こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。
E・G・ホルサムは鉄道建築技師(御雇外国人)として日本を訪れました。明治政府は日本の近代化のため多くの外国人を雇い、外国の文化に近づけるため努力をしていました。なかでも英国からは多くの教師を迎えています。
ホルサムは休暇を利用して日本の各地を訪れました。明治十年には軽井沢の追分宿にも宿泊しています。そのなかで「外国人向けホテル」という看板のある茶屋があったことがホルサムの日本旅行記『Eight Years in Japan』から判っています。それがどの茶屋であったかはわからないものの明治十年ということを考えると注目すべきことと思います。
アーネスト・サトウ卿の日本旅行案図書が発行された翌年、明治十五年にA・C・ショーが軽井沢を訪れていますが、明治十年にも看板のある茶屋があったということはある程度の外国人が追分宿の宿をすでに利用していたということです。しかし、それは保養というような目的であったかどうかは判りません。一番、考えられることは浅間山登山という目的ということです。
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