〈上の画像、『大正の美と心 中村彝展』図録(1997、新潟県立近代美術館)より引用〉
雪の日の風景を描いた彝のこの作品は、下記にリンクするオルセー美術館にあるシスレーの「ルヴシエンヌの雪」(1878)に、その主題とともに、
構図上ちょっと似ている。
病弱な彝だが、雪景色の作品は幾つかあり、初期の小品(これはモネの強い筆触を思わせる)にも見られる。
彝の先の作品「風景」(いなり記念館蔵)の画面中央遠景部に見られるオレンジ色の煙突が見える洋風の建物は、茨城県近代美術館の重要な作品であるよく晴れた日の「目白の冬」の中央の建物と同じ建物である。
にもかかわらず、描いている画家の立ち位置が茨城県の作品とやや違うためか、いなり記念館が所蔵する雪の日の作品は、あたかもシスレーの「ルヴシエンヌの雪」を想起させるかのような構図に仕立て上げているように見える。
彝は、この作品を描くのに、構図を決定する上で、何かの複製図版で見たであろうシスレーの作品を念頭に置いていたのではなかろうか。つまり多少の現実の改変がそこにあるのかもしれない。
シスレーは、道が遠近法的に後退していく作品を好んで描いた。多くの作品は、緩やかにカーブして、地平線のある遠方まで後退していくが、「ルヴシエンヌの雪」では、道は直線的に、しかも遠景部というよりも珍しく建物のあるあたりで遮られている。だが、シスレー持ち前の抒情的、詩的な雪景色であり、ジェルマン・バザンは、クールベのような凍った雪景色でなく、今降ったばかりの静寂で汚れのない雪であり、コットン・ウールとかフェルトのような雪だと述べている。そして、画面の遠景部に、多くのシスレーの風景に見られるような小さく描かれた添景の人物が静かに遠ざかっていく。
彝の雪景色の作品は、シスレー作品に比べると構図上の類似にもかかわらず、そのような詩情とは違った趣がある。シスレー作品における遠ざかっていく添景の人物に相当する位置には、「目白の冬」にも見られる鶏が数羽描かれ、詩的というよりも、身近な現実の風景といった趣が強い。雪の量も少なく、降り止んだばかりの雪というよりもしばらく時間が経ち、雪の色調の違いが示しているとおり、今は太陽の光も僅かに差し込んできたかのようである。