占星術への道-誕生史、星見の作法

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・いつ、どこで、どのように生まれたのか?

<23> 5章 プトレマイオスとテトラビブロス-2/業績、誤り、評価、その後

2021-03-15 11:05:17 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

左:占星術はやがて医学メロテシヤや、化学と結びついて錬金術へと関係を深め、深化していった


テトラビブロス-2

 サインはお互いにとって望ましくもあり、望ましくもない。「サインのアスペクトについて」のセクションで、プトレマイオスは次のようにコメントしている:

音楽の中で最も重要とされる2つの分数と、2つの隣接数比をとるならば、そして、もし分数の2分の1と3分の1を、2つの直角から成っている衝(反対側)に適用すれば、その半分はカータイル(四分位)に、3分の1はセクスタイルに、そしてトラインとなる。隣接数比については、もしセスキアルターとセスキターティアンを1直角のカータイルに適用すると、セスキアルターはセクスタイルに対するカータイルの比で、セスキターティアンはカータイルに対するトラインの比となる。このアスペクトのうちトラインとセクスタイルは、調和的、と呼ばれている:同種のサインで構成されていて、完全に女性サインか、完全に男性サインになっているからである;

 星座と昼夜平分時(サイデリアル対従来の占星術)に関して、プトレマイオスは次のように指摘している:

しかし、以下は熟考する価値があるので、それをやり過ごしたりしないでおこう:すなわち、サインの始まりを分点と至点として数えるのが妥当だということである:なぜなら、一つには作者がこれを非常に明確にしているからで、特に、それらの性質、力、および同族が、分点と至点の出発点から発していて、他からではないことを、以前に示したことから我々は見ているからである。

 第2巻は予測(予言)と各国の占星術のサインを検討している。国々や民族の占星術から見たできごとが個人よりも上位であるとコメントしている。

 天文学的手段による予測は、2つの主要部分に分けられている。一つ目はより普遍的なもので、人類、国々および都市に関係するものであるので、そして2つめはより特殊なもの、個人的なものなので、それは出生時占星術genethilialogicalと呼ばれる。

さて、天文学的な手段によってなされる予測は2つの大きな部分に分かれている:最初の、より一般的なものは、人種や国、都市などの全体に関わるもので、全般的(占星術)と言い、二番目のやや特別な方は個々人に関するもので、出生時占星術と言っている:だから、最初に全般的なものを扱うのがふさわしいと思う:なぜなら、そのような全般的な事柄は個別・特有のできごと以上に、より大きな、より強力な原因によって必然的に左右されるからである。そして、性質について見ると、弱い性質は常に強い性質に屈し、特定のものは常に全般的なものの下に置かれるので、一個人についての調査を目的とする方々ににとっては、それ以前に、より全般的な考慮事項をなんとしてでも理解しなければならないだろう。

 様々な国々を支配するサインと惑星が調査されている。例に挙がっているのは、

これらの同じ国のうち、ブリテン、<アルプスの向こうの>ガリア、ドイツ、バスタルニアは、おひつじ座や火星ととても近い同族関係にある。

しかし、ヘラス、アカイア、クレタの住民はおとめ座と水星と同族であるため、論理的思考が得意で、学習を好み、身体よりも精神を鍛えている。

 日月食が分析されている。人間のサインであるふたご座、おおめ座、てんびん座、みずがめ座、そしていて座の一部は、主に人間の身に降りかかるできごとの原因であり、一方、四足のサイン、つまりおひつじ座、おうし座、しし座、そしていて座の半分は、四足動物に対して起こるできごとの原因となる。例えば、

特に、黄道帯の内外両方にある人間の形をした星座は、動きが調和し、均整のとれた体を生み出す;しかし、人間以外の形のものは、自分の特性に対応するように身体の比率を変え、一応、対応する部分を大きくしたり小さくしたり、強くしたり弱くしたり、多少優雅にする。たとえば、しし座、おとめ座、いて座は彼らを大きくする;うお座、かに座、やぎ座などのようなその他のものは、小さくする。また、おひつじ座、おうし座、しし座の場合と同様に、上方と前方の部分は彼らをより頑健にし、下方で後ろの部分は弱くする。

