今日は天皇誕生日。そんな新たなお祝いの日に、朝から自分は何を思ったのか‥歴史‥時の流れを思っている。 そう‥時間‥時間とは何だろう?と。 そもそも時間とは流れているものなのか? それは時計が回っているからなのか? それとも太陽が昇って沈むからなのか? 自分の心臓が動いているからか? それとも‥今はちょうどお昼だし‥お腹が空いて‥グ~と鳴るからなのか?
以前、『TIME』(タイム)という映画を観た時‥
そこに登場している人物たちは皆25才になると、歳は取らないが貧困層の人間たちは一日分ほどしか時間が無く‥日々の労働はお金では無く、時間を稼ぐ為に賢明に働いていて‥物は時間を渡して買っていた。 その一方、富裕層の人間たちは数十年から多い人間は1000年以上も持っていて‥走ることなどはしない優雅な生活をしていた。 全ての人間たちは時間を与えたり貰ったり、売買もしていた。 その中で‥ある一人の富裕層で100年も時間を持っているのに‥ある出来事で主人公に助けて貰ったお礼に?生きるとは何なのか分からなくなって?5分だけ残し、残りを主人公にそっと与えて‥死んでしまった。 物語の最後には、主人公は恋人に「1日分ある‥」といって笑顔を見せていた。
昔‥『銀河鉄道999』という、当時は子供の自分にはシュールなアニメがあった。
主人公は永遠の命を求めて、宇宙空間を走る列車に乗って、星から星へと旅をするという物語。 生きるとはどういう事なのか‥自分が永遠の命を持っていたとしたら‥どう生きるべきなのか? もし‥永遠の命を持っていたとしたら‥それは生きている事になるというのか? 今の歳になって、いろいろ考えさせられる。
そういえば映画か何かで‥侍がこう言っていたのを思い出す。
「武士道とは‥死ぬことなり」と。 自分はその言葉から「生きるとは‥死ぬことなり」と‥家族を持つ今になって感じている。 侍は命を懸けて何かを守る‥命を懸けるとは‥自分のすぐ隣に死があること‥それは死が近ければ近いほど‥生きるということが輝き出すのだろうと思った。 それは専業主婦の家事道でも同じだし‥サラリーマン道でも同じだと思う。 「道」というものが付くものには、命を懸けて人生を生きている‥そういう道があるものだと思う。
そんなの何も無いよ、という人でも‥この世に生まれたからには‥必ず人生の登山道を登っていると思う。 登山家は言う‥「そこに山があるから」と。 そして神様は自分に仰る‥「そこに人生があるから‥ずっと見ているから‥さぁ、登って来なさい」と。
そして思う‥
時間とは‥それは今歩いている‥登っている道‥人生なのだと。
その人生の頂上には‥きっと神様が待っておられる。
だから‥どんな道でも感謝をしながら‥今日の一歩を登る。
今日も一日、感謝の中で…
最後までお読み下さいまして、ありがとうございます。
(※表紙画はゴッホの星月夜です。)