五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

宗教の目的と役割とは

宗教の目的と役割とは
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真に人が救われるには何が必要か

世の多くの宗教家たちが、不幸と思われる大衆に向かって発する言葉は、「あなたを救うにはより多くの献納が必要です。僅かばかりのさい銭ではとても救われないことでしょう。」と、云われています。

寄附、奉納、さい銭など金額の多寡によって救われ方が異なるか

私たち人間は肉体のみだけでなく、高次元的な多重多層階に存在する複合体であるわけですから、本当は三次元の現世界のみへ義務を果たすだけでは不足しています。
つまり、高次元の世界への義務を行うことが世の中へ奉仕とか貢献であったり、神社、仏閣への献納・奉納とか平和の祈りとか、社会事業への寄附、或いは奉仕活動(ボランティア)という行為になって現れるのです。
これによって人は始めて真の幸福生活を送れる権利が発生すると言えるでしょう。

奉仕をするにしても2つの方法があります。身体を使うような奉仕活動と金品を寄附や奉納する行為にです。
ここで大切なことは、多くの資産を持ち、且つ多くの所得がある人と、他方では資産もなく借家やアパートに住み所得の少ない人とでは、当然の事ですが、寄附とか奉納するにしても身分相応として分量の差が、当たり前の様に出る訳です。
この事は昔から云われている「長者の万灯、貧者の一灯」と云う事と同じです。
大企業が社会事業の財団などを創り、世の中へ貢献や寄附の奉仕をする行為は大変に意義あることです。

御利益を目的とした信心、寄附、奉納、奉仕では心が通じない

特記すべきことは、献納などに当たり、その時の心遣いも大切なことです。
例えば、名声で行う人もあり、不安や心配を取り除くために行う人もあり、お陰信仰の様に願望・祈願の成就を期待(見返りを求める)する人もあるなど様々で、純粋に感謝の心とか、世のため人のためにと思う、真心の気持ちを占める割合が少ない事なのです。
目に見える金額とか奉仕の多寡ではなく、どれだけの真心を込めることができたかということが大切なのです。
目先の御利益を目的とした信心では高次元の世界へ心は通じないものです。真心の少なかりしを恥じるべきでしょう。
それぞれの人は個人差がありますから、あなたはこれだけの献納をして下さいとは簡単に言えないものであり、強要も同様に意味のないものです。

宗教の目的とは

宗教家やその団体活動の目的は本来、諸聖人の示された神仏に基づく教えの真理・倫理を知らせる、伝道と灯明を点すという愛行であったのです。
そして伝道者自らが真理を学び実践しつつ体得して、それ(慈悲・利他の精神)を伝道により他者に移し植えることで、その方もまた真理を学び実践して体得し、その方の精神を利己心から慈悲心に立て替えさせ、自発的に愛行へ気付かせ目覚めて人心を開発して救済する事でしたが、一部には道を誤り矛盾もあります。
本当の愛行とは、人心の開発であり人心の救済でなければならない訳です。
つまり、総ての愛行の内で、その人を神仏の心(真理、倫理)に導く様な愛行を実践することを持って、最大の価値ある愛行とするのです。

但し、愛念だけでは人間を本当に進歩向上させることは出来ません。
正しく導くために具体化する高次元の智慧(方法と教材)が必要になって来ます。
諸聖人の示された神仏に基づく共通した教えの真理を体得して、実践することで意識と言動は高尚となり自己と神仏(高次の自己)の一体感から、人心は開発される事で霊性に目覚めたり、さらに神性に覚醒して行くことで、日々の生活はあらゆる点・面に於いて神仏(ハイアーセルフ)から、十全の護りを受ける事になります。
愛行で導いたその人もまた真理を学び実践して体得し高尚となり、自発的に愛行を実践する様に気付かせる事から心が救済されて、その人の悦びは尽きることが無い訳です。

利己心から出たカルマを浄化していると、物事はきわめて円滑に進むことが出来ると共に、自らの品性を高めて徳も積むことが出来るのです。
この様に人々へ真理に導く愛行のことを「無尽灯を捧げる」とも言います。
慈善事業で金品などの援助のみの恩恵では不足であり大きな誤りが生じますから、それと共に先ず真理に導いて人心の開発として感謝の心や報恩の心、慈悲の心などを移し植えることも人助けとして必要な訳で、それらの人々が真理を学び実践して体得することで、心が救済される様になります。

但し、真理の話は皆と共同的に聴くことは出来ても、人格や品性を高める聖人の教えに基づく真理の実践は、各自の霊的なレベルや徳の分量を始め、思考や習慣などが違いますから、同志と共同に行なうことは出来ないのが普通で、勇気のない人には真理(倫理)の実践は出来ません。

偽善的な宗教
巷の独善排他的で偽善的な多くの宗教には民衆を幸福へ導くためだと称して、宗教団体や宗教家(教祖)の偉大さや権威を示そうと必要以上に巨大で絢爛とか華麗な崇拝像や建造物を築いたり、人や金集めの大イベントを計画実行したりします。
物質的な誘惑や罠に嵌り天命を忘れて活動が他の宗教を受け入れず勢力・派閥争いを始め、教団の囲いや勢力拡大とか偉大さの権威の誇示とかに傾きました。
宗教では愛行として奉仕の布教活動を勧めていますが、実態は信者を獲得する普及の勧誘に成り下がって目的と真髄を忘れています。