 惑星が地球に与える影響を調べている。土星は寒さ、洪水、貧窮、投獄や死を起こす。火星は、乾燥による破壊、火事や戦争を引き起こす。また、彗星と流星が天候に与える影響が分析されている。

 第3巻は個人に関するもので、懐妊と誕生が検討されている。懐胎時間が優先され、誕生は偶然だとされている。懐妊時間は、できれば天体観察によって知るべきであって:

懐妊のまさにその時刻が天体観察や何らかの方法で分かっている場合には、身体と魂の特性を決定する際にその時刻を使って追求するのが望ましい。

 上昇サイン、月の相、そしてミットヘブンが調べられている。父親の影響は太陽と土星で、そして母親の影響は月と金星によって示される。肉体の形と気質(上昇サイン)、怪我、疾病は、肉体のある部分を支配する惑星が吉アスペクトにあるのか凶のアスペクトにあるのかによる。例えば;

体の最も重要な部分については、土星が右耳、脾臓、膀胱、粘液、骨の支配者である;木星は、触覚、肺、動脈、精液の支配者である;

 惑星の動きとそれが出生にどのように影響を与えるかが検討されている。例えば、

 土星は火星と共同し、名誉ある場所にあって、その対象者を良くでもなく、悪くでもなく、また、勤勉で、率直で、厄介で、卑劣な自慢をし、不快な行為をし、無情で、軽蔑的で、荒々しく、論争的で、無謀で、無秩序で、欺瞞的で、奇襲を重ね、怒りが消えずに、断固とした弁解をし、大衆に取り入り、暴虐で、欲深く、みんなを憎み、争いが好きで、悪意に満ち、悪に徹底し、積極的で、せっかちで、怒りに狂い、下品で、自慢屋で、不礼で、不公平で、軽蔑されることなく、人を憎み、柔軟性に欠け、変化のできない、忙しい身であると同時に、巧妙で実際的で、ライバルに負けず、一般にその目的を首尾よく達成する、そんな人になる。その反対の位置では、対象者を盗人で、海賊で、通貨偽造者で、恥ずべき扱いに従順で、基本的な利益を取る人、無神で、愛情がなく、侮辱的で、狡猾で、他人のものを盗み、詐欺師で、殺人者で、禁断の物を食べ、悪い行いをし、人殺しで、毒殺者で、不信心で、神殿や墓を荒らす盗賊で、完全に堕落した、そんな人にさせる。

同様に、火星や金星もまた、そのいずれかまたは両方が男性的になった場合、男性は自然な性交に夢中になり、浮気性で、飽くことなく、性的情熱の卑劣で無法な行為にいつでも臨む用意ができているが、一方、女性は不自然な性交に貪欲で、誘うような流し目を投げかける:彼女らを我々はトリバデと呼んでいる;彼女らは女性にあい対し、男性の機能を果たすからである。

 第4巻は職業、物質運、結婚、子ども、友達、敵、外国旅行、死および黄道帯の「ハウス」を扱っている。プトレマイオスはこれらを惑星の角度と関連づけていて、例えば、

 もし水星と火星が共に活動の指導権を引き継ぐならば、2つは彫刻家、武具士、神聖な記念碑の製作者、塑像製作者、レスラー、医師、外科医、告発者、姦淫者、悪人、偽造者を生み出す。


『テトラビブロス』の評価

 『テトラビブロス』(四元の書)は他の占星術の本を歴史上の単なる興味のみに落としめてしまった。つまり、ノイゲバウアが指摘しているように「著書の重要性は、読む必要が無くなる前の出版部数によって測定することができる」からである。プトレマイオスの後に、いくつか修正がなされたが、西洋占星術の中核は『テトラビブロス』に書かれている。

 『テトラビブロス』は骨の折れる文を用いた長い文章で構成されていて、一般に退屈で、無味乾燥なものだ。しかし、中には思わず笑ってしまうものもある。奇妙な概念に加えて、未完成で、考えが矛盾しているところが見られる点は大問題で、例えば:

