#中村彝 新着一覧
中村彝とシスレーの「ルヴシエンヌの雪」(1878、オルセー美術館蔵)
〈上の画像、『大正の美と心 中村彝展』図録(1997、新潟県立近代美術館)より引用〉 雪の日の風景を描いた彝のこの作品は、下記にリンクするオルセー美術館にあるシスレーの「
中村彝と遠山五郎 セザンヌをめぐって
没後100年中村彝展が千波湖畔の茨城県近代美術館で開かれている。 その図録を読むと、彝の...
大正9年、柏崎で開かれた中村彝展
標記について、筆者は3年前の2021年11月に“note”というブログに2回にわたり記事を書いた。h...
シスレー作品タイトルの和訳をめぐって
シスレーは、印象派の純粋な画家として、きわめて抒情的な優れた風景画を多く描いた。その中...
中村彝とマネ
中村彝とマネとの関連はこれまであまり言及されることはなかった。それは彝が、ルノワール...
中村彝「泉のほとり」と『古事記』をめぐる関連書簡
中村彝の「泉のほとり 」は、単に「泉」とも画家自身によって(省略的に)呼ばれていた作品で、かつて今村繁三の所蔵で...
中村彝の書簡に「ピュールテ」の語の使用例
かつて私は、『藝術の無限感』の中の「中原悌二郎君を憶ふ」に「レピュテ」なる語が出てくるが...
中村彝の書簡、「けれど私のソーニアは何処へ…」
中村彝の友人洲崎義郎の著書『洲崎義郎回想録 進歩と平和への希求』(1984)の中に大正11年ころに撮られた家族写...
中村彝の洲崎義郎宛書簡(大正9年1月18日)《きい》か《トウ》か、それとも…(続き3)
中村彝の洲崎義郎宛、大正8年6月18日の書簡で、彝はそこに出てくる婆やを、「奴」とか「彼...
中村彝の洲崎義郎宛書簡(大正9年1月18日)《きい》か《トウ》か、それとも…(続き)
前回のこの記事で、標記の大正9年1月18日の書簡に出てくる腎臓病で倒れた「ばァや」は、「...
中村彝の洲崎宛書簡(大正9年1月18日)《きい》か《トウ》か、それとも…
大正9年1月18日に書いたと推定される中村彝の書簡は、その内容がきわめて重要なものながら...