さらに、専任のセールストークに長けた巧妙な話術で、真理に疎い大衆の目を晦まして信者を獲得したり、或いは信者を惑わしたりして、多額の奉納金を要求して教団の勢力を伸ばすこととか、利益を追及しようと躍起になっている一部の団体もあり遺憾に思います。
信者や教義を受けた民衆は毒され宗教に対して不信に陥ってしまいました。
これではシェアの拡大や利潤を追及する企業や営利を目的とする団体と何ら変わらない様で、聖職を忘れた利己的な運営であるとも言えます。
この様に自己の利己心に駆り立てられて物質的な権力・権威とか金品などの利欲に夢中になれば、自然の法則(適者生存の原理)が働いてサイ情報網系を通してフィードバックされ、年月を経れば誰であっても何時か没落していくのです。(関連:本当の救済)

真理を学び実践する光明思想の必要性は、利己的な本能は人間の天性でありますから、これは教えなくても自然に知っている(邪悪な想念からの囁きもある)ものでありますが、徳を積むような真理(法則)は教えても行わない不心得な者が多くて、普及させるには極めて困難な事業であります。と、モラロジーでは言われています。
本ブログの様に真理(倫理)のお話しを紹介して皆様にお伝えすることも、奉仕活動に相当します。
関連:聖なる目的
私たち人類の文化生活に役立つ進歩や発展のための道具とか幸福や平和のためになる、建設的な目的にのみ使わなければならない訳です。

お経、念仏、題目を唱えれば本当に救われるのか(当旧会報1990年2月号)

「般若心経、法華経、阿弥陀経、阿含経、観音経、大日経、維摩経などの経典を何遍も唱えようと、真理を知り理解して実践が伴って心(魂)が浄化向上されて品性を高めないことには、解脱はできず真に救われることはありません
つまり、経典を唱えることが解脱をして人の救われるための絶対的な条件ではなく、大切なのは心(精神)の在り方を第一に考えなければならないのです。
本来、経典は真理を書き記した書物であり人生の指針となる存在であったからです。
人間は神仏の子の自覚を持ち重要な一つは、自分の周囲を取り巻く境遇や環境の事物は総て自分の責任である。ということです。
経典を唱えることが解脱をして人の救われるための絶対的な条件ではなく、大切なのは心(精神)の在り方を第一に考えなければならないのです。

それは、人間は永い輪廻転生の中で自分の魂レベルに合った様々な環境、境遇を選んで生まれ来て様々な体験を通して学習を終えて、魂・霊性を磨き人格を向上させる訳です。
釈尊は「一切の苦しみは無明から起こる」と説かれましが、無明とは人生を正しく生きる術、つまり知る智恵(真理、心の法則とか自然の法則)を持たないことを言うのです。吾、唯、足るを知るでしょう。
だから、真理を知らせる伝道という愛行が先ず必要になります。
真の解脱とは、歴史、時代、人種、民族、場所を越えた普遍的な真理(神理、正法、倫理)を基準とした教義を学びつつ実践して体得することです。行動を伴わない空念仏では空論と同じです。

運命が改善される度合いは人により違う
一般に献納、寄附、奉仕活動などの行為は人間の運命を改善する働きはありますが、他人と同じ様に行っても同じ様に進展しなく良くならない人もあります。
現実の世の中で実際には、人はそれぞれに於いて運命が千差万別と複雑で皆は違う事であり、過去からの業因縁(カルマ)の差にも関連があり、精神作用(心の在り方)も皆個々に異なるために同じ様に働いても、環境や境遇の変化する度合いが同じにはならないのです。しかし、失望することはありません。

幸運を招く先祖供養で救われるのか

この世には、目に見えぬ不思議な一本の運命糸があります。この糸はあなたの運命を導き家運を栄えさせます。
私たちの好運は我が家のご先祖まつりを確りやっているかどうかに、大いに関係があります。つまり、先祖供養はあなたの人生を支配し運命を左右する働きがあるのです。
私たちのご先祖様は霊界において子孫を守って下さっています。
それは父母が我が子をいつも思い守り助けて下さる様にです。
父母が繁栄成功し実力者になって行かれるに従って、親の七光りで子供を守り導く力を倍増していきます。

その様に霊界で修業・修練しておられる、ご先祖様の霊・魂が向上して神通力を増して行かれると、私たちを守護する力も倍増します。
従って、私たち子孫が何かで迷ったり行き詰まったり危ない場所へ行こうとすると、不思議な虫の知らせや或る霊的な導きでそれを乗り越えたり、危険を免れる様に導いて下さいます。
イエスは「人はパンのみにて生きるに非ず、神のコトバにて生きるなり」とおしゃられています。

私たち人間の本質は霊・魂でありますから現象界でも霊界でも、肉体を持っていようが霊身のみでいようが、霊・魂は愛念や愛の祈りとか供養される、真理のコトバ(法力)を食べて生きているのです。
この事は非常に大切な事柄であり、霊界のご先祖様は子孫から供養される聖典や経典の真理によって、霊・魂が豊かに進化向上して行かれるのです。
子孫の皆さんが真理を学ばれて実践し体得し人格・品性が高尚になれば、ご先祖様も感化力により霊界で霊・魂が進化向上されて、家運も改善します。
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