まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

奄美大島のタイル墓めぐり

2024-02-29 01:08:53 | 風景
今年のお正月休みの旅、続き

フェリーきかいで早朝に奄美大島に着いて、夜にはまた鹿児島へ戻る予定。滞在時間は約13時間。
レンタカーはだいたい空港近くに集中していて、港からはかなり離れているため、名瀬のまちなかで
スクーターをレンタルすることにしていた。
どこから来たのかとバイク屋のおっちゃんに聞かれ、大阪と答えると、スピード違反で捕まる人は大阪の人ばかりだ、
こっちの警察はヒマだから取り締まりをよくやっている、制限速度30kmだからね、31kmでも違反だからね!
とさんざん念を押された(苦笑)。


さてどこへ行くか。実はあまり考えていなかった(笑)。車と違ってあまり遠くへは行けそうにないし、
山がちな奄美、長いトンネルを走るのは嫌だな~、あんまり深い山越えは嫌だな~、ということで、
名瀬から竜郷にある登録有形文化財の瀬留(せどめ)教会を目指して海沿いを走ることにした。
奄美大島には古くからキリスト教が布教されカトリック教会がたくさんある。途中にいくつかある教会もめぐろう。

1月の奄美は結構寒くて風が冷たい。。持っている防寒着を全稼働して走り出す。まちなかも車は少なく、
おっちゃんの言いつけを(というか法律を)厳格に守って30kmをキープしつつ港や海を眺めながらトコトコ走る。
町はずれにさしかかった時、何か変わったものが目に入った。何だあれは!?ミニチュアの教会堂のような形をした
コンクリート製の造形物。バイクをUターンさせて停め近寄ってみると、キリスト教徒のお墓のようだ。
こんなお墓初めて見た。すごいこだわりだな!


そしてもうひとつ目についたのは、お墓の台座などにみっしりと貼られたタイル!え~っ、タイル貼りのお墓!?
実は年末に『絶滅する「墓」』という本を読んだのだが、奄美にタイルで飾られた墓がある、という一文を読んだのを
思い出した。ははぁ、ここのことだったのか~


その墓地にはタイル墓がたくさん見られ、全体の半分ぐらいはタイル墓じゃないか!?というくらい。
どうも個人的趣味で貼ったというレベルではなさそうだ。


墓地で写真を撮るなんて不謹慎とは思いながら、興味深くてあれこれ見て回る。
その墓地には、キリスト教徒のお墓とその他のお墓が混在していたが、タイル墓に宗教は関係ないようだ。
キリスト教徒のお墓は、教会堂を模したような特殊なものは別として、長崎で見るような十字架の墓標を掲げた
ものでもなく、他と同じような形で単にタイルで十字架を表してある。


タイル墓に使われているのは主に玉石タイルの系統で、混ぜ物のパーツがかなり大きい種類のものが多い。
長方形のタイルやデザインタイルもあるが割と大きめサイズで、正方形の豆タイルなどは全く見当たらない。
いずれも昭和40年代後半~50年代初め頃だろうか。


数種類の玉石タイルを混ぜて貼っていたり、混ぜ物のパーツを取り出して意味ありげに貼っていたりと、
玉石タイルをばらして使っているのも面白い。
見ていると使われている玉石タイルはどうも特定のメーカー製に偏っているように感じられる。








うちの先祖のお墓をはじめ、私が昔から知っているお墓は、小さな区画に御影石の台座、その上に〇〇家之墓などと
文字を彫り込んだ四角柱の墓石が載っている、というもので、あたりを見回してもほとんどが同じ形をしていた。
地方に行くとお墓の形にも特色があるのは気づいていたが、ここでは五輪塔や、中国風の家型のお墓、台座だけのもの、
擁壁に囲まれた広い前庭があるものなど、いろんな形状のお墓が見られる。


その後も走りながら墓地があるたびスクーターを停めて観察。最初に見た浦上共同墓地ほどたくさんはないが、
それでも各地で数基はタイル墓がある。
どうも特定の家系の墓というわけでもなさそうだし、特定の集落だけというのでもなさそう。
宗教も関係ないようだし、特に金持ちの家の墓というのでもない。いったい何なんだろう。。。