 (1) それぞれのサインの力および特性を星座内の恒星から引き出している(サイデリアル占星術)。しかしながら、プトレマイオスは次のように言っている。「サインの始めは、昼夜平分点・至点から取るべきで、他のところから始めてはいけない。」

 プトレマイオスの時代には、サインと星座間には少しオーバーラップしているところがある。しかし今日では、歳差運動のために、各サインはそれぞれ、前の星座に向かって、つまり後方に移動している。例えば、おひつじ座の人は、おひつじ座ではなくうお座が実際には頭上にあるというように、黄道帯を後方に移動している。

 プトレマイオスは、300年も前に歳差運動について説明をしているヒッパルコスの追随者だったので、これに気づいていたが、我々にはそのことを明らかにしていない。ヒッパルコスの時代には、春分点のおひつじ座の9度にあったが、300年後、つまりプトレマイオスの時代には春分点は約5度移動していた。星座の星の力を知らなければならないと言われているのに、黄道帯のサインは歳差に合わせて変えることができないのだ。一体どうすればできるのか? 間違いなく、それは無理だ。

 だからプトレマイオスは、そのことを星座とサインの間で宙ぶらりん状態にし、決定しないままにしている。これが『テトラビブロス』の大きな欠点で、そして『アルマゲスト』内の天文学の間違いとも関係があると思う。[このようにスチュワートは書いているが、具体にどこを指しているのか不明。アルマゲストの「間違い」を正しく見抜くのは容易ではない。]

 (2)二番目の問題は季節に関するものだ。季節(夏至・冬至・春分・秋分の出発点)は緯度によって変わる。プトレマイオスやメソポタミアの書物に記述されたものは、約6度のベルト内に位置している:つまり北緯30°1/2にあたるペルシャ湾の先端にある古代都市バルサから、その少し上、イラク領土内の北緯36°1/2にあって現在では存在しない都市ニネヴェまでである。これらの緯度の北と南では、季節は、少しではあるが、変化する。勿論、春分点と秋分点、夏至と冬至点の両側でも変化するので、もはや季節は星占いの季節のサインに一致していない。世界中の多くの地域で一致しない。

 (3)三番目の問題は、ホロスコープ作成には誕生時間よりも懐妊時が優先される点だ。懐妊時間については、懐妊後4-5日間は懐妊を知ることができない(この事実はプトレマイオスの時代には正しく理解されていない)[スチュワートはこう言うが、テトラビブロスには、その時刻を求めるのは困難と書いている。だから、誕生時でやっても良いとしていたと思う]上昇サインは一時間半毎に変るので、ホロスコープの意味が十分ではなくなるだろう。

 (4)もう一つ別の間違いは、同種の種類のサインと異種のサインに関するものだ。プトレマイオスはそれを次のように指摘している。「スクエア(90度)とオポジット(180度)は、違う種類のサイン(男性・女性)から成り立っているので、不調和である。」これは衝オポジションに関しては正しくない。衝オポジションの場合は常に同じ種類である。例えば、ふたご座はいて座と衝オポジットになっているが、2つとも男性サインである;おとめ座はうお座と対面しているが、2つとも女性サインだ。等等

 (5)最後の奇妙なコメントは、「全般」のホロスコープ(国や人種のホロスコープ)が、個人の出生より優先されていることだ。これは、占星術の約95パーセントを否定することになってしまう。[これはスチュワートの言。当時もそうだし、ケプラーの時代でも占星術は王侯貴族のもので、何と言っても戦いでの勝利を占うのが最大の仕事だった。その次に彼らや家族の個人的なできごとが続いていた。]


プトレマイオスへの評価

 前に言ったように、プトレマイオスについてほとんど知られていない;また、彼の動機を適切に見極めることは不可能ではないにしても、困難だ。彼は、かなり、我を持っていたように見える。彼の指導のもとに、彼の主義を記入した祈願の石碑がカノープスの寺院に建設されていた。彼が占星術をやったという証拠はなく、ホロスコープを作成した形跡はない。

