#上野を歩く 新着一覧
上野歴史散歩⑩ 不忍池の裏側にはしゃれた洋館・三菱財閥岩崎家の本宅が今も残る。災害時には住民に避難所として開放されたことも。
不忍池の淵を回って行くと、旧岩崎邸庭園にたどり着く。この建物は三菱財閥岩崎家本邸として1896年に完成した。設計者は日本の西欧建築の父とも称されるイギリス人建築家ジョサイア・コンドル。...
上野歴史散歩⑨ わが国初の駅伝競走は京都から東京までの500キロ。そのゴールは上野公園だった
弁天島の入口から少し不忍池沿いに歩くと、「駅伝の碑」に遭遇する。 こんなところに、ど...
上野歴史散歩⑧ 弁天島で見つけた碑の数々。フグやスッポンからメガネや暦まで、感謝の気持ちがあふれる島
不忍池に浮かぶ弁天島。この島でだれもが気付くのは、やたら石碑が多いことだ。何気なしにそ...
上野歴史散歩⑦ 不忍池では、ハスや水鳥の見物か、ボート遊びか、それとも芸の上達のお祈りをしようか?
不忍池は、天海僧正が上野の地に京都の風景を再現しようという構想の一環として、琵琶湖を...
上野歴史散歩⑥ 清水観音堂には、江戸時代からの名所「くるりと輪を描く月の松」がある。
清水観音堂。最初は「しみず」観音堂と呼んでしまったが、正式の名称は「きよみず」観音堂...
上野歴史散歩⑤ 天海僧正は上野に「東の京都」を造り上げた。
天海僧正毛髪塔というものがある。僧正の毛髪を収めたことに由来するもので、細長い棒のよ...
上野歴史散歩④ 上野戦争による彰義隊の敗北によって、上野から徳川幕府の記憶が次々と消されていった
西郷隆盛像の後方に、彰義隊の墓がある。上野の山は1868年の官軍と幕府軍とによる上野...
上野歴史散歩③ 完成した西郷像を見て糸子夫人はつぶやいた「うちの人はこげん人じゃなか」
西郷隆盛は、幕末に江戸城の無血開城を実現、明治維新へと導いた立役者だ。その西郷さんの...
上野歴史散歩② 上野公園に入る。かつての黒門は今、モダンな滝に変身していた。
上野公園へは京成上野駅側から入ろう。 京成上野駅出口横に鳥の像を伴った碑が立っているのを見つけた。よく見るとこれは「川柳発祥の地」という記念碑だった...
上野歴史散歩① 北の若者たちの期待と不安。そんな心情あふれる上野駅から連載スタート。
昭和生まれ、東北出身の人間にとって、東京とは「上野から始まる大都会」というのが第一印...