高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

保養地軽井沢を発見した外国人はW・ウィリス

2024-08-24 11:15:56 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。                                                                      軽井沢を発見した外国人についてはA・C・ショー司祭といわれてきたが、それもさらに調査をすれば慶応四年(明治元年)に軽井沢からハリー・パークス卿に」手紙を書いたW・ウィリス(医師)ということが判ってくる。                                                                           

 ウィリスは慶応四年十月に碓氷峠を通り高田に行っている。これは東北戦争で傷ついた日本の兵士を治療するためで、ハリー・パークス卿に招請されていた。その途次、W・ウィリスは軽井沢から手紙で第一報を送っているが、これこそが保養地軽井沢の発見として認識できるものではないかと考える。

 今日は江戸平野から長い上りになり、それから今度はかなり下って、ここ(軽井沢)に着いたが、温度の変化はおどろくほどで、華氏で十度は低い。夏でも蚊はいないという。          

                                                        『遠い崖ーアーネスト・サトウ日記抄』 萩原延壽訳 朝日新聞社より                                         

 蚊がいないということは外国人にとって非常に快適であったのにちがいない。気温も東京と比べ低く、軽井沢が保養地としてふさわしいということを予見している。軽井沢は保養地として出発している。それは日光とも似ている。

                                                    詳しくは ー『明治期、日本の避暑地』高見沢隆著 龍鳳書房                                                                                     

                                                                        書店で注文してください。                                                  


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