まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

鹿児島の夜歩き

2024-03-26 23:28:08 | ディテール
今年のお正月休みの旅、続き



夕方レンタカーを返して鹿児島中央駅近くの市電通りを歩いていたら、レトロなビルの1Fにお洒落な飲食店が
たくさん入っているのに目がとまる。へぇ〜いいね!上は公営住宅のようだ。半地下の店や細い隙間の奥にある店
など、構造も面白い。かなり古いしこんな大通り沿いだからそのうち再開発されるかもしれないが、、、
スクラップ&ビルドの再開発ばかりするよりこういう建物を活用する方が楽しい。
今日の夕食は予約してあるのでまたの機会に入ってみたいな。


おや、一番端っこの階段の横の店は何だろう?半地下のドアの窓越しに、真っ暗な中に点々と灯る小さい灯りが見えていて
占いの館か!?と思うような、なんだか秘密めいた雰囲気。。。。でも看板には「COFFEEとくなが」と書いてある。
夕食の予約時間までまだ1時間ほどある。もう日が暮れてまちも見えないし、喫茶店ならちょっと入ってみようか。


数段降りてドアを開けると、、、うわぁ!カウンターだけの店内はかなり暗く、そして驚くほどたくさんの花が
飾られていた!店が花に埋もれているといっていいくらい。実はこれらは造花なのだが、精巧で本物のように見える。
花の間に小さなステンドグラスの灯りがぽつぽつと点いている。魔女の館に入り込んだかと錯覚するその雰囲気に
一瞬ひるんだが、念のために聞いた「喫茶店ですよね?」との問いかけに、そうですよ、どうぞ、とママさんが
優しく招いてくれた。あぁよかった。


カウンターには常連と見られる先客が2人。珈琲屋さんなので恐縮気味にココアを頼みながら、これはもしや
超地元密着系の常連の溜まり場かも、場違いをやらかしてしまったか、、と少し気が引けていたが、ママさんに
話しかけると、気さくに話してくれる。
今のビルで15年(5月で16年)、その前は駅前のイオンが建つ前の長屋で15年営業。その前は転々と。
「以前は年配の人が多かったけど最近はインターネットを見て若い子が来ることも多いんですよ」と。
私も昔ながらの純喫茶が大好きなんだけどコーヒーは苦手なので、コーヒー店なのにすみません・・・と話すと、
そんなこと気にしないで好きなものを飲むのが一番いいですよと、とても優しい。
30分弱の滞在だったけど、おいしいココアを頂いてほっこりできた。あ〜たまたま見つけて入ってよかった。
また鹿児島来たら寄りますね!


さて予約しておいたお店へ向かいながら、ビルやお店を鑑賞して歩く。
商店街にあったこんな幾何学的な模様のファサードのお店。ぱっと見てすぐ「こむらさき」と読めるのは
我ながらすごいな(笑)


天文館本通りの脇には、グルメ通り、セピア通り、七味小路という横丁があって細い路地に小さなおしゃれな
飲食店がずらりと並んでいて面白い。こんなところがあるのは知らなかった。凝ったファサードの店が多く、
あちこち入ってみたくなる。




タイルや面格子を使ったファサードの雰囲気の似たお店がちょいちょいある。同じところが手がけたのだろう。




さて予約しておいたのは「蘇麻」という店で、以前母と妹と鹿児島に来た時にたまたま入ろうとしたら満席で
入れなかったところなのだが、ちらっと見た店内がタイルだらけだったのでずっと気になっていたのだ。
今回リベンジで訪れたら、めちゃくちゃいい店だった!


1Fのカウンター後ろの壁一面デザインタイル、天井は格天井。


2階は半個室の仕切り壁が同じタイル貼り。


厨房の中の壁もタイル貼りだ。


そして2ヶ所あるトイレもモザイクタイルが床から天井までみっしりと!シンクは笠原のタイル流しだ。







古い木材や面格子などうまく使われていて、タイルも元からあったように見えるが、聞けば全てお店の内装として
作ったものだという。へぇ〜〜!さっき見た店と同じデザイン事務所の作だろうか。

そして鶏のたたきと地鶏の炭火焼きを頼んだら、これがもう唸るほど美味しくて、ボリュームありすぎて
鳥刺好きの私でもひとりでは食べきれないほど。って、全部食べたけど(笑)
カウンターでも広々、お手頃価格でボリュームがあっておいしくて店員さんも親切。そしてタイルだらけ。
素晴らしいお店だな!




昼間に見て気になっていたビル、夜見たらめちゃくちゃかっこよかった!!


全面ステンドグラスの階段室がガス灯の行灯のよう。


今回おいしい鳥刺(たたき含む)を食べるために鹿児島に泊まった。お昼永楽荘でも食べたし昨夜のわっぱ飯の店でも
食べたので3連チャン、満足満足〜!鹿児島も何度行っても楽しいな。また行きたい。

おわり。
コメント (2)
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天文館のタイルたち

2024-03-17 09:52:48 | ディテール
今年のお正月休みの旅、続き

奄美から鹿児島に戻って天文館のホテルに荷物を預け、モーニングでも食べようと朝からうろうろ。
天文館は鹿児島の繁華街・歓楽街でありホテルの周りは居酒屋、スナック、風俗店などがひしめいている。
昭和後期に建てられた小さなビルが多く、壁全体にタイルを貼ったものも多い。
以前にも紹介した記憶があるが、この時代の歓楽街のビルはタイル使いが面白いのだ。


スナックビルの入口も朝歩きだとのぞきこんで写真も撮れる(笑)
インパクトあるデザインはイタリアタイルだろうか。


レールのような立体的なタイルをいちめんに貼って毛羽だった質感を作りだしているビル。


色付きのボーダータイルを並べて壁全体で抽象的な模様を作りだしている。気まぐれに並べたように見えるが
表現に意図があるのだろうか?


こちらもグリーン系の外装タイルの霜降りに茶系のタイルを混ぜて何か模様を描いてあるようだ。
人間にも見えるが抽象のようにも見える。


こちらもビルの外壁全体をキャンバスにして、二丁掛ぐらいのサイズの外装タイルで絵柄を表してある。
模様の部分には立体的なタイルを使ってあり、刺繍したように模様が浮き出た感じの効果になっている。


何度見てもこれが何の絵なのかは分からないのだが(苦笑)、、、
こういうふうにモザイクタイルのような使い方で外装タイルを使うのはなかなかユニークだ。

ちなみにこのビルの1Fにある貝汁とわっぱめしの店はめちゃくちゃおいしい!

こちらは全面にモザイクタイルが使われている。と言ってもこれはあらかじめパネル状にした製品と思われる。


青海波の形がまたモザイクのように見える。


こちらも飲み屋ビル。ワインレッドの大型のタイルを曲面の壁に貼ってある。


改修で貼り直したと見える店先のタイル。ランダムに線が入っているのがかわいいね。


こちらはタイルではないが、ビルの窓がステンドグラスのようにニュアンスのあるガラスをつなぎ合わせて
あり、しかも台形の凹凸になっている。中にあかりが見えていい感じ。


さて、アーケード街にある純喫茶「茶房 元」でモーニングを。


落ち着いたインテリアでゆったりした時間を過ごす。




さて旧藤武邸の様子を見に行こう。
鹿児島県民教育文化研究所が移転し建物は解体されることになったのだが、志ある方々が奔走、尽力して下さり
買い取ってくれる企業が現れたことで解体をギリギリで免れ、これから整備を経て活用されることになった。
2015年の記事


行ってみると門が開いていて、庭に重機が入っていた。座敷に面した庭園はそのままだが、それ以外の部分は
駐車場にするのか何か建てるのか。活用するには必要なことだな。。。



お隣の岩元邸のピンクの洋館はもう解体されたというニュースは見ていたが、あぁ確かに、なくなっていた(涙)

