五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

真理で利己的な社会機構を改革する 社会機構の現状 真理の体得と実践

生存競争に勝ち昇進する生き方シリーズ ビジネス・マインドシリーズ
当旧HP 2002/2/16~HP移転2005/3/31---2022/8/30 ブログへ再編集して掲載
(主に霊脳研究1993年6月号より抜粋)

社会機構の現状と利己的な生き方

 私たち人間の精神(意識)作用と本能は密接な関係が見受けられます。
 人の本能とは一種の遺伝的または自己の保存を始めとして、発達や満足を要求する生得的な心身の働きであるところの、精神的な面と物理的な面の両方を合わせ持った素質を指すのです。
 つまり本能とは、人間の場合であっても通常は学習や経験によることなく、肉体上または精神上(感情等)の先天的な素質に由来するところの、身体的な動作または精神作用を意味するのです。
 ところが、今では物を識別する能力とか、ある一定の目的を持つことなども本能的な動作の中に現れるのを見い出していますから、無意識による単純な過程だけでなく、多分に知識やモラルの要素を含んでいるという意見で一致しています。
 昔の精神科学では、人間の本能に関する研究が幼稚でありましたから、人間の精神作用と行為ならびに人間社会において、因習的に発達してきた種々の学問や知識を始め、モラル、信仰、主義、風俗、習慣、制度、法律などは、主に人間の自己保存の本能からくるとか、または、その延長線上の結果であって、利己主義的なものであるということがハッキリしなかったのです。

 ですから、このような因習的な個人の利己主義的に基づいて出来上がった社会機構を改善するにしても、これだというような確立された標準が見つからなかったのです。
 つまり、人間生活についての全ての確固たる生き方の標準が分からなかったのです。
 従って、現在の社会機構を根本から改造して、個人や団体(組織)における真の安心や平和と発展や幸福を、実現させる方法が判明しなかったわけです。
 そこで多くの人は、2022/4/9「社会の階級制度と適者生存競争に勝つや社会の階級と生存競争に勝つ法則」のような、事情に基づいて発達してきた現在の社会機構に、多少の疑問や矛盾を感じながらも、殆ど完全な機構だと誤解してしまったのです。
 ここで、人類史の発達を生態学と人類学を始め、考古学や社会学および、あらゆる歴史の上から見直すならば、その発達の原因は自己保存の本能だけでなく、知的本能とモラル的本能ならびにその延長線上にある、様々な知識とモラル心にあるのです。
 さらに、その間に世界中で出現された諸聖人の教説と、感化とを受けて現在に至っているわけです。
 一般にモラルと云われるものは、社会生活において一人一人が自らの務めとして悪(暗黒面)を退け、善(愛念)を行なうことが大切であるという考えが生まれたことを、基本として始まりました。

幸福の探究と真理の実践で高尚となり体得し人格を高め徳を積む

 人間の精神的な要求は、原始時代から絶えず次第に向上してきています。
 始めの頃は神とか仏とか聖人とかの人格を尊敬してこれを拝んだり崇めたりして、これに向って願望とか幸福などを祈っていたのです。
 ところが人知の進歩と共に何時の間にか文明人の間には、ただ単に神仏とか聖人とかを拝んで、これに安心や平和や幸福や富を求めてみたところで、本当に効果はないのではないかと疑う者が出て来て、東洋にしても西洋にしても宗教の権威が次第に衰えるようになりました。
 そして知識階級の中には、単に拝んで願望や安心や富や幸福を求めるだけにとどまらず、諸聖人の示された神仏に基づくモラルや倫理である、真理を学んで実行して体得することが、真の幸福を享受する最善の方法であろうと考える者が出てきたのです。
 しかしながら、当時はモラルや倫理の原理が十分に明らかにされなかったために、幸福実現の効果が信じられなくて、実践する気になる人が少なかったのです。

 この点、モラロジー(ニューモラル含む)は、人類進歩の要求に応じて生まれ出た科学的な思想でありますから、人類にとっての真の安心・平和・豊かさ・幸福を享受できる原理を研究して、真理や倫理を学び実践する効果を合理的に実証して、確実な方法を学問として人類に示すことが出来るようになったのです。
 ですから、モラロジーを当初は最高道徳とか道徳科学と呼ばれていました。
 モラロジーでは、人類社会の中で歴史的に発達してきた、人間の利己的な精神に基づくモラルを「因習的モラル」と呼び、これに基づく精神作用とか言葉や行為とか団体組織には、根本的な欠陥があり不完全であって、人類の真の安心・平和・豊かさ・幸福の実現には適さないのです。
 因習的モラルは形式的には実に立派に見えたところで、その精神(心遣い・意識)は利己的ですから、一度何事かの感情または利害に反するようなことがあれば、親子や兄弟とか親友とか忠誠を誓った信頼関係者の間でも、たちまちに反目するようになります。