 『テトラビブロス』にはある不安が付き纏っている。オニールはプトレマイオスが考え出したのではなくて「報告している」のだと評している:つまり、「逸話の類の証拠さえ提示しようとしない受け入れ知識だ」と。ブリタニカ大百科事典の1973年版の占星術セクションを書いたファリントンは「プトレマイオスは熱心にこのシステムを擁護しているが、現代の読者ならその文献証拠に当惑、いや悪意さえ感じるかもしれない。また紀元1世紀と2世紀のローマ帝国によって占星術が受け入れられたことに言及して、この時代は占星術的な見方に抵抗しづらかった」と指摘している。

 問題はプトレマイオスの天文データからも起こった。数世紀もの間、天文学史を研究する人たちはアルマゲスト中のデータについて心配していた。しかし、プトレマイオスが偉大なゆえに顔を背けていた(ソクラテスなら誰に対してだろうと、真実のためには叱っていただろうが)。時が経つとともに数字が細工されたのではないかという疑いが生じてきた。最近の分析によって、仮説に合うように数字が実際に歪められた(ちょっとした間違いではなくて重罪に近い)と結論されている。1977年には、プトレマイオスのデータを調査した地球物理学者が、の彼の資料のほとんどが詐欺であると結論を下した。地球物理学者がノーカット本『クラウディウス・プトレマイオスの犯罪』を書いたことが大きな不安をもたらした。

 しかし、理論に適合するようにいくつかの数字を歪めた古代の天文学者/占星術者、そして数学者にどうしてそんなに憤慨するのかと、思う人たちもいることだろう。答えは、「ソクラテスが忠告したように、彼が真実を追求し、正確な数字を与えていたならば、コペルニクスが1400年後に太陽を中心とした太陽系を明らかにするまでに、1人か2人の同学者が太陽を中心にした太陽系を明確にすることができたかもしれない」ということだ。

 道具はすぐ手の届くところにあった。アリスタルコスは太陽中心説を示唆していたし、ヒッパルコスは歳差について記述していた。道具は利用可能だった。しかし、プトレマイオスはそうしなかった。なぜか? それは分からない。我々は、彼がヒッパルコスの熱心な支持者だったことを知っている。実際、ヒッパルコスの原稿はプトレマイオスだけが残してくれた。また、恐らく、彼は政治的な影響を受けたのだろう。地球中心説を否定し、そして太陽中心説を主張することは政治上危険だったかもしれない。

 改ざんされた天文学のデータが占星術にどのような影響を与えたか?占星術者たちが使用している天体の運行学はプトレマイオスのデータをベースにしてしているが、そのデータの多くは正しくない。(例えば、歳差を扱わなかったことで、サイデリアル(実際の星座に基づく)占星術者と従来の占星術者間に争いを生み、今も続いている。)さらに、不正行為がなされたのは、他の動機があったのではと疑わせる。プトレマイオスはなぜカルデア人の莫大占星術データを収集したのだろうか?本当に占星術に感心があったのだろうか?たぶん、そうではなかったのだろう。


■福島:コメント

 ここにはスチュワート独特の見解が披歴されていて、相当手厳しく評価している。しかし、誤解もあるようだ。第一に、プトレマイオスはテトラビブロスを全部自分が考えて、考えたとは書いていないし、あれこれの文献を参照したことは歴然としている。アレクサンドリア図書館のパピルス文書を漁って材料を集めたのだろうというのが現在の大方の見解だ。

 アルマゲストの中の星のカタログでは、約1000星の観測を自分で行ったかのように書いているのは確かに奇妙。その仕事だけで一生を費やすほどの量だから、そうおいそれとはできなかった筈だ。そこで、これはヒッパルコスのデータを300年分移動させて(歳差分)、プトレマイオスの時代に合わせたというのが、現在の大方の見解のようで、こうしたことを持って剽窃という人たちがいる。プトレマイオスはヒッパルコスやチモカリスらのデータと位置の比較などを行ったとし、参照したことを明記しているし、全部の観測を自分が行ったとは、書いていない。だが、この一件で評価を落としたことは確かだ。

