標記について、筆者は3年前の2021年11月に“note”というブログに2回にわたり記事を書いた。
それは、大正9年、柏崎で開催された彝の個展の展示作品をどこまで特定できるかという問題を解決しようとする試みである。
なぜそのようなことをするのかというと、例えば、それは画家の描いた作品の真贋の問題にもかかわるからである。
さほど優れていないように見える作品も画家生前中に開かれた展覧会に作品が展示されていたと分かれば、作品の真正さの証明に近づくことになるだろう。
作品の展示歴、所蔵歴などの来歴が分かれば真贋判定にも大いに寄与するのである。
2024年11月現在開催中の茨城県近代美術館における「没後100年 中村彝展」図録論文では、先のブログ記事と同様な問題設定と方法のもとに、吉田衣里氏が柏崎での中村彝展に出品された作品を新たに同定することに成功している。
先のブログ記事では、「照合不可」としていた5点の作品のうち、「庭の斜陽」と「(大島の)椿」なども同定している。
また、これまで「或る椿のコンポジション」と言われてきたやや不自然なタイトルの作品を当時の資料に基づき「或る絵のコンポジシヨン」と改めて、それを「画家達之群」と同じ作品としていることも成果だ。
「椿」でなく「絵」とした場合、コンポジションは構想画または想像画の「構想」という意味だろう。椿のコンポジションなら、椿の在る「構成」などの意味になり、静物画を想像させるから、画像の同定が困難になっていたのである。
これは、おそらく「絵」の旧字体の文字(繪)を「椿」と読み誤ったままこれまで伝わって来たのだと思われる。
また、他の写真ではこれまで確認できなかった彝の初期の自画像のうちの1点を別の写真の中から発見している。
茨城県近代美術館の完全自主企画によるこの展覧会の図録、労作である。(続く)