まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

常盤館 鯉の間の意匠

2023-10-10 23:50:41 | ディテール
嘉麻市、常盤館の続き。

この常盤館、素晴らしいのはお料理とお庭だけではない。二階にある部屋がすごいのだ!!
実はこの部屋の意匠を見ることが目的だった。友人がこの部屋をリクエストしてくれたのだが、
老朽化しているためここにはお客を泊めることはできないとのことで、見学させて頂いた。


魚の形をしたプレートに「ひこ」、いやいやこれは右から左に読むのだ。「こひ」=鯉の間である。
この形はあまり鯉っぽくないが・・・笑


中は一見何の変哲もない6畳間なのだが・・・


よく見ると、床柱に「鯉之間」という文字が浮き彫りされている。


そしてその下には、木目を水の流れに見立てた鯉の滝登り!木目も自然の」ものではなく完全に彫刻である。


床柱の足元は松かさのような意匠。


床脇っぽい部分の棚や床板もすべて彫刻されている。


床框は四方竹・・・と思いきや、これも木材を彫ったもの。竹の節も再現してあって、ぱっと見はだまされそう。


壁に直接固定された棚は花型というか雲形というか変わった形で、和歌のような文字が彫られている。


落とし掛けにも松の幹と松葉が彫ってあり、一部は着色されている。天井は網代模様の彫刻。


2段になった中央の床の間の床框は、これも皮つきの松を模しているのか?




天井は中央部がわずかに山型に傾斜がついた船底天井。そして窓際の半間分を区切る意匠的な垂れ壁がついており、
そこから天井の勾配が変化しているのは、茶室の掛け込み天井風のアレンジなのか??


その半間分の天井には、なんと将棋の駒が!?


窓のまぐさにも「ヒコ ヒコ ヒコ・・・」。




窓台にも鯉の姿が・・・どんだけ鯉が好きやねん!?笑
お客来い来いとか、滝登りで出世につながる縁起物として、また水とあわせて火事除けのまじないなど、
鯉は古い家によく見かけるモチーフだが、「コヒ」という文字まで装飾に使うとは、ここを建てたご当主が
相当変わり者だったのか、それとも任された職人が変わり者だったのか・・・笑


窓の外側についた欄干は波模様と網代。もちろんこれも木を彫ったもの。


2階には大広間もあって宴会もできる。こちらは特段風変りな意匠はなくまぁ普通の部屋だ。


あっ、ここにも鯉が!

常盤館の公式サイト→こちら

常盤館を出て少し走り、「みつあんきょ」を見に行く。平成筑豊鉄道の築堤に空いた3連アーチのトンネル。
正式名は「内田三連橋梁」、1895(明治28)年建造。そこをくぐるのは水路と道路だ。


上流側は石積みになっていてちょっといかつい雰囲気。水切りがついているのでもともとは全幅水路だったのだろう。


くぐって反対側へ出よう。




キツイ逆光!!こちら側はレンガ積みで、将来の拡幅を見据えてゲタ歯になっている。このレンガの外観は
未完成の断面なわけだ。
平成筑豊鉄道はもともと石炭運送のために敷かれた豊州鉄道であった。当時は筑豊地方の各炭鉱から石炭を
運び出すための鉄道が網目のように走っていたのだ。しかし石炭の時代は去り多くは廃止された。
3セクの旅客鉄道として残ったこの路線も複線化されることはなく、石積みの仕上げをされないまま今に至っている。




築堤にはいちめんカラシナの花盛り!!
若いつぼみを探して少し摘む。花もきれいだが、茹でて食べるとめちゃおいしいのだ(笑)


続く。
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嘉麻の常盤館に泊まる。

2023-10-06 23:16:40 | 建物・まちなみ
伊田から少し南下し嘉麻市にある常盤館という旅館にやって来た。ここが今宵の宿。
鉄道網の空白地で休日はほとんどバスも走っていない不便な場所だが、やはりここも炭鉱で栄えたまちで、
かつては国鉄上山田線が通っていたが、石炭産業が斜陽となり1988(昭和63)年に廃止された。


こんなローカルなところにある旅館だが、これが実に最高だった!木造旅館好きの友人がチェックしておいて
くれたもので、ここに泊まるのをメインにプランを組み立てたのだった。


外観以上に内部がおもしろい。玄関を入ると、長い廊下が奥へと続いている。




玄関脇には洋室が設けられている。現在は待合室ぐらいにしか使っていないようで。ちょっともったいないな。。
大きな戦艦の模型が飾ってあった。


さて、長い廊下を奥へと案内され、お部屋へ。途中の廊下の床は古い旅館でよく見かける那智黒と丸太の
輪切りを埋め込んだ意匠。


輪切りの木は艶があって固そう。ケヤキだろうか。


丸太に開いた穴を松に見立ててあるのも楽しい。


こっちはカエルだ!?わざとあけてあるのかな?