そこからランチを予約しておいた島津重富荘のカフェまでぶらぶら歩く。
市電の一日券を買ったがなかなかうまく使えない(苦笑)。


途中岩元邸もちらっと見ていく。



過去記事

島津重富荘も再訪であるが、今回ランチを予約した別棟のカフェはレンガとガラスで造られたモダンな建物。


海側がいちめんガラス張り。桜島ビューの窓辺の席は埋まっていたけど、パスタセットを頂いて優雅な気分。


以前見学させてもらった本体の建物を、可能ならもう一度見たいなと思っていたが結婚式をやっているようなので
遠慮しておいた。




続く。
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常盤館 鯉の間の意匠

2023-10-10 23:50:41 | ディテール
嘉麻市、常盤館の続き。

この常盤館、素晴らしいのはお料理とお庭だけではない。二階にある部屋がすごいのだ!!
実はこの部屋の意匠を見ることが目的だった。友人がこの部屋をリクエストしてくれたのだが、
老朽化しているためここにはお客を泊めることはできないとのことで、見学させて頂いた。


魚の形をしたプレートに「ひこ」、いやいやこれは右から左に読むのだ。「こひ」=鯉の間である。
この形はあまり鯉っぽくないが・・・笑


中は一見何の変哲もない6畳間なのだが・・・


よく見ると、床柱に「鯉之間」という文字が浮き彫りされている。


そしてその下には、木目を水の流れに見立てた鯉の滝登り!木目も自然の」ものではなく完全に彫刻である。


床柱の足元は松かさのような意匠。


床脇っぽい部分の棚や床板もすべて彫刻されている。


床框は四方竹・・・と思いきや、これも木材を彫ったもの。竹の節も再現してあって、ぱっと見はだまされそう。


壁に直接固定された棚は花型というか雲形というか変わった形で、和歌のような文字が彫られている。


落とし掛けにも松の幹と松葉が彫ってあり、一部は着色されている。天井は網代模様の彫刻。


2段になった中央の床の間の床框は、これも皮つきの松を模しているのか?




天井は中央部がわずかに山型に傾斜がついた船底天井。そして窓際の半間分を区切る意匠的な垂れ壁がついており、
そこから天井の勾配が変化しているのは、茶室の掛け込み天井風のアレンジなのか??


その半間分の天井には、なんと将棋の駒が!?


窓のまぐさにも「ヒコ ヒコ ヒコ・・・」。




窓台にも鯉の姿が・・・どんだけ鯉が好きやねん!?笑
お客来い来いとか、滝登りで出世につながる縁起物として、また水とあわせて火事除けのまじないなど、
鯉は古い家によく見かけるモチーフだが、「コヒ」という文字まで装飾に使うとは、ここを建てたご当主が
相当変わり者だったのか、それとも任された職人が変わり者だったのか・・・笑


窓の外側についた欄干は波模様と網代。もちろんこれも木を彫ったもの。


2階には大広間もあって宴会もできる。こちらは特段風変りな意匠はなくまぁ普通の部屋だ。


あっ、ここにも鯉が!

常盤館の公式サイト→こちら

常盤館を出て少し走り、「みつあんきょ」を見に行く。平成筑豊鉄道の築堤に空いた3連アーチのトンネル。
正式名は「内田三連橋梁」、1895(明治28)年建造。そこをくぐるのは水路と道路だ。


上流側は石積みになっていてちょっといかつい雰囲気。水切りがついているのでもともとは全幅水路だったのだろう。


くぐって反対側へ出よう。




キツイ逆光!!こちら側はレンガ積みで、将来の拡幅を見据えてゲタ歯になっている。このレンガの外観は
未完成の断面なわけだ。
平成筑豊鉄道はもともと石炭運送のために敷かれた豊州鉄道であった。当時は筑豊地方の各炭鉱から石炭を
運び出すための鉄道が網目のように走っていたのだ。しかし石炭の時代は去り多くは廃止された。
3セクの旅客鉄道として残ったこの路線も複線化されることはなく、石積みの仕上げをされないまま今に至っている。




築堤にはいちめんカラシナの花盛り!!
若いつぼみを探して少し摘む。花もきれいだが、茹でて食べるとめちゃおいしいのだ(笑)


続く。
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伊豆の長八美術館

2023-03-29 22:10:54 | ディテール
松崎の続き。

遅くならないうちに伊豆の長八美術館を見に行く。
伊豆の長八は、本名入江長八。鏝と漆喰の芸術家と言われる、江戸の左官の名人であった。


敷地の一角に建てられたこちらの円柱形の建物は、鏝塚。「うなぎづか」ではない(笑)。「こてづか」。
左官に使う道具である鏝を祀る施設として、伝統的左官技法を駆使して2005(平成17)年に作られた。
ちなみに「鏝塚」の文字は小泉純一郎氏の揮毫だとか。


壁はなまこ壁。軒下の壁には鶴がたくさん。


入口の見上げには華やかな牡丹の花が鏝絵で描かれていた。


美術館の入口はポルトガルのカルサーダスのようなカラフルな玉石を埋め込んだ舗装。これも左官の仕事か。
この美術館自体、長八の偉大な業績を後世に伝えるため、全国の有能な技術者により左官技能の粋を尽くして
造られたものだという。


ここ松崎出身の出江長八は、12歳で地元の左官棟梁関仁助に弟子入り、19歳のときに江戸で喜多武清に
狩野派の絵を学んだ。その末に、左官と絵画を組み合わせた独自の「漆喰鏝絵」は出来上がった。
長八の鏝絵の魅力は左官の技術の確かさだけでなく絵の美しさも大きい。


長八は江戸を中心に多くの作品を作ったが関東大震災で多くが失われた。この美術館には貴重な長八の作品が
約50点展示されている。鏝絵だけでなく若いころの絵画作品も展示されているのが興味深い。
ただ、基本撮影NGでちょっと残念。。。ここに載せている写真は何点かあった撮影OKの作品だが
ガラスに反射して撮りにくい(汗)


こちらの「富嶽」は富士山を描いた風景画だが、蔵の壁などでよく目にする鏝絵に比べると凹凸は薄く繊細。
蒔絵も施されている。


端の方をよく見ると、部分的に漆喰が盛り上げられている。


竹を模したデザインの枠も漆喰で作られていて、何と本物の竹の枝が練り込まれている。笹の葉も鏝絵で。
風景には関係ない枠に遊び心が感じられるな!


この「ランプ掛の龍」は鏝絵らしい鏝絵だな。これは旧岩科村役場のホールの天井にあったものだ。
上の縦長の鏝絵2枚「貴人寝所の図」「春暁の図」も同じ部屋にあったもの。
この建物は、岩科商社の商工会議所として1875(明治8)年に建てられ、その後岩科村役場として使用された。
現在は、重要文化財岩科学校の敷地内に移築復元されて「開化亭」という休憩所・売店となっている。


左官の道具も展示されていた。壁全体を塗る大きなものから、繊細な鏝絵を表現するための極細のものまで。
他にも漆喰の材料や土蔵の部分の名称などの解説もありいろいろと勉強になった。


敷地の一角にあった「夢の蔵」は、「なまこ壁の土蔵づくりプロジェクト」により2010(平成22)年に
建てられたもの。松崎の景観を特徴づけるなまこ壁の町家や蔵であるが、新たに造られなくなってから
当時すでに70年ものブランクがあった。小さな蔵でも新築することで一から十までひと通りの工程を全て
経験することができ、伝統技術の継承が図れる。まちの景観を守るためには補修は必須。重要なことだな!


美術館を出て、長八の代表作「八方睨みの龍」があるという「長八記念館」へ行こうと思ったら、時間が遅く
すでに閉館。残念・・・

おや、これは教会?「ギャラリー松崎」と書いてあるけど??


