中村彝の標記の作品、茨城県近代美術館で開催されている「没後100年中村彝展」の展覧会図録の表紙になっている。
この実物作品の右下を見るとペンで書いたようなアルファベットの"a"が認められよう。(このブログ記事の表紙からは確認不可。)
それはまさしく"a"なのだ。それにしても、なぜこんなところに"a"があるのか。
実はかなり以前にこのブログで「古い画集の大切さ」という記事で紹介したことに関連するのだが、これは、彝が作品中に書いた署名と年記の名残りなのだ。それは、彝の没後間もなく刊行された古い画集を見るとはっきり分かる。
すなわち、筆記体で書いた"T.Nakamoura 1918"のうち、kの次の文字の"a"だけがなぜか残っているということである。(因みに、彝のアルファベット署名には、ローマ字表記のNakamuraではなく、Nakamouraというフランス語読みの表記もあり、ここでは、後者で書いていたはずである。)
ただ、なぜ、2番目の"a"だけが消えないではっきり残っているのか、不思議ではある。長い時間が経って自然に消えていったのなら、全部消えてもよさそうであるが、2番目の"a"だけが、ここに残っている。
いずれにせよ、この事実、古い画集に認められるこの作品の署名と年記が、現在では殆んど認められないという事実は、今展の図録の作品解説におけるデータ部分に書き留められた、そのことはよかった。
実は彝の作品にはペンのようなもので書いた署名と年記が、殆んど消えてしまっているように見えるものが他にもあるからだ。
が、全く消えないで残っているものもある。どうしてなのか。作品の洗浄(の技術)などの問題なのか。
もし、自然に消えていく過程にあるものなら、赤外線写真などで写すと、殆んど消えているものも、あるいは肉眼とは違って見えることもあるのではなかろうか。
もちろん、没後に刊行された画集ではあるが、作者生存中に撮影されたフィルムを使っているなら、彝自身が、撮影後、何らかの理由で(例えばそれを書き直そうとして)、署名と年記を消したことも考えられないことではない。