私たちの部屋は二階の角部屋の「梅の間」。廊下が二方に回っており、窓はすりガラスの縁取り、型板ガラス、
木製の格子、などを組み合わせてとても凝っている。


お庭全体を見渡せる特等席、いや特等部屋。他にお客はいなかったからね。
つつじの季節にはいちめん真っ赤になるという。花を楽しむために訪れるリピーターもいるという。


泊まった部屋の天井は、端から端まで、2間の長さの一枚板だ!




食事をいただいた「つつじの間」。


書院には折り鶴の組子が。


そしてお料理が絶品!!どれもこれもが本当においしくて、高級料亭にも引けをとらないと思う。
明治36年創業で現在5代目という常盤館。温泉地でもないし付近には特筆するような観光地もなさそうなのに
今まで120年、炭鉱閉山後も続いてきたのは、お料理のおいしさによるところが大きいのだろう。
特に冬のふぐ料理が名物なのだとか。またいつか食べに来たいな~


夜にはライトアップされたお庭を見下ろし、内側から照らされた障子や型板ガラスを廊下側から愛でる。
昼に見るのと夜に見るのでは印象が全然違う。この楽しみは宿泊してこそだ。
ガラス張りの廊下は外から見ても行灯のように光輝いていたことだろう。




続く。
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伊田のまちをうろつく。

2023-10-04 23:29:02 | 建物・まちなみ
料亭あをぎりからの続き。

炭鉱全盛期にかなり栄えた伊田のまちは、エネルギー変革により昭和3~40年代に炭鉱が立て続けに閉山したため、
例にもれず昭和レトロなまちなみを残している。
以前もちょろっとだけ歩いた伊田商店街を今回も歩いてみた。


田川伊田駅はJR九州の日田彦山線と、平成筑豊鉄道伊田線・田川線が合流する駅。


商店街を歩くといろんなタイルも見られる。ここは元スナックかな?今は空き家のようだ。
枯れた観葉植物がちょっと物悲しいが・・・


かけらモザイクの落ち着いた色合いがいいね。


お店は昭和なファサードやレトロなフォントの看板など楽しい。天真爛漫な時代。


これもタイル。花柄のプリントタイル。




背の高い板壁の建物が現れた。古そうだぞ。鉱滓レンガの塀もあるな。これは何だ。




・・・と思ってぐるっと回ってみると、前にも見た洋館だ!RealWorksという看板が出ていて
13年前から変わっていないようだ。旧長野写真館。戦前か戦後か。




その向かいの建物も古そうだな。。
それにしても窓のバッテンテープ貼り、台風対策なのだと思うが、、、窓ガラスにテープを一度貼ってしまうと、
これがもう本当に取れないんだな。粘着力の弱い養生テープなら簡単にはがせるだろう・・・なんて思うなかれ。
ガラス面にはなぜかベッタリ張り付いて取れなくなるのだ。要注意!!


遊廓だったというエリアを少しうろついてみる。
名残というほどのものは大してなく、旅館だったらしい建物や飲み屋があるくらい。


変わったタイルだな!立体的なデザイン。角部分は役物で仕上げておらず突き合わせなのがちょっと惜しい。。。


松の形の風穴のある塀。


この二鶴食堂の外観に衝撃!これセットじゃないよ、現役の食堂!!入ってみたいなぁ~


付近をひと回りして戻ってきたら閉店していた。あぁ~


立派な田川伊田駅舎は以前からあったが、近年駅舎ホテルが開業したとか!?
時を止めたようにレトロな伊田のまちもまた新たなツーリズムの視点で注目されてきているのかな!


車でちょっと走って九州マクセルの工場を見に行く。敷地内には旧三菱方城炭礦の旧本部事務所、坑務工作室、
機械工作室、圧気室、土蔵などの赤レンガの建物群が残る。赤煉瓦記念館は公開されているが平日のみ、かつ予約制らしく、
この時は閉まっていて道路から高い塀越しに眺めるのみ。。。


続く。
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伊田竪坑と料亭あをぎり

2023-09-26 23:24:48 | 建物・まちなみ
今年の3月に友人と九州へ行ってきたときのことを。

私はフェリーで新門司へ入り、小倉で前泊の友人とレンタカー屋で合流。
今回も料亭・木造旅館とタイルスポット、近代建築、土木遺産などをめぐる計画。

まずやってきたのは田川伊田。ランチの時間までまだしばらくあるので、伊田の石炭記念公園を見に行く。
日田彦山線は大好きだったし平成筑豊鉄道の駅めぐりをしたこともあるので、このあたりは何度も来ていて
高い2本の煙突はいつも遠目に見ていたが、間近で見上げるのは初めて。

