Photo by Sharaku
(藤原新也・武田邦彦氏のブログより転載)
私の3月16日のトーク「巧妙な言葉のレトリックに惑わされてはならない」の項(自身の身の安全のためにも、もう一度読んでもらいたい)。
その16日のトークでは放射線に関する素人考えの疑問と数式を提示したのだが、今回の原発事故に信頼すべき情報を提示しつづけている学者の武田邦彦さんが17日にまったく同様のことを指摘していて私の疑問が的を得ていたことを示している。
以下、
武田氏のブログより転載(
私のブログも転載引用自由だが武田氏のブログも転載引用自由となっている)。
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政府とマスコミがごまかしを始めた。これはどうしてもすぐ多くの人が気がついて理解しておかなければならない。
それは「1時間あたりの放射線」と「そこに住んでいる子供が受ける放射線」の問題だ。実に危険なごまかしを始めた。
放射線の強さを「シーベルト」で示すが、これには「年間にあびるシーベルト」、「1時間あたりのシーベルト」、「白血病になるシーベルト」、「瞬時にあびるシーベルト」と4つある.
この複雑なことを利用して、昨日から政府とマスコミは歩調を合わせてごまかし始めた。子供をもつ親はその責任から、絶対に次のことを理解して欲しい。(今、私は計算中)
まず、法律で決められた「普通の人は一年に1ミリシーベルトまで(自然放射線を除く)」というのは、「1年間」だ。
政府発表やテレビで報道しているシーベルトは「1時間あたりのシーベルト」だから、1ヶ月少し(42日)住んでいるところの場合、それを1000倍する必要がある。
白血病になるシーベルトは約400ミリシーベルトで、これは1時間でも1年でもなく、そのままである。だから1時間400マイクロシーベルトのところに1時間いても大丈夫だが、1ヶ月あまり住んでいると白血病になる.
レントゲンを受けると「一度に600マイクロシーベルト」の放射線を受けるが、これは瞬時である.
・・・・・・・・・どのぐらいで何が起こるか・・・・・・
4シーベルト 死ぬ
400ミリシーベルト 白血病
1ミリシーベルト(1年) 法律で定められた限界
1) 福島原発2号炉から放射線が漏れたときに枝野官房長官が発表した数値は1時間に400ミリシーベルト。(もし、その場所に1ヶ月少し住んだら、400シーベルトになり死亡.その100分の1で死亡するから1日いたら死亡する)
2) 文部科学省が3月16日に発表した福島原発から20キロの地点(福島県浪江町周辺)の放射線は1時間330マイクロシーベルトであった(1時間あたりと思う)。
(そこに1ヶ月少し住んだら330ミリシーベルトになり、白血病になる数値・・・これをテレビでは「安全な放射線」と言っていた。)
3) 3月15日頃の東京の高い値は10マイクロシーベルトぐらいだった。
(東京に1ヶ月少し住むと、10ミリシーベルトで、1年間に浴びて良い値の10倍になる。1年ぐらい住むと子供はかなり危険。胃のレントゲンが1回で600マイクロシーベルトだから、1ヶ月で17回のレントゲンを受けることになる。安全とは言えない.)
政府やマスコミは「福島原発から20キロのところの放射線は、330マイクロシーベルトだから、胃のレントゲンの2分の1」という言い方をしている。だから安全という.
しかしそれは「そこに1時間しかいない人」の事であり、住んでいる人ではない。だから、1ヶ月あまり住む人は330ミリシーベルトを浴びることになり、子供も親も白血病になるだろう.
すぐ待避しなければならない。決して「安全な放射線」ではないのだ。
今、私(武田)は少し動揺している.
もし文部科学省が16日に発表した値が正しく、私の計算があっていれば、政府は直ちに浪江町の人をもっと遠く(風上)に待避させる必要があるからだ。
でも、まったくその気配はない.なぜなのか?
私の計算が間違っているのか? それでは浪江町の少し南の人はどうなのだろうか?たとえばある地点で測定してみるとその3分の1の100マイクロシーベルトのところに住んでいる人は、3ヶ月住むと白血病になる.子供はさらに早いかも知れない。
もう一度、慎重に考えてみる.もしこの計算が本当なら大変だが、どこかに間違いがあることを願う.
(平成23年3月17日 午前9時30分 執筆)
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私の知る限り、管直人首相が形だけ一瞬現地を視察しただけで、今回政権与党である民主党の議員が現地を訪れ実際の肉眼で現状を視察したという報を聞かない。
現地に行くことがなぜ必要かというと、それによって解決策が生まれるということではなく、テレビや新聞などの二次情報というものにはリアリティがなく、本当の意味で切実な思いを抱くことはないからである。
まず施政をする者はその心に楔を打ち込む意味で現地を訪れ、死臭を嗅がなくてはならない。そうであってこそ必死で何かをしょうという施しの意識が生まれる。
それは政治に携わる者にあるべき行動の基本だ。
事業仕分けなどいい子になる目立つパホーマスンスには一生懸命演技をするが、こういった修羅場において現地に与党の議員の姿が見えないのは民主党という政党の軟弱さを象徴している。放射線が怖いのかも知れない。
誰も行かないということは安全な数式を発表しながら、その数字の裏にあるごまかしを十分心得ているという風にも解釈できるのである。