屋根には十字架が載っているからやっぱり教会なんだろう。それほど古くはなさそうだ。
近寄って見ていると人が出てきたので尋ねたらやはり教会らしい。快く見学させて頂けた。


日本基督教団松崎教会。教会らしくない入口だなぁと思ったら、もともと幼稚園だったとか。
そう言われてみれば確かに幼稚園っぽいな。


ここが礼拝堂。オルガンの練習をされていたところをおじゃましてすみません。


壁際に背の低い物入れなどが作りつけられているのも幼稚園の名残だ。


十字架のついていた建物の2階が旧礼拝堂だとのことで、そちらも案内して頂く。


階段を上ると、、おぉ、簡素だが今もなお厳かな雰囲気が感じられる。これも戦後の築だろう。
手狭になったのと階段の上り下りが大変なので幼稚園のホールに礼拝堂を移したという。
この空間は現在「ギャラリー松崎」として使用されていて、アート作品展などが催される。


年代物のリードオルガン。今も弾けるそうな。


鉄製の装飾が取り付けられたオルガンのペダル。


プロテスタント系の教会は建物の見学者にオープンでないのかと思っていたけど、親切にご案内頂いて感謝!


続く
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さよなら、電業会館

2022-12-25 20:50:19 | ディテール
横浜の電業会館のビルがついに解体・・・

今年の6月、平日に休みを取って横浜のホテルニューグランドへ行った帰り、旧横浜市役所を偵察がてら関内駅まで歩き、
そういえば関内駅の北側って全然知らないなとふと思い立ち、ちょっと歩いてみることにしたのだった。


おっ、なかなかいい昭和のビルがあるな、と、いくつかのビルを撮りながら先へ進んでいくと、公園越しに何やら
モヤモヤしたビルが目に入った。おや、あれは・・・
よくある水平連続窓の小規模なオフィスビルなのだが、そのファサードがどうも気になる。


公園をズバッと斜めに横切り最短距離で近寄って行くと、おぉ、おぉ・・・?なんじゃこりゃ~~~!!
水平連続窓のオフィスビルと言えばファサードは渋い小口タイルと相場が決まっている。なのに、このビルは、
ブルー、グリーン、イエロー、ピンク、オレンジ・・・・とりどりの色のタイルをわざわざ粉々に割ってそれを
再びモザイクのように集めて構成し、水平窓のガラスを挟んだ各階の壁に貼ってあるのだ。


と言っても壁いちめんを埋めつくしているのではなく、格子状の目地を残して几帳面に貼ってある。
それも水平の格子と斜め格子のダブル格子だ。何だかなまこ壁にも見えてくるな・・・
いや、それだけではない。よく見ると格子のパターンの上に何とウェーブ状の模様が浮かび上がっているではないか!
これはすごく計算されたデザインだ。絶対素人の作ではないな。。。


このクラッシュタイルはもともとは小口タイルだったものとみえる。色は一枚の中で濃淡があり味わい深い。
対角線できれいにカットされているものも多く、単に砕いたものではないようで、どこかで使った残りなのかもしれない。
 

 

 

「電業会館」という袖看板が掲げられており、入口脇のプレートには、一般社団法人神奈川県電業協会、
神奈川県電設健康組合、神奈川県電設厚生年金基金、とある。中のオフィスに人がいるのが見えた。今日は平日なのだ。
このモザイクの設計者が誰なのか知りたくて、オフィスに声をかけて尋ねてみると、○○年史のような本を見せて下さった。
それによると、設計・監理は(株)創和建築設計事務所、施工は大成建設(株)横浜支店。
『昭和40年3月15日(月)、旧会館の取り壊しを完了し、同月18日(木)15時より、現地において、神奈川県
副知事ほか県・市その他来賓及び関係者46名出席のもとに起工式を挙行した・・・(中略)・・・落成式は、
津田神奈川県副知事、飛鳥田横浜市長以下、来賓168名、会員関係者103名出席のもとで厳粛に執り行われ、
式後、3階・4階において盛大な披露パーティが展開された。』
晴れやかな光景が目に浮かぶ。


そしてこのビルのイラストが描かれた冊子まで下さって感激!!
・・・しかしモザイクの作者は不明。ネットで検索しても電業会館のこのモザイク壁についての情報は見つからなかった。


ところで同時にショックなニュースも・・・「もうすぐ建替えになります」。ええ~~~~っ!?
「いつですか?」「はっきりとは決まっていませんが、年内には」。ええ~~~っそんなぁ!?
恋に落ちたとたんに失恋した、そんな気分。。。
こんな素晴らしいモザイクが、作者もわからないまま、瓦礫になってしまうのか!?悲しすぎる・・・


残念でならないが、ビルを買い取るお金もない(涙)。今は、壊されてしまう前に見つけられたことを
幸運と思おう。。。


ハートブレイクのまま、ビルの裏へ回ってみたら・・・
なんと、細い道に面したビルの裏側も表側と同じような水平連続窓のファサードだ。


こちら側の壁は茶系のモザイクタイル貼りで、壁全体が抽象画のような格子模様になっている。
両面が同じように水平連続窓とは珍しい。


そしてこちらには「堂ノ下ビル」とかいてあった。これが電業会館の正式名なのか、それとも中で分かれているのか?


フリーハンドで描いたような線。


その後私は大阪に帰任したが、ずっと気になっていた。12月中旬、出張のついでに様子を見に行ったら・・・
もうもぬけの殻のようで前の道路にカラーコーンが置かれていた。出てきた工事の人に尋ねてみると、
解体工事はちょうどその週から着工したといい、外観は変わっていないが内部はもう解体を始めているということだった。
悲しみに暮れたまま、あちらから、こちらから、眺めていた。去りがたし、あぁ去りがたし・・・・

12月ももうあと数日となった今、、、あの素敵な電業会館はもうこの世から姿を消してしまったのかな・・・(涙)
せめてこのブログに記録として残しておこう。


※神奈川県電業協会は馬車道の方に移転しています。
コメント (6)
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大倉集古館の道すがら

2021-05-25 23:02:58 | ディテール
大倉集古館へは虎ノ門駅が最寄りだが、安さと乗換の少なさからJRを利用して新橋駅から歩いた。
都心へ出かけるのを控えている人が多いからか、休日の昼間の新橋駅前は人通りが少ないというよりもガラガラだ。
近所のスーパーよりもよっぽど人が少ない。ニュー新橋ビルのマッサージ屋のお姉さんたちも暇そうに店先の椅子で
スマホをいじっている。商売あがったりで本当に気の毒だが・・・タイルを見るには人目が気にならないので助かる。


2ヶ所の階段は色違いのタイルが使われていた。こちらはブルー系。階段ホールの床から天井まで壁一面にびっしりと
正方形のざらっとしたタイルが凹凸をつけて貼られている。立体的なレリーフのようだ。ぽつぽつと濃い
ブルーのタイルが使われ、壁の入角の部分は役物ではないがアールをつけて丁寧に貼られている。
あぁ素晴らしい。


凹凸貼りは陰影がついて面白い表情になるのと同時に、タイルの厚みを感じることができる。タイルの厚みは
そのままそれが作られ、運ばれ、貼られた手間暇や、経てきた時間に思いを至らせる。それが建物に深みを与えるのだ。


こちらの階段は同じタイルのクリーム色バージョン。ずいぶん印象が変わるものだな。踏面と蹴上が一体で
作られた階段のデザインも優美。




エスカレーターホールにはまた素晴らしいタイルが使われている!緑がかった水色の大型のひし形のタイルと、
その半分の正三角形のタイルの組み合わせ。
エスカレーターに乗りながら写真を撮ろうとしたらシャッタースピードが遅くて撮れない・・・と思ったら
B1に素敵な壁があるじゃないの。ここなら動かないのでゆっくり撮れる(笑)。