レリーフ模様の入ったタイルを円形に組み合わせて家紋のように貼っていたり、同じタイルを1枚、まるでご神体か
何かのようにうやうやしくポツリと貼っていたり。


このタイル墓はタイル屋が仕掛けたのではないか?拡販のためにお墓にタイルを貼ることを各集落に提案して回り、
それで一時期島じゅうで流行したのではないだろうか。






本来は床に敷き詰める用のタイルを装飾として使ってある。


玉石タイルの混ぜ物パーツを中央にシンボリックに配してある。


黒無地のタイルの中に一部分玉石タイルを入れて飾りにしてある。しかも数種類の玉石タイルをばらして混ぜてある。


玉石タイルは大小のパーツをランダムに混ぜて30cmのユニットにして紙張りしてあり、連続して貼っても
つなぎ目が目立たず曲面でも隙間ができず貼れるのが利点だが、1ユニットをまるまる装飾として使ったり、
パーツを取り出して再構成して使うという、このような玉石タイルの使い方は他ではほとんど見たことがなく、
ちょっとした衝撃だった。


お風呂屋にあるような6枚組の絵付けタイルもたまーに使われていた。


興味津々のお墓めぐり、すっかり楽しんでしまった(笑)
機会があれば他の集落のお墓もめぐってみたいな!

続く
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鬼岳の風景

2023-02-28 21:43:23 | 風景
去年のGWの五島旅の続き。

ドライブの最後に鬼岳へ行ってみた。
車窓から見えるはげ山を目指して走るがなかなかたどりつけない。ナビに遠回りさせられ(?)空港を回り込んで
ようやく目の前に現れたときは思わず歓声を上げた!


なだらかな山肌には高い木がなく草に覆われて奈良の若草山のようだ。鬼岳は鬼岳火山群に属する噴石丘。
北岸を走って教会めぐりしているときは火山の様相を感じなかった福江島だが、やっぱり火山があったのだ。
南岸には溶岩が流れてできたとわかる地形も見られる。そして福江空港は鬼岳のすそ野に位置するのだな。


坂道を少し上るだけで雄大な鬼岳の風景がどんどん広がっていく。
はげ山の火口の方まで歩いていけるようだがそこまではパス。。。火口には火山涙と呼ばれる珍しい噴出物が見られるとか。
あぁ最後にこの風景を見られて満足満足!


3泊お世話になったビジネスホテルさくらは立地が抜群でリーズナブル、そして朝食がおいしい!!
普通の昭和なビルだけど、朝食会場である食堂はちょっと雰囲気があって素敵だった。


シャンデリアはそんなに古くないものの、エッチングガラスのホヤと絵入りの陶磁器のパーツが美しい。




灯数の違うものやブラケットタイプなどお揃いでいくつも取り付けられていて、朝から優雅な気分♪


福江のまちなかにはこんな家も。


あれは茶室の待合?数寄屋風?


気になったが一般の民家なので・・・


宿の近くにあった「六角井」。


中を覗くと今も青々とした水を湛えていた。


美しい石垣に魅了された福江のまち。このブログには全然書いてないけど(苦笑)食も充実していたな!




4日間滞在した福江島を後にしてジェットフォイルぺがさすで長崎へ戻る。博多で1泊してちょっとうろついてから
新門司経由で実家へ帰省。そして伊丹から羽田へ。





いちばん最初にフェリー太古の欠航というアクシデントで一瞬目の前が真っ白になったものの、首尾よく
リカバリーできてその後の予定は全てうまくいった。友人に感謝!長い長いGW休みだったな。
今回福江島中心の下五島を巡ったので、今度は上五島にも行きたいなぁ!

おわり。
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GW、五島列島へ。

2023-01-17 23:21:31 | 風景
去年のGW、長年行きたかった五島列島へ、ついに行くぞ!と友人と計画した。
九州へ上陸してからさらに船で島へ渡らねばならないし、台風の影響も大きく冬は風が強いと聞いていたので、
穏やかな季節に、日数にも余裕を持って行きたい。いろいろ調べてみるが複数の島に点在する教会を巡ろうと思うと
船の時刻や島内交通の面からなかなかハードルが高く、いつものように現地で行き当たりばったりというわけには
いかず、一部は現地発のツアーに参加することにする。
今回は福江島メインの下五島のみと割り切って福江に3連泊でゆっくりすることにした。


コロナ明けのGW、ほぼ完璧に手配して、いざ当日。行きは博多港から夜行のフェリー「太古」に乗る予定