図18: シッパル出土の太陽神の粘土板(紀元前860年)。 著作権:大英博物館。レプリカは大阪市立科学館で見ることができる。
小史
紀元前13世紀、アッシリアは拡大し始めた。紀元前729年、アッシリアはバビロンへ侵攻し、マルデュックに代わって、アッシュールを神々の中の神とした。サルゴン2世が王位につき、紀元前717年、ニネヴェの北にサルゴン砦を築き、ここに大寺院、ジグラッットと多数の粘土板を納めた書庫を作った。アッシュールバニパル(紀元前669-630)はニネヴェに大図書館を建設し、そこにシュメール語とアッカド語で書かれたあらゆる楔形文字文献を系統的に蓄積し始めた。古代の天文学と占星術の発達についての私たちの知識は、ほとんど、この大コレクションから得たものである。
占星術の発達
アッシリアの神殿は、基本的にバビロニアのものと同じで、違っていたのはそれまでバビロニアの神々の長であったマルデュックに代わって、チグリス川の西の土手沿の都市アッシュールの神、アッシュールが、最高神になったことだった。イシュタルがその次に重要な神となった。マルデュックはエンリル、すなわちベルの力を吸い取った(その後、神はベル-マルデュックと呼ばれ、そして最終的には、接頭辞「ベル」が脱け落ち、結局、マルデュックとなった)。
シッパル出土の粘土板(図18を参照)には、神の権威をシンボル化したロッド(棒)と輪を手にし、天幕の下で座っているシャマシュ(太陽神)が描かれている。シャマシュが座っている腰かけを支えているのが雄牛人である。その上方には、太陽と月と金星のシンボルが見えるし、神の従者に支えられたもう一つ別の太陽のシンボルも描かれている。
最初の頃、星占いによる予言は月の位相と関係していた。アッシリア人のもとで、オーメンはとても重要なものとなり、天候や地震やいろいろな大災害と関連づけられた。そのエレメントは都市国家の作物のでき不できに影響した。オーメンは、戦況が国家にとって好ましいか、不利かも教えてくれた。
正確で矛盾のない暦という、かつての悩ましき問題は、紀元前8世紀、ついに克服された。(後のセクションを参照)。星図は正確に描かれ、また、最終的に黄道帯の星座(占星術で言う黄道十二宮ではない)が天の規則性を示すものとして作れた。正確な惑星運行表が作られるようになったことに加え、これら2つの要因が先にあって、紀元前5世紀、ホロスコープが発明された。
神とされていた惑星には周期的で、すさまじい、決定的なパワーが与えられ、特別に明るい星には神々と同じように他にはない能力が付与されていた。天体を擬人化する傾向はおさまっていなかったし、ローマ時代になってもおさまる気配はなかった。
福島憲人・有吉かおり
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