こちらは釉薬がこってりと載っていてつるりとした質感。
正三角形のタイルをランダムに混ぜていることで大面積の壁でもパターンが退屈になっていない。


そして角の部分に同系色の役物が使われていた。立体だからだろう、釉薬が流れていい感じ。土も違うな。


外壁を組子のようなスクリーンに覆われた外観は駅のホームや電車の車窓からいつもうっとりと見ていたけど、
人の多いホームでカメラを構える勇気がなかった(苦笑)。


はぁ~~なんて素敵なのだろう!1971(昭和46)年にオープンした戦後初の再開発ビル。
今検索したら、仕事でちょっと絡んだことのある松田平田設計が設計していたのか。→こちら
商業、オフィス、そしてなんと上層階には住宅も入っているという(!)複合ビル。
住所にニュー新橋ビル10F、とか書けたらカッコイイなぁ~~


1ブロックを丸々占めるビルだからこそできるデザインだし、今のビルは下層部を高い高い吹抜けやガラス張り
にしたデザインが多いから、こういうファサードにはならない。やっぱり私はこの時代のビルが好きだ。


駅前を抜けて繁華街はさらに人通りが少なかった。
昭和50年代ぐらいまでのビルは小さな雑居ビルでも全面タイルが貼られているものが多い。


茶系と青系の組み合わせは大好き!この色合いにはもう胸キュン~~


昭和の小さな事務所ビルのガラス扉にはこういう感じの素敵な把手がついていることが多い。これは焼き物で、
ちょっと分厚いタイルとも言えそうだ。


透明の釉薬溜まりが深い淵を思わせるドア把手。


これは河井寛次郎風の、味わいのある辰砂の赤と呉須の青の組み合わせ。あぁ惚れ惚れ~~~


これらのビルは昭和4~50年代だと思う。この時代、こういう把手はカタログに載った製品として販売
されていたのか、それとも特注なのだろうか。タイルにしても、把手にしても、こういう工芸的な趣のある
ディテールが普通に使われたのはせいぜい昭和50年代までだろうな。


遠目にふと気になって近づいたビル、めちゃくちゃ正解だった!喫茶店はお休みだったけど、1階のファサード
が全面タイル!!




見て!!このまろやかで絶妙な色合いを!!「何色」と形容できない中間色ばかり、これは狙って作れる色では
ないだろう。もう火の神様のいたずらとしか思えない微妙な色差。はぁ~~~(惚)


うっとりしながら何枚も写真を撮っていたら、向かいのベンチに座っていたカップルが変な目で見るので(苦笑)
いったんその場を離れ、帰りにもう一度立ち寄って続きを楽しんだ。


あぁ今度喫茶店が営業しているときに来て中も見てみたいなぁ。


戦後の魅力的なビルや、路地があったり、こんな大谷石の塀の痕跡など、意外と古いものが残っている新橋の
まち、ちょっと歩いただけだけどとっても面白かった!
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朝倉彫塑館の道すがら

2021-05-21 23:09:24 | ディテール
朝倉彫塑館に行った前後に付近のまち歩きも少し。
日暮里駅から谷中方面へ伸びる道の両側にはお寺やぽつぽつと古い商店がある。
あめ釉とマーブル模様のふっくらタイルが貼られたおせんべい屋さんのショーケース。ディスプレーが
魅力的だねぇ~
ショーケースは既製品と見える。


向かいの佃煮屋さんは、白のストレートエッジタイルを蛇紋岩タイルで縁取り。


細い路地を覗くとレンガの塀が続いている。すべすべの焼き締めレンガに覆輪目地。今は塀の中ぎちぎちに
マンションが建っているが、元はかなり上質なお屋敷が建っていたのだろう。塀だけでも残してくれて幸いだ。




「初音小路」という飲み屋小路。時代がかった木製アーケードが残っていてそそられる雰囲気!
古くても廃れておらずお店がたくさん。いいな!
昔連れてきてもらったようなかすかな記憶が・・・


他の場所でこういう小さな路地の飲み屋街がボロボロの廃墟のようになっているのを何度も見ているが、
こんな空間は今作ろうと思っても作れないのだから、個性的なお店を入れて丸ごとプロデュースしたらいいのに。
再開発ビルなどよりずっと魅力的な立地だと思うんだけど・・・所詮マイナーかな(苦笑)


こんな銅板貼りの古い町家もあっていいね!ちゃんと手入れされ使われているようだ。


朝倉彫塑館の裏手には古そうな住宅がいくつかあった。




夕やけだんだんを下って谷中銀座の商店街を歩くと、結構人がたくさん来ている。柴又の商店街のように
もう観光地の様相。。。


ちょっと裏手に入ったら、壁にレリーフのある家を発見。これは鏝絵なのか?中央に龍、左の戸袋には
波に千鳥、そして右の戸袋には「自力更生」の文字が。なんだこれは!?


近寄ってみると、「左官科職業訓練指導員」のホーロープレートが。自立するために技術を身につけようと
いうことなのかな。


ぶらぶら千駄木まで歩く。途中で古い足踏みミシンが「要る人どうぞ」みたいな張り紙付きでおいてあって
心惹かれたが、持って帰るのは無理(苦笑)


千駄木駅から帰る前に、少し坂を上って島薗家住宅を見に行く。


現役のお宅なので塀の外から外観だけだけど、壁に変わったレリーフ模様がついているのが見えた。


安田楠雄邸庭園は、土曜日は公開日だけどもう閉まっていた。16時までだったのか!朝倉彫塑館を出て
すぐ寄り道せずここへ来ていたら15時の入館にギリギリ間に合ったかもしれない・・・あぁ計画性がなくて
ダメだな(苦)


おや、このレンガ塀は何?この奥に家があったようだな。


説明書きによると、小説家宮本百合子、旧姓中条ユリの実家があった場所で、彼女は昭和26年にここで没した。
こんな小さな旧跡にもちゃんと金属の説明プレートがつけられていて何なのか分かるのはうれしいことだ。
やはり東京都は予算があるんだなと(笑)

帰り、メトロに乗るよりJRの方が安いので日暮里駅まで戻ったのだが、このあたりも結構坂がキツくて、
変な道に迷い込んでしまい上ったり下りたりするハメに・・・あぁ疲れた(汗)
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書道博物館の道すがら

2021-05-17 21:40:08 | ディテール
書道博物館へ行った日の、道すがらのもろもろを。


鶯谷駅からすぐの「はつね」という、飲み屋さんかな。そこの壁のタイルが遠目にも惹き付けられるものがあって
近寄っていくと、めちゃくちゃきれいだった!


小口タイルなのだが、釉薬がこってり盛られ貫入や泡のような粒々が入っていたりと、志野の茶碗を思わせる
焼き物感!!縦に張られている部分と横に貼られている部分があるのもまたいいね。


グレーやベージュなど地味な色の中に混じってひときわ目を引くのが、このオレンジ色のタイル!
そしてほお紅のようなほんのり淡いピンクのグラデーション。これも窯変なのだろうか。


どの部分を見ても、どの一枚を見ても、本当に惚れ惚れとする美しさで立ち去りがたかった。。。


これは何かの店舗の入口前のポーチ部分のタイル。大小の三角形が組み合わさったモザイクタイルは
あまり見たことのないタイプだな。


黒基調のユニットと白基調のユニットを市松くずしのようにランダムに混ぜてあるのも面白い。


歩道橋のたもとにあったタイル貼りのビルは、タイルがはがれかけているのか落下防止ネットに覆われていたが
1Fの店部分のタイルもなかなか素敵な色合いだった。


こちらも小口タイルだが斑の入った豆みたいな模様がかわいいな~




歩道橋から見おろすと、カレー屋さんの建物がめちゃくちゃ薄っぺらく見える~~(笑)


一番薄いところでドア一枚分。


書道博物館の向かいにあった「子規庵」は、正岡子規がなくなる直前まで約8年間住んでいた家という。
子規の母と妹もなき後は門弟が守り続け、戦災により家屋が焼失しても元通り再建したのだとか。


鶯谷のまちをもう少しあちこち歩いてみるのも楽しそうだったが、、、このあと大移動して練馬区立美術館へ
電線絵画展を見に行ってきた。そちらは建物はまぁ普通だが、展示がとてもよかった。
今では景観のじゃまものとして地中埋設されてしまう電線や電柱も、近代化の象徴のように風景の中に現れた
当時は、人々はその目新しい造形に心惹かれただろうし、自然の風景や昔ながらの家並みとの対比が面白がられた
だろう。またどこまでも延々続く電線にはロマンを感じたに違いない。
十人十色の電線絵画に加え、碍子まで展示されているとは!!やってくれるなぁ(笑)


美術館の近くにあった家。トタン造の洋館、という感じで面白いな(笑)
帰りに中村橋駅の駅前商店街のスーパーマーケットのチェックをしに入り、いろいろ買いこんでしまった。


帰りに、どこか駅近で良さげなお風呂屋がないかなと検索すると、目黒駅からほど近いところにあるのを発見。
庭園美術館のすぐ近く!?数か月前に通ったが、お風呂屋なんてあったかなぁ!?
行ってみると、本当にあった!!すごい~~目黒通りに面して暖簾がかかっているとは!!