「平成筑豊」で検索した過去記事→こちら

石炭記念公園は三井田川鉱業所伊田坑跡を公園として整備したところで、高さ約45.45m、
根元の外径5.8mもあるレンガの煙突と、高さ23mの竪坑櫓が、炭鉱のシンボルとして残されている。
ドアもあって人が住めそうだな!(笑)


1909(明治42)年に完成した巨大な竪坑櫓。この真下に直径5.5m、深さ約314m(!!?)の
竪坑があって、そこから横へ坑道が伸びていたとか。ひえぇぇ~~~(恐)


そしてこの竪坑櫓は、その深い深い穴を上り下りするためのエレベーターである。


この2段式のケージを穴の中に吊るしてワイヤーを巻き上げる。掘った石炭を運び出し、人もこれで上り下りしたのだ。
あぁ、300mも地の底へ降りて行くのはいったいどんな気分だったのだろう。。。

以前見た大牟田の宮原坑のも同じようなタイプでもう少し小さい竪坑櫓で、志免の竪坑櫓は1943(昭和18)年
完成のかなり新しいタイプ。

資料館の屋外スペースにはかわいい凸型の電気機関車や炭鉱で使用されていた機械類が展示されている。


ジオラマを見ると、今は広い芝生になっているところはかつてたくさんの建物が建っていたことがわかる。


石炭は燃やしてエネルギーを得るだけではなく、さまざまな素材の原料となり、製品となる。
黒い塊からどうやったら繊維や甘味料ができるのか・・・化学は全然分からないが、、、このような大変有用な
鉱物が地下を掘れば掘るだけザクザク出てくるのだから、そりゃ掘るわな。


しかし現場は実に過酷だ。狭くて暗くて空気の淀んだ坑内での重労働。閉所恐怖症の私は模型を見るだけでぞっとする。。。
藏内邸や、伊藤伝右衛門邸、高取邸など、豪華な邸宅を持つ炭鉱王の富は、このような粉塵にまみれた労働者の
血と汗によって蓄積されたものであり、日本の近代化も彼らの日々の労働なくしては実現しなかったのだ、と
いうことをあらためて教えてくれる。


さて、そろそろ予約しておいた料亭あをぎりへランチに。


料亭あをぎりは旧林田春次郎邸。林田春次郎は伊田村長から初代田川市長も務めた人で、炭鉱閉山後をも視野に
入れた将来の理想を掲げ、政治家として地域の発展に尽くした。


1914(大正3)年築の本館と、1934(昭和9)年築の新館からなる。
玄関があるのが本館。着物姿の女性に案内され、新館1階の個室へ。おや、洋風の階段が。2階もあるのだな。
新館は銅板葺きだったことから「銅御殿」と呼ばれ、炭都の繁栄の象徴であった。




上質で落ち着いた書院造のお部屋。


少し高みに建っているので視界が開けている。


筬欄間と透かし彫りを組み合わせた欄間が美しいな!




炭鉱のまちで迎賓館の役割を担ってきた料亭。気取らず、それでいて晴れやかな場だ。
お料理はリーズナブルでおいしかった!


食事のあと2階の見学もお願いしたら快く案内してくださった。


折り上げ格天井2間続きの大広間。1階よりもゴージャスな仕様だ。


格板は屋久杉だろうか。


広間の外側に幅1間の畳廊下がついているが、いちばん奥が仕切られて小さな部屋になっている。
丸窓を覗くと・・・


この小部屋もまた折り上げ格天井。床の間もあり窓の障子には蓮の花の透かし彫りまでついていて凝っている!
優雅な隠れ部屋だろうか。なお、大広間の床の間の横からつながっている。

お店の隣には、林田春次郎の顕彰碑が建っている。

続く。
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「旅の良書」認定書の楯が届いた。

2023-08-25 22:03:06 | Weblog
去年10月に上梓しました『日本全国タイル遊覧』(書肆侃侃房)。
おかげさまで多くの方にお手に取って頂き、各新聞の書評欄にもたくさん掲載いただいたり、
直接に間接に感想をお聞かせいただいたり、本当にうれしく思っています。
そして今年5月には、日本旅行作家協会の選ぶ第5回「旅の良書」、11冊のうちの1冊に選んで頂きました。

選出について直接の連絡はなく出版社への連絡のみで、私自身WEB上に上がっていたプレスリリースを
見た兄から連絡をもらって知ったので、何だか半信半疑のままSNSではお知らせしていましたが、
出版社経由で楯が届いて、ようやく「本当なんだ」と(笑)。

あらためまして、掲載物件のみなさま、出版関係のみなさま、書店のみなさま、読者のみなさま、
ありがとうございます!」
この本を読んで旅に出たいと思ってもらえたり、旅した気分を味わってもらえたりしたら本望です。


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