高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

ハリー・パークス卿と浅間山

2024-08-31 09:48:13 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 ハリー・パークス卿は英国の公使として在日中に日本各地に旅をしています。

 日光については明治三年に外国人として初めて訪れております。明治三年は日本政府が日光を外国人に開いた年でもありました。ハリー・パークス卿はその旅で軽井沢信濃追分を訪れ、浅間山に登山をしております。これ以降、多くの外国人が浅間山に興味を抱き、登山をしておりますが、それは世界のなかでも活火山の浅間山は一番に登りやすい山であったからです。パークス卿は浅間山に身体をいやすためにも登山をしていました。

 後に日本公使になったアーネスト・サトウはパークス卿の日本語通訳をしていました。「中部・北部日本旅行案内」は日本語通訳をしていた頃からの日本体験の積み重ねでできた旅行案内です。浅間山登山についてはこのときの案内だといまの峰の茶屋からの登山口を紹介していましたが、その後、小諸からの登山口が一般的に紹介されるようになりました。

 今でも小諸からの登山口が一般的です。一番、登山がしやすいです。

 わたくしも小学校四年生くらいだったと思いますが、峰の茶屋から二回ほど登山をしております。たいへんに急な坂道だったと記憶しております。星が美しく、流れ星がいくつも夜空を落ちてきたことを鮮明に覚えております。


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