新イタリアの誘惑

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上野歴史散歩③ 完成した西郷像を見て糸子夫人はつぶやいた「うちの人はこげん人じゃなか」

2022-08-23 | 上野歴史散歩

 西郷隆盛は、幕末に江戸城の無血開城を実現、明治維新へと導いた立役者だ。その西郷さんの像が上野公園に建てられたのは1898年だった。製作者は高村光雲。「智恵子抄」で有名な詩人の高村光太郎の父だ。

 その姿はなぜか筒袖、わらじ履きという庶民的な姿だ。維新の立役者がどうして?

 彼は明治政府のスタート後、西南戦争を起こして新政府に反旗を翻した人間でもあった。従って当初想定された軍服姿だと政府からクレームが入ることも考えられたことから、こんな軽装に変更されたという。ただ、それがかえって庶民には歓迎され、あのいかつい顔なのに親しみを感じる像として、人気となった。

 その像は、故郷鹿児島の色彩が色濃く見える。左腰をよく見ると、ウサギ狩りの罠を身につけている。彼がよく行った趣味の1つだった。

 そして脇に従うのはウサギ狩りで同行する薩州産の猟犬。西郷さんがいつも連れていた犬の名前は「ツン」といったという。

 出来上がった西郷像の除幕式には夫人の糸子さんも出席して行われた。その際、像の顔を見た夫人は「あら、うちの人はこげん人じゃなかったこて」とつぶやいたと伝わっている。

 西郷さんは写真嫌いで、死後の像制作の際は、実弟の従道氏の写真などを参考にしたという。

ただ、彫刻家荻原守衛は「大西郷の風采を最もよく表現している」と称賛した。

 また、像の左手後方に、西郷自身の筆による「敬天愛人」の文字のある碑が建っている。「天を敬い、人を愛する」は、西郷さんの座右の銘だった。

 

 昨日夏の高校野球甲子園大会で、仙台育英高校が東北の高校として初めての優勝を成し遂げました。104回目にして初めて優勝旗が関東と東北の境目にある「白河の関」を越えます。

 私も東北出身ですし、育英高が初めて決勝に進んだ1989年の大会時には、甲子園で取材デスクを務めたこともあって、球児たちに心からの祝福を送るとともに、故郷の友人たちと一緒に万歳を叫びたい気持ちで一杯です。

 

 

 

 


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