 従来のモラルでは言行一致と云われ、同情や深切や憐憫などは心からよりも形式的なことが多く、動機にしても思いやりの心ではなく、自分の利害や感情に基づいていたり、勤勉にしても利己心で自己の満足と利益を求めている場合が多いのです。
 親に対する孝養でも肉親感情による哀れみとか、社会の習慣上や形式的に扶養したり、あるいは養育してもらったから養うというような、単純な精神・心得に基づいていることが多いものです。
 つまり、このような従来の不完全なモラルを実践したところで、予期したような良い結果は得られないということなのです。
 利己的な思考や行動は、何時かその人自身の徳を損じて運命は落ちていくのです。
 モラロジーのような真理に叶った道(真理・倫理)は知徳一体であって、人間の精神的な生活と物質的な生活との融合する正しい目的と動機と、方法とを教える科学的な思想であり真理を仕事と生活に活かせるのです。
 つまり自らの徳を積むことと経済とは全くに一体であり、真理を学び実践して体得することにより人格と品性は向上して、高次元にある天の倉に徳を積むこととなりますから、何時か必ず真の富を築くことが出来て幸福になれるのです。

真理で利己心を除去し社会と政治を浄化し改革する

 今日のように人の生き方が混濁し混乱して、不正(不心得)者が多くいる社会に生存するためには、正直とか善や正義をモットーとするような単純な方法では、進むことが出来ないものです。
 過去に於いて諸聖人の教えにも、真理や正法(倫理)を生活に於いて具体的に実践する方法が示されなかったために、世間の一般人は自己の生存の必要性から自己の利己的な本能に訴えて、様々な不道徳的な方法を考え出してその場を繕ってきたのです。
 ところが、そのような言動をした累積の結果が至る所に矛盾や歪みの弊害を生じて、全世界的な人類相互の不信感を始め、過当競争とか食料と資源の争奪とか戦争とか、不安や不幸を引き起こしているのです。
 現在のように遠い過去から続く人間の利己心から起った社会的な弊害の中で、正面に生活して仕事をするにしても他者の生き方が混濁し混乱していますから、何に付け自分にも影響が及ぶようなこともあるでしょう。

 どうしても止むを得ない場合には不道徳の形式を黙秘して、差し支えのない範囲内だけは相手の示す要求に応じて、自らは諸聖人の教え(真理、正法、倫理)を学び実践しつつ体得するようにベストを尽くします。
 それを、周囲や他者に移し植えて人心を救済し、利己心から出た弊害を除去することに努力すると、物事はきわめて円滑に進むことが出来ると共に、自らの人格は高まり徳も積むことが出来るのです。
 このように社会が混迷して生存競争の激しい状態では、古今を問わず上から下の者まで正面な生き方は無理というものでしょう。
 特に我が国においては封建時代から続く役人と商人の関係は深く、満州国もそうでしたが、今でも事業に対する指導とか許認可とか様々な行政上の取り決めや慣例があり、官民はどうしても一体的な存在となります。
 ですから、そこに関係者の癒着が生じて賄賂とか、飲酒や会食を奨めたり、巧みに立ち回って自分(組織)の立場を保ったり、企業・団体にとって目先の利益や権利を無理に得ようと迎合とか、忖度する者が後を絶たないのが現状です。

 このような人々の言動は利己的な迎合的や忖度的の邪(醜悪)な精神であり、目的や動機は事業(利益)本位の考えが先に立って、自分の感情に合うとか、あるいは利害を同じくする場合などで、利己心とか物質中心の考えから出たものです。
 政治家・官僚と企業の馴合から結びついた「政治と金」を巡る「不正」は、時代の移り変わりと共に手口を変化させながら相次いでいるのが現実であり、庶民感覚ではどうにも納得できないことが多過ぎるものです。
 政治家・官僚と財界・業界など皆さんの人格や人生観(生き方)と倫理観が、それぞれの政策には如実に反映されるものです。
 利己的な利害関係から迎合主義と忖度により癒着や事勿れがまかり通り、金権・利権・利益優先に主眼を置くために、面倒な問題を避けたりして現状を直視したくないのかもしれません。
 だから、偏見・偏狭な考えから確かな判断が出来ずに独断的で、結果的に間違った政策を執ることになるようです。

 国会議員を始め都道府県などの政治家たちへ、企業からの献金を行なうのは見返り(利益)を求める為でありますから、賄賂性は強いものであって政界疑惑を繰り返す原因ともなっているのです。
 でも、これからは立派な政治家として政治理念とビジョンを確り持って、触覚やセンスを踏まえてモラル観や倫理観と人生観に基づいて襟を正し、正しい見方と事象の把握と正しい判断をする力量がほしいものです。
 今や次元上昇しつつある新時代に相応しい誠の政治の在り方を再検討し、高次元より降り注ぐ光明波動の作用が働いて相次いで不正が明るみになり、政界浄化をする時期が来たようです。
 新時代になると、人格と霊的なレベルが高まると共に良心や理性に目覚めて、真理を悟れると云われていますから倫理観と人生観と生き方は、自ら変わらざるを得ないでしょう。
 さらに、国会議員を始め、知事や市長とか地方自治体の議員などの定期的な選挙により年月を経れば、人格と霊的なレベルが高く自らの人生観と生き方が天意に叶う、次世代の政治家を目指す智徳ある候補者が多数に当選を果たして、合法的に新時代に相応しい誠の政治家へと次第に入れ替わり刷新されて行くでしょう。

関連記事
2022/5/20「社会の階級と生存競争に勝つ法則 適正な方法、光明思想と生活の目的」もあります。

 ※モラロジーに於ける講習会テキストと講話内容などから引用してあります。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旧HPより移転し再掲」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事