開けろ」と捜査員が叫んでいるのだが、開けてしまえば、中継はお終いになる。不思議な感覚だったと、佐佐木は振り返る。
その南平台を佐佐木が去る正にその日、占有部分の立会で、私はその現場にいた。
突如現れた彼の後方で私の上司が「あれ佐佐木だよ」なんて言っていてそれで知った。
長身の彼は少し背中を丸め運転手さんの待つ車に、静かに、乗り込んで去っていった。
イキリ倒していた私はバブル王という爺さん達には辟易としていたため、「あれが桃源社の佐佐木?案外地味なやつだなぁ」という感想しか持てなかった。

これから私という品格相応しくない者が残す記録は、この後引用しながら書く佐佐木の肯定とその間違いの指摘、
バブルというひととき出来事と、他の住専被告人と佐佐木との差異
そして日本国がしてこなかったバブルの総括、予後総括しないことそのものの日本人的欠陥を、平成を不動産業一本で過ごした何の肩書も名声もない者として試みるものである。



あはは。導入が長すぎか。
反社と死んじゃった奴は実名出しても良いんだけどね。

なんかね。
ここのところ「桜井さん不動産教えてくださいよ」的な要望があるんだけど、若さと人数で何とかしたいという思惑があるよう。
私は歌舞伎町で数々の若い男の子たちと接してきた。
わたしの様相はかなり厳しく苛烈であったと思うけど何でもしてあげた。
彼らから見れば幾分歳の近いおじいちゃんの部類なんだと思う。
そして彼らと同じく法の外にいるおじいちゃんなんだろうね。
だから若さと人数を何とかしてあげたいものだけど、
こと不動産に関して当てはめると、どこぞの1R屋さんや、三為屋さんの方が向いていて、私の出る幕じゃないなと。
私の不動産業は何せ特異だから。
ただ安易にそちら(1Rや三為)に行かせれば、私の歳の頃には生き残っていない。大人しく賃貸仲介をやる連中じゃない。(床を見つめる大事な職なんだけどね。1Rや三為に比べれば)
どうせまた悪いことをやるだろう。
だから本書を執筆してみることにした。
いつかの若い子のために。
何の需要もないかもしれない。
ただ、佐佐木吉之助のこの本にぶつかり、規模は違えど彼の言いたかったこと
無念の刹那を考えると、引き受けてみたいなと
兎に角、よくできた不動産学だと思うよ
僭越ながらマクロ経済と彼の造語「不動産兌換貨幣」などを修正しつつ
彼の鋭い予測を引き受け、平成の答え合わせをし、
孤高の不動産王、佐佐木吉之助を受け継ぎたいなと思った

参考とするのは、
「蒲田戦記」佐佐木吉之助
バブル期の周辺の本(RCCなど私の相手方だった書物)
そして私の実体験
それだけで臨む

佐佐木社長!
25年前、社長が南平台出る時に後ろにいたパンチパーマだよ
やぁ久しぶり
あなたの本は需要がないの
マニアックだし
あれ以降国民は成長がないから
バブルの総括もしない
だから、あなたの意思、厭世を勝手に拾うよ
そしてまた、需要がない手記を後世に残すよ
お互い嫌われ者は大変だねぇ





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遁走記⑤(985期) | トップ | 遁走記⑧(マザーファッカー) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