 プトレマイオスがアルマゲストに用いた基礎データは紀元前700年ほどからの約1000年分で、自分の観測も多少加えている。正確な暦作成には大昔の観測データが必要で、それを古いバビロニアのデータに頼らざるを得なかった。大した観測器具も時計もない時代のデータである。また、タイプミスもあったろう。不正確なことは夥しい。しかし、それは細工されたデータとは違う。この面での調査結果を寡聞にして知らないが、データの細工が皆無だったとは言い切れないとは思う。ただ、データを細工したとしても、そもそもが信頼性に乏しいデータなのだ。それで作ったプトレマイオスの天体運行論だから不正確で、やがて批判されることになったわけで、データを細工したから立派な理論ができたわけではない。

 テトラビブロスでほとんど歳差に言及されていないことはその通りである。プトレマイオスは歳差自体は良く知っていたから、意図的に落としたのだろう。占星術ではそれで良いと思ったのだろうが、明示しなかったことで混乱を招くことになったのは確かだ。

 本文にもちらっとあるが、当時の政治情勢や社会情勢も見なければ、適切な評価はできないのではないかと思う。


プトレマイオスの業績

  1. ギリシアの数理天文学について最初の、最も包括的な論文(アルマゲスト)を書いた。
  2. その時代までにあった占星術の知識をすべて収集した(『テトラビブロス』(四元の書))。
  3. またヒッパルコスの仕事を継続し、(ヒッパルコスの850の星に加えて)178の星の位置をマッピングし、また(ヒッパルコスのものをベースにして)48の星座をリストアップした。
  4. 天体観測に使用された道具を記述した。
  5. ヒッパルコスが計算した月までの正確な距離を受け入れた。
  6. 『光学』の中で、光の屈折について議論した。
  7. 彼の本『地理学』で、当時の名高いローマ軍の行軍に基づいて地図、緯度、および経度を作成した。
  8. 和声学について革新的な本を書いた。

プトレマイオスの間違い

  1. 周転円に関する正しくない理論およびアポロニオスヒッパルコスの理論に基づいて、地球を中心にした宇宙説を永続させた。
  2. アリスタルコスの正しい太陽中心説を無視した。
  3. 春分点歳差運動を適切に利用しなかった。(福島:テトラビブロスには明確な言及がないだけ)
  4. データを操作、歪曲し、かくして14世紀もの間天文学を混乱させた。(?)
  5. 地球の大きさに関して、エラトステネスが推定したより正しいサイズ(25,000マイル)ではなく、ポシドニオスの(18,000マイル)を受け入れたことで、地図上の緯度、経度で大きな間違いを犯し、それが長きに渡って続いた。(そしてコロンブスがアジアへ航海した時、正確には11,000マイルだったが、3000マイルの航海と思った。もしそれが11,000マイルだったなら、彼は試みていなかっただろうと言う人もいる。)
  6. 『テトラビブロス』に説明されている星座とサインと季節の関係のような基本的特徴は不適切。

プトレマイオス以降

 プトレマイオスヴァレンスの後に、占星家および哲学者/占星家が多数現われている。ポルフュリオス(232-305)はギリシアの新プラトン主義者だった。アレキサンドリアのパウル(378年頃)は、アレキサンドリアの衰退期に占星術の講義で使用するポピュラーな教科書を書いた。あまり知られていないその他の人物では:テーベのヘファイスティオン(380年頃)、パルカスPalchus(500年頃、おそらくエジプト人);レトリウスRhetorius(紀元500年頃);そしてジョン・リダスLydus(550年頃)(この人はユスティニアヌス1世の下で実際に占っていた)。プトレマイオスの著書は持続、維持され、アレクサンドリアの数学者パップスPappus(260)やアレキサンドリアの数学者で天文学者であるテオン(364)が言及している。またギリシアの数学者プルクロス(460)は『テトラビブロス』を分かりやすく書き換えている。

 西暦5世紀以降占星術占いは衰退し、ヘレニズム文化の占星術がイスラム教によって継承された8世紀に復活した。イスラムの知識人アルブマザールAlbumasar(787-886)は占星いの哲学的・歴史的正当性について詳細に述べ、また西洋にその知識の紹介する上で貢献した。

福島憲人・有吉かおり



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