高松湯は、ビルの1階にあったが、なんと番台もあって柳カゴも現役の、れっきとした昭和のお風呂屋だ~~
浴室に入ると壁には豆タイルのモザイクタイル画も。


ご主人に聞いてみたら昭和27年創業とのこと。このビルは昭和50年築と言われていたが、3~40年代
ぐらいに見えるな、、、帰りにビルの入口付近を探してみたが定礎のプレートは見当たらなかった。

今の時代に、まさに奇跡としか思えないお風呂屋。生き残ってほしい!!
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岩手旅 鴬宿温泉石塚旅館のタイル

2021-04-01 23:33:04 | ディテール
2020年3月の岩手旅の続き。



盛岡でレンタカーを借りたら、今宵の宿のある鶯宿温泉へ向かおう。
鶯宿とはなんと美しい名前なのだろう。この温泉のある雫石(しずくいし)という地名もまた、
みずみずしい春を思わせる響き。
田舎道を走るのは楽しいが、知らない場所で日が暮れたら街灯も少ないし道に迷うので、暗くなる前に
宿へ到着したい。

石塚旅館は川沿いのひなびた鶯宿温泉街の中ほどにあり、細い細い坂道を鋭角に曲がって下りねばならず、
車をこすりそうでヒヤヒヤしながら何度も車を切り返してようやく建物の前の駐車スペースに到着した。。。


あぁやっと、来ることができた。学校の校舎のような横一文字の建物。中央に玄関。
この近くの国見温泉というところにも「石塚旅館」という名前の旅館があり、入浴剤を入れたような黄緑色の
温泉が湧いている。私も日帰りで1度と泊まりで1度、行ったことがある。→過去の記事 こちらこちら
そこが有名なのでこちらの宿が間違われることがちょくちょくあるらしく、予約するときに、国見温泉の
石塚旅館ではないことを念を押される(苦笑)。当然分かってますよ!大丈夫です!私には目当てがあるんです!!


わくわくしながら玄関のガラス戸をガラリと開けて入ると、床の乱貼りの水色のモザイクタイルがお出迎え。
おぉ、いいねぇ!玉石タイルのようだが見たことのない形と色だな。


内部も年季の入った木の色。部屋に荷物を置いたら早速館内を見学。
石塚旅館は、1940(昭和15)年頃に建てられたという。何度か改修されているというが、
そこここに当時のままと思われる部分も残っており、また昭和3~40年代の香りも。




さぁ、わざわざこれを見るために鶯宿温泉までやって来た、お目当てがここに。


ドアを開けると・・・うひょ~~~~っ!!!
この水色の花柄の床!!これが何と、クッションフロアではなく、マジョリカタイルなのだ~~~!


湯治宿のような簡素な宿、トイレは共同なのである。3つ並んだうちの2つは様式便器に変更されているが
左端のひとつは、昔ながらの常連さんのためか、和式のまま残されている。


日本でもめったにお目にかかれない4枚1組の大きな花柄のタイル。佐治タイルか不二見焼の製品だろうか。
京都の船岡温泉に色は違うが似た感じのタイルがあるほか、台湾の金門島やシンガポールのエメラルドヒルでも
よく似た模様のタイルがあったが、見比べるとやっぱり違う。


改修時にもタイルが剥がされなくてよかった!!


すり減ることもなくいい状態。


和式便所がいちばんタイルがよく見える。蓋があればよかったんだけど・・・穴は真っ黒なのでご容赦を(笑)




まわりの壁は白無地タイル貼りだが、上端にアイリス柄のマジョリカタイルがぐるりと巻かれているのが
おしゃれだね!




役物を使って丁寧に仕上げられた角や端部。背景のピンク色はムラがあって味わい深い。


翌朝おばあちゃんに話を聞いたところ、トイレのタイルは当時からのものだという。
岩手国体を前に改修したとか。岩手国体とは、1970(昭和45)年の秋季大会のことだろう。
時は高度成長期、国体の出場選手や観客が県内外からたくさん訪れたのだろうな。


現在70いくつというおばあちゃんはここで生まれ、子供の頃トイレのタイルを覚えているという。
お風呂場ももともとはモザイクタイル張りで、改修前は富士山や金太郎の壁画があったとか。
戦前のモザイクタイル?見てみたかったなぁ。


温泉は、国見温泉のような黄緑色ではなかったが、いいお湯だった!


朝からもまた鑑賞しにトイレへ。他にお客がいなかったので見放題だった(笑)。
あぁ、他はそれほど装飾もない簡素な温泉宿のトイレに、こんなゴージャスなマジョリカタイルが
敷き詰められていたなんて。臭い汚いイメージのトイレを明るくするには、当時はクッションフロアもないし、
鮮やかな色というとやっぱり焼き物のタイルになったのだろう。そして80年たった今もその色は全く
あせていない。


この石塚旅館、10年前の東日本大震災では大丈夫だったというが、コロナ禍で打撃を受けているだろうな。。。
心配だなぁ。頑張ってほしいなぁ。


来るとき苦労して旅館の前まで車を入れたのだったが、実は、そこまで苦労しなくても入れる道があり、
帰りは楽々出ることができたのだった(苦笑)


続く
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岩手旅 旧第九十銀行本店のタイル

2021-03-26 22:01:56 | ディテール
2020年3月の岩手旅の続き。



岩手銀行旧本店(元盛岡銀行本店)のほんの近くに建つ、旧第九十銀行本店本館は、赤レンガの華やかな
盛岡銀行とまた全然違った趣で、花崗岩とベージュ色のタイルをまとったおとなしい色合いの建物であるが、
構造はレンガ造で、ロマネスクリバイバル様式の外観はやはり銀行建築らしく重厚で威厳が感じられる。
現在は「もりおか啄木・賢治青春館」として公開、盛岡市保存建造物に指定されている。
それにしても電柱と電線がじゃまだな・・・


ライバルの盛岡銀行に対抗して、盛岡出身の若き建築家、横濱勉に設計を依頼し、盛岡銀行より5か月早い、
1910(明治43)年に竣工。
あまり知らなかったが、横濱勉という人は司法省営繕技官を務め、大阪控訴院、大阪監獄、奥多摩監獄、
東京区裁判所などを設計した。そして、愛日小学校もこの人の設計だったのか!


窓台と水切りを兼ねたボリュームのある花崗岩の部材。盛岡市内、川目産の石が使われている。


中に入ると元営業室も天井は高いが吹抜けではない。館内各部屋には石川啄木と宮沢賢治という二人の偉大な
文学者に関するさまざまな資料が展示されている。


天井に桜のマークのレリーフ。


内部は比較的すっきりしており、セセッションの影響も見られるという。


この旧第九十銀行本店では暖炉にビクトリアンタイルが使われている。日本タイル博物誌の本に載っているのを
ずっと見ていて、今回こそはとタイルを見るのを楽しみにしていた。
説明書きによると暖炉は5ヶ所あり、今でも火を入れて使えるようになっているという。順に見て行こう。

まずは喫茶室にあるこちら。木製のマントルピースに茶褐色のレリーフタイルが、コの字型に貼られている。


時々見かけるもので、人の立ち姿のようにも見え、花と葉のようにも見える、アールヌーボーのデザイン。


暖炉の前の床にはあめ色の無地タイルが敷かれている。




そしてこちら。部屋の角に作られた少し小ぶりな暖炉だが、グリーンのタイルがはっと目を引く。


描かれているのは植物模様?チューブライニングの線が白く浮き上がり、3つの円の部分はレリーフに
なっていて球体のようなグラデーションがついている。


見たことのないデザインで、これもアールヌーボーのビクトリアンタイルだ。


床には黒い無地タイル。


こちらの部屋の暖炉は壁にはタイルが貼られていなかった。
球を埋め込んだような美しい木部の彫刻。


床の無地タイルのみだが、ローズピンクというかピンクがかった茶色というか、何とも言えず深く品のある色合い。




2階へ上ろう。


階段の手すりが壁に突き当たる部分のデザインが素晴らしい!アカンサスの葉だろうか。


2階には広い総会室があるが、ホワイエのようなところからさらに階段を6段ほど上って入口があるという、
ちょっと変わったつくりになっている。


たきぎのようなデザインの持ち送り。


総会室に入ると講堂のような広い空間で、ここにもいろいろと展示されている。そして・・・暖炉があった!
1階で見たものよりもずっと大きく豪華で凝ったデザインである。
しかしこの真ん前に、カウンター机や椅子やファンヒーターが置かれ係の方が座っていた・・・(汗)


あのー、ちょっと暖炉のタイルを見たいんですが・・・おずおずと声をかけると、はい、と言って脇へ避けて
くれたが、立って待ってもらっているので申し訳なくて、ファンヒータを退かす勇気もなく、ささっと数枚だけ
写真を撮った。カウンターを暖炉の真ん前でなくちょっとずらしておいてくれたらなぁ。。


ここはタイルも他とは違い、多色使いのタイルが使われている。睡蓮をモチーフにした、チューブライニングと
レリーフ併用のいわゆる「マジョリカタイル」。おそらくこれも外国製、英国製か、ドイツ製かな?
水色がとても鮮やかできれい!




あと一つは・・・館内を何度も探して回ったが見つからない。なんで!?
2階に一部屋、締め切りの部屋があった。スタッフルームのようだが・・・もしやここに!?
係の人に聞いてみると、やっぱりその部屋にあと1つの暖炉があるらしい。暖炉を見れないですか、と尋ねたが
非公開の場所なので、と。ええーっ、残念。。。しかも一番かわいいタイルなのに(涙)
せっかくだから暖炉のある部屋は公開してほしいなぁ。。。
ということで、コンプリートはできなかったけど、4ヶ所の暖炉のタイルを見ることができた。

床下の換気口。


続く。
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岩手旅 旧井弥商店など

2021-03-16 22:55:56 | ディテール
2020年3月の岩手旅の続き。



遠目に見えた廃業店舗のファサード、あれは何だ。


あぁやっぱりタイルだ!窓下に貼られた直径8センチぐらいの大きな丸タイル。
その上の面格子も含めて、かわいらしい一角だなぁ。


店は荒廃しているがタイルは埃をかぶっているものの変わらない美しさ。釉薬のかかり具合が
様々な表情を作り出している。こんがり焼けた大判焼かパンケーキのようで、なんかおいしそう♪


道端に座り込んで撮りまくり(笑)


そしてその向かいのタクシー営業所も素敵だ!突き出した半円柱型の事務所はタイル貼り。


壁に書かれた「中央タクシー」のレトロなフォント。停まっているタクシーの星型の行灯。
タクシー営業所って都会から地方まで、同じようなモダニズムな建物が多いが、標準設計があったのか、
それとも同じ時代に一斉に流行りのスタイルに建て替えた?なんでこんなにかわいいんだろう。


蔵造りの建物が見えてきた。案内板によるとこれは「旧井弥商店」という呉服問屋の店舗だった建物。
明治末期に建てられたが、1970(昭和45)年に火災にあって屋根が落ち修復されたらしい。
壁が黒いのは火事の跡・・・でなはく、黒漆喰塗り。漆喰に墨を練り込んであるので色落ちしにくい。
・・・しかしこれは補修時に上から塗装したっぽいな(苦笑)


井弥商店という屋号は、当主の村井弥兵衛の名前からつけられたようだ。
村井弥兵衛は盛岡の実業家で、呉服問屋から味噌醤油醸造業も営み、豪商となった。
その後盛岡銀行の頭取や数々の近代化産業の重役を務め、政界にも名を馳せた。


裏手に大きな蔵もあった。こちらは江戸時代に建てられたもので、現在はギャラリー兼喫茶店になっている。
朝から何も食べていなかったのでちょっと休憩しよう。。。


1階がギャラリーになっている。床の敷石は再利用だろうか。


蔵の中にある階段にしては珍しく洋風の曲がり階段がついていた。これはしかし改修でつけたのだろうな。




2階が「一茶寮」という喫茶店。ここにもいろんな古いものが展示されているので、注文の品が来るまでの間
うろうろして飽きることはない。
食べ物はトースト類しかないということだったがボリュームのあるトーストで小腹は満たされた。






この建物ははちみつ屋さん、藤原養蜂場。近寄ってみると純喫茶っぽい喫茶店も併設していて
ジェラートも売っている。


何!?「醤油チーズ」味だって!?つい今トーストを食べたとこだが、デザートに食べてみよう~~
その他にも、そば蜂蜜というのもあって、ダブルで注文。370円ですごい量!




喫茶コーナーに座って食べてもいいですよと言っていただいたのでゆっくりと味わう。
意外で風変りな組み合わせだが、この醤油チーズ味がなかなかおいしくて、くせになりそうな味!


食べ終わってまた歩いていると、ややっ、美しいなまこ壁の長~~い蔵を見つけた。
このなまこ壁の貼り瓦は茶色っぽいな!


近寄って見ると、レンガのような質感だ。焼け具合もいろいろで、赤れんがっぽい色から
焼きすぎレンガのようなこげ茶色まで、色幅のある貼り瓦をランダムにとりまぜて貼ってある。


途中で増築したのだろうか、中央あたりから使われている貼り瓦の種類が違っているな。
こちらも素焼きっぽい質感だが対角線に溝が入っており、中央には釘穴がある。
盛り上げた「なまこ」部分の目地は細め。


この地方の蔵は角部分だけ高いところまでなまこ壁にしているのが特徴だ。建物の角の補強のためだろう。


貼り瓦は光原社の建物の入口に敷かれていた平板と同じような材質に見える。
表面にうっすらと釉薬が掛かったような艶のあるものは、自然釉だろう。
しかし、いずれも焼き締めが甘いのか、貼り瓦はもろくなっているようだ。


焼き物が水分を吸った状態で凍ると体積が大きくなるので内側から破壊されてしまう。
寒冷地である東北地方には、吸水しない施釉瓦が瀬戸から運ばれ流通していたと聞く。
現地では耐水性のある瓦を焼くことのできる窯がまだなかったのだろうか。


もろくなって表面がぼろぼろ剥がれ落ちた貼り瓦。もう土の塊に戻っている。


この横で子供がボール遊びをしていた。なまこ壁にもボールがバンバン当たる。
お~い、なまこ壁を傷めないように気を付けてね~~(汗)

続く。
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岩手旅 四季の図譜

2021-03-11 22:07:58 | ディテール
去年、最初の緊急事態宣言が出るちょっと前。早くから計画していた旅だが世の中の状況が悪くなってきていて
どうしようかと迷っていたのだが、宿に電話してみると歓迎してくれる様子だったので行くことにした。
花巻空港からバスで45分、盛岡駅に到着。数年ぶりの盛岡。ビルの間から白く光る岩手山が見える。あぁいいなぁ。
道路を渡るために地下道に降りると、私の好きな陶壁画作品がある。「四季の図譜」。やっぱり素敵だ!


今回はじっくり見てみよう。この作品は大小の四角い陶板を組み合わせたもので、春夏秋冬の四季を
表す4つの壁画に、少し小さめの1つの壁画を加えた、合計5点のシリーズになっている。
パーツは全て四角い陶板だけれど、大きさや厚みの異なるものを組み合わせてあるので凹凸がある。
白と青と、わずかな色しか使われていないが、スタンプや手描きの模様、文字や記号が書かれて
いたりと、その表現がとても面白いのだ。

こちらは四季の図譜の内、「春」。


桜の花と複雑な天気図、縄飾りなどが描かれている。眺めていると、残雪、春の嵐、雪解け水、
花冷え・・・いろんなものが連想される。


待ちわびた春の喜び、躍動感や生命感、晴れやかさ、浮かれ気分だけでなく、物憂いな気分、
まどろみさえも感じられる。子供の頃の遠い記憶が呼び出され懐かしく切ない気分に満ちてくる。


こちらは「夏」。


半分は波打った手描きの横線で埋められ、もう半分は爽やかな水色のグラデーション。
海、夏空、波しぶき。スコール、雷鳴、嵐・・・水、水、水。夏休みの記憶がよみがえる。




面白いのは、青い水の滴りとはまた違った「さんずいへん」「読点」などがちりばめられているのだ。
まさにしずくのように見える。夏のイメージを体現する文字、記号。


そして、こんなところに本物の文字も。「油町」「大工町」「本町」。秘密のメモのように
こっそり記されたこれらの町名は、実在した旧町名のようだ。


他にも数か所に記されている。目地を路地に見立てて、まちの記憶を忍ばせているのだろうか・・・


こちらは「秋」。


黄金色に色づいた草原(畑?)に、馬がうじゃうじゃと。スタンプで押した同じ形の馬が面白い
効果を生んでいる。


何かに追われているのか、何かに急かされているのか・・・無心に駆け抜ける馬の群れから、
不穏な空気、慌ただしい気配が伝わってくる。




こちらは「冬」。


丸い粒は雪かあられか。北風、木枯らし、雪遊び。鬼のようなのは風神か、なまはげか?なまはげは
秋田だから違うか。。。春を願う人々の静かな暮らし。真っ白な世界。


私の生まれ育った土地でも子供の頃はシーズンに数回は積もっていた記憶がある。窓の外の真っ白な
景色に興奮して飛び起きたものだ。翌日のびちゃびちゃの通学路は嫌だったが。。。


そしてこちらの半分サイズの陶壁画は、タイトルは書かれていないが、早春、とでも呼ぶべきか。


「冬」に描かれているのと同じ鬼が、今度は豆を投げつけられて逃げている。


節分が過ぎれば立春、暦上はもう春だ。


夏なら夏の、秋なら秋の、冬なら冬の。呼び覚まされる記憶。いつまででも眺めていられる。
素晴らしいパブリックアート。盛岡に着いていきなり30分以上この前で過ごしてしまった。

作者の村上善男という人は盛岡出身で東北を拠点に活動した画家。これは1982年の作品。
本塩釜駅でも村上善男氏のタイル壁画がコンコースの壁を飾っている。
どこか他にもこの人の陶壁画はないだろうか。あったら見てみたいなぁ。


続く
コメント (2)
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九谷焼窯跡展示館のタイル

2021-02-25 22:56:16 | ディテール
2019年秋の山代温泉の続き。


九谷焼窯跡展示館の工房の建物の中には、こんなものも展示されていた。これはタイルなのか!?
長方形、それも1:1.4というなんか中途半端なタテヨコ比率の長方形。厚みは3cmぐらいあり、
テーパーがついておらずずん胴。だいたい大きさに対する厚みの割合が大きすぎる。瀬戸の敷瓦にも磁器製の
染付のものがあるが、それよりずっと分厚い。ショーケースの下や小上がりの足元などに、こんなたくさん・・・


九谷焼のタイルって、上絵付け以外聞いたことがなかったが、作られていたんだな。この分厚い磁器の板に、
染付の青とピンクの2色で、いろんな草花や扇などが描かれている。さすがに達筆な絵付けで、この紫がかった
淡い桃色が、何とも艶めかしい色気を添えているのだ。銘なのか、文字が入っているものもある。


このタイルは、北大路魯山人に陶芸を教えた名工、初代須田菁華の作だそうだ。ピンクは「釉裏紅」という色。


現地に掲示されていた説明書きによると、これらはもともと吉野家という旅館の家族湯に使われていたタイルで、
昭和30年代に改修した際に取り外し保管していたものを、後年加賀市へ寄付されたとのこと。
ここ山代温泉には2つの公衆浴場「総湯」と「古総湯」があり、現在総湯の建っている場所に、吉野家旅館が
あったらしい。


しかし一方、明治時代の総湯を忠実に再現したという現在の「古総湯」に、このタイルの復元品が使われている。
・・・ということは、タイルはもともと総湯に貼られていたものってこと?吉野家じゃなかったの?
ちょっとネットで調べてみると、『明治16年から「九谷陶器会社」の画工長を務めた初代菁華が、総湯の湯殿を
飾った九谷焼タイルを制作したことがわかった』という記述もあった。
・・・結局、吉野家か総湯かどっちにあったんだろう??


家族湯と言えば普通せいぜい数人程度が入れる規模の浴室であり、それにしてはタイルの数が多すぎる。
やはり総湯に使われていたというのが正しいように思える。それとも、吉野家旅館の家族湯と総湯の両方に
須田菁華のタイルが使われていたのか?う~む、また今度行って聞いてみよう。


そしてさらに驚いたことに、瀬戸の印花文敷瓦を思わせる正方形のタイルや、銅板転写タイプの本業タイルを思わせる
磁器の染付タイルなど、いろんな種類のタイルが生け花の周りに敷かれていたのだ!!


これは瀬戸と同様、型で押して陰刻を作ったのだろうが、見たことのない模様。白一色のものと、模様の部分に
呉須で濃淡をつけて着色したものの2種類ある。中央部が膨らんでいて歪みが大きいので陶器っぽいな。
これらは厚みも瀬戸の本業敷瓦と同じくらいでテーパーもついており、言われなければ本業敷瓦の新バージョンと
勘違いしてしまいそうだ。。。(汗)


現地の説明書きを読むと、古九谷では陶器や中国磁器なども焼いていたということだが、これらは古九谷では
あるまい。再興九谷ではどうだったか?




染付でも瀬戸のものとは趣が異なる。


さっきの総湯のタイルと同じ素地に赤絵で上絵付したもの。


これは中国の磚にとてもよく似ているが、やはり須田菁華の作なのだという。
須田菁華は多様な技法、様式の焼き物の写し(做古作品)を作ったようで、いっときこういう磚やタイルに
興味をもっていたのではないか。総湯のタイルを依頼されたときに、研究、試作したのかもしれない。


これは磁器だろう。四半貼り用の三角タイル。


大幅に改修されている工房の建物のうちで比較的旧状をとどめていると見られている座敷。ここも見学できると
いうことで上がって見ていたら、襖の引き手が九谷焼だった。さすが!!美しいなぁ~!


さてもうタイムリミット、サンダーバードに間に合うように駅へ戻る。
時間があれば総湯と古総湯、石川県九谷焼美術館なども行きたかったが、今回はここだけ。
次回は泊まって温泉街をうろうろしよう。
夜行バスからの2泊2日の旅、あぁ今回も充実して楽しかった!

おわり。
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浮田家の敷瓦

2021-02-23 22:45:49 | ディテール
2019年の上越からの続き。



浮田家の建物内をひと通り見たあとはいよいよ敷瓦を見に、トイレへ!!広い家なので数か所トイレがあるが、
敷瓦があるのは、ひろまからつながった来客用のトイレである。
しかし、玄関の横に前庭に向かって突き出しているのだから、、ちょっと変わった場所だな・・・


おぉ~~~っ!!これだ!!


部屋から一段下がったトイレの床に、大棟山美術博物館で見たものと同じ、瀬戸の印花文本業敷瓦が、
みっしりと敷き詰められている!!
白釉と黄瀬戸の釉薬がかかった2色の敷瓦は市松模様に並べられ、何ともモダンでクール!!


・・・しかし、暗い(汗)。電気は点かないようだ。持参のライトで照らしながら写真を撮るが・・・暗い。
正面の突き当りに小便器が据えられている。黄瀬戸の敷瓦と同じ色の便器で、コーディネイトされているんだな。


ここだけ市松が崩れ、白が並んでいるのが気になるな・・・並べ替えたくなる(苦笑)


このタイプの敷瓦は江戸後期から明治中期ごろまで主に作られていたものだが、まさかこの家が建てられた
1828(文政11)年に敷かれたわけではないだろうな。民間人の屋敷に敷き詰められるのは敷瓦がもっと
普及してからではないかと想像する。おそらく明治に入ってから、奥の2部屋を増築した明治30年ごろに
トイレも改修し、この敷瓦を敷いたのではないだろうか。




あぁ見事な敷瓦の床・・・


個室の戸を開けてみると、敷瓦はなかったが染付の角型便器だった。これも明治後期ごろのスタイルだ。






お庭に面して上縁がついている。軒下の半分が土間になっていて、柱のあるところで板戸を立てられるようになっている。
これは、新潟各地で見たのと同じスタイルで雪国ならではの工夫だろう。


美しく作りこまれたお庭。


溝際の石が立てて並べられている。面白いな。


あぁここもまた素晴らしい豪農の館だった。


続く。
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楽山亭の敷瓦

2021-02-10 23:56:38 | ディテール
さて次は、、、まだコロナなど全く他人事と思っていた2019年の秋に行った旅のことを書くことにしようか。
いきなりクライマックスから(笑)


金曜の夜に夜行バスで大阪を出発し、新潟県の燕三条に降り立った。目指すは長岡市の楽山亭である。
以前新潟の北方文化博物館(豪農の館)で、あの館を建てた伊藤氏がいろんな邸宅や庭園を参考にしたという話を
聞いたときに楽山亭の名も挙がっていたので、見に行ってみたいとチェックはしていたのだが、タイル友の会の
メンバーからそこに敷瓦があるという情報を得て、確認するために速攻で駆けつけたのである(笑)。
燕三条でレンタカーの安いプランを予約していたのだが、行ってみるとかなり大きな車が用意されていて、
しかもスバルって乗ったことない(汗)。軽に変えてもらう手続きに手間取って、楽山苑についたのは10時すぎ。


目の前に立ちはだかる断崖の上に楽山亭はあった。上っていく途中の石垣は六方積みと呼ばれる強靭な積み方とか。


新しく積み直されているところもあるが、やはり古い石垣は迫力があるし安定感が違う。


露地口門をくぐって庭園へ入ると、与板のまちが眼下に広がる絶景!おそらくこのまちで一番いいロケーションに
この建物は建っている。この庭を含めた敷地全体が楽山苑と呼ばれている


楽山亭は、国政に参加した大坂屋三輪家11代当主三輪潤太郎が客人をもてなすために1892(明治25)年に建てた
茶室風別荘。大坂屋三輪家は、信濃川を利用した船運で繁盛し、金融業で財をなした大豪商であった。


建物をひと通り外から眺めたあと玄関から上がりこむ。
・・・と、カ、カ、カメムシ!!(恐)。予想していたことではあったが、やっぱりか!!私の死ぬほど嫌いな
カメムシが玄関の窓や壁に何匹も張りついているのだ。あぁ~~~しかしタイルを見るためには前進あるのみ!


幸い、少し前に行ったという害虫駆除の効果か、朝係の方が掃除をしていただいたおかげか、玄関より中には
あまりいなかった。。。おそるおそる目当てのトイレに向かい、覗き込んでみると・・・・
うわぁ~~~っ!!すごい!!


鉄絵に織部の斑点を施した敷瓦が、格子状に敷き詰められている!これは瀬戸の本業敷瓦だな。
茶道具の風炉にこういう白地に織部をかけたデザインが結構あるので、茶道具の転用なのかもと思っていたが、
側面は釉薬が覆っていないので茶道具ではないだろう。


それに寸法がずいぶん小さい。20.5cm角というのはあまり見ない中途半端な大きさだ。
そんな敷瓦がトイレの床に計32枚!!(踏み石の下にもある)
太い目地はモルタルではなく漆喰か土のようだ。建物は修復されているが、ここは当時のまま保たれているように見える。


そして、茶色い線で絵が描かれているのだが、これが全て違うのだ!


モチーフは菊や桜などの花、松やモミジなどの草木、貝やカニや亀などの動物のほか、鼓や扇や瓦、糸巻などの
モノもあってとてもユニーク!!源氏香模様まである。




絵は結構稚拙な感じのものもあり、何人かでおしゃべりしながらモチーフをいろいろ考えながら絵付けしたんじゃ
ないかと、そういう光景が思い浮かんでくる。


瀬戸製の敷瓦は、印花文の本業敷瓦や、手書きの染付本業敷瓦、銅版転写の本業タイル、磁器製敷瓦などがあり
それらが床に敷かれているのをあちこちで見てきたが、この織部のタイプがぎっしり床に敷き詰められているのは
たぶんこれまで見たことがなかった。


そして、さらに面白いものがある。
手洗い場の足元には白い玉石が敷き詰められているのだが、その中に何やらいろんな形をしたものが混ざっているのだ。


ここに速攻でやって来たのは、もちろん四角い敷瓦にも惹かれたのだが、この妙なものがタイルなのか、
何なのかを今すぐ確かめたい衝動に駆られたからだ(爆)。


近づいて眺めてみると、これも釉薬のかかった焼き物である。厚みは2cmほど。そして、床に固定されていた。
これらも材質は四角い敷瓦と同様に瀬戸の本業敷瓦と同じように思えるが・・・どうなのだろうか。


たけのこ、なす、木の葉、魚、ひょうたん・・・・ほんとに面白い、いろんな形をした縦横10数cmほどの焼き物。
何と素朴で愛らしいんだろう!!こんなの初めて見た。「形象敷瓦」と名づけたい。


ここでは目地の代わりに玉石を敷き詰めてあるが、本来は普通のタイルのように埋め込むように作られたのだろうか?


いくつかは同じ型を使って作ったと思われるものがあるが、色柄違いなどでほぼ全て違うデザインとなっている。
特注で作ったのか?あぁ、謎めいている。。。


四角い敷瓦が敷き詰められた床の端の方にも、この形象敷瓦がいくつかあった。


軒丸瓦のモチーフ。なんか和菓子みたいじゃない?


後日、瀬戸蔵ミュージアムの武藤さんに写真を見せたところ、とても興味を持たれたようだ。
瀬戸製だろうということで、やはり和菓子の型を転用して作ったのではないか、とのことだった。面白いなぁ!!


染付の便器も瀬戸製と思われる。かなり細かく描き込まれている。


そして個室の大便器も同じく瀬戸製の手描き染付である。個室内はタイル貼りではなかった。


興奮しすぎて夢中で写真を撮っていたら時間が過ぎていくのも忘れてしまった。。。
こんな風雅なトイレ、いつまでもこもっていたい。カメムシさえいなければ、、、(汗)


そして楽山亭は、トイレ以外もいろいろと見どころのある建物だ。


続く
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