進めウエトレ道

2020年はパワリフ・ベンチ大会出ません

go to Fukushima part3

2011年05月08日 | Weblog
土曜日の会議(?)で、今後の新規事業展開に関して色々話をしているうちに福島の話題に…。会社の本業は「補償業務コンサルタント」と「保険代理店営業」。保険は免許を持っている社長とおばさん専務に任せるとして、補償業務は社長と自分の2人で営業~入札~落札~調査~納品までやらなければならない。派遣先から社員を呼び戻さずに仕事をするなら限られた人数でこなしていくしかない。なのに社長はあれこれやりたい事を言い出し、良いアイディアが出たら何でもやりだしかねない様子。それで今やっている被災地の地震保険の損害認定の建築士の仕事が一段落着く今月末から「被災地の人たちを採用した復興支援業務をやりたい」と言って、どんな仕事がふさわしいか実際に行ってみる事に…しかも被害が大きい地域…(避難生活者が多い)。それで今週半ばに福島県の太平洋側…しかもいわき市以北の際どい街までみんなで調査に行くハメに…。確かに先月2回行った郡山はあまり変わらない市民生活を送っていたけど、調査から戻ってきた太田さんから「いわき近辺の調査で津波被害で街が無くなっていたり、茫然として何をしたらいいか落ち込んでいる人たちを見て涙が出てきた」という話を聞いたらいてもたってもいられなくなったみたいだ。果たして吹けば飛ぶような小さな会社に一体何ができるんだろうか?。実際、本人たちの本音は「支援を受けて避難生活を続ける」じゃなくて「働いて収入を得て元の生活に1日も早く戻りたい」ではないんだろうか?。これだけ甚大な被害が出ているので1年やそこらで復興できるのは難しいと思うし、5年10年かかっても完全に戻らないかもしれない。でも、どんなに時間がかかってもみんなで立ち上がって行くと信じている。

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