没後100年中村彝展が千波湖畔の茨城県近代美術館で開かれている。
その図録を読むと、彝の「洲崎義郎の肖像」をめぐって、レンブラントの「ヤン・シックスの肖像」の他に、セザンヌの「ギュターヴ・ジェフロワの肖像」の影響が指摘されていた。
かつてこのブログ記事を書いている筆者も、洲崎が彝に贈ったセザンヌ画集などとの関連から、セザンヌの「ジェフロワの肖像」における衣装の暗い色調や筆触と、両腕と頭部によって構成される三角形構図などに注目したことがあったが、あえて触れたことはなかった。
画家が写真からではなく、生きたモデルを前に肖像画を描く場合、モデルにどんなポーズをとってもらい、どんな衣装や環境や背景の設定でモデルに対面し、時にはモデルと対決するかという視点はきわめて重要である。
特に肖像作品の影響関係を考察するとき、やはり、モデルのポーズ、その特徴(例えば洲崎の肖像では室内にいるのに外套を着て左手だけ手袋をはめているなど)、設定された(室内)環境の類似性は重要である。
確かにセザンヌのジェフロワの肖像は人物像の三角形構図やその色調、筆触に、「洲崎の肖像」との関連で注目されるものがある。
が、この作品との影響関係で私が最も注目したのは、やはりセザンヌの作品から学んでいるはずの遠山五郎の「書斎における兄の肖像」(大正12年)であった。
何よりも誰の眼にも明らかなようにモデルを書斎という環境に設定し、(やや未完成的に)多数の本が並んだ書棚を背景に描く、そして、モデルの前にはデスクトップに書物や書類などを拡げた構図(これは既にドガの「デュランティの肖像」によい先例がある)を思い出さないわけにはいかない。
遠山五郎が「書斎における兄の肖像」を描いた大正12年、彝は前年8月にフランスから帰国した遠山が今はこの「兄貴の肖像」を描いていることを知っていた(7月30日、鈴木金平宛書簡)。また、この年、彝は遠山が経済的に困っているので洲崎に「金子四百円の融通」を願っていた。
してみると、彝が以前から(場合によっては洲崎の肖像を描く前から)セザンヌの「ジェフロワの肖像」を知っていて、遠山が「兄貴の肖像」を描くに当たって、何がしかの示唆を与えた可能性なども想像できるかもしれないが、直接的な証拠はない。
しかし、このように絵が語ることのみによって、それらの相互関連を想像してみるのも楽しいことではある。
画像左はセザンヌの影響が見られる遠山の静物画、右は「書斎における兄の肖像」、『生誕100年記念 中村彝・中原悌二郎と友人たち』展(1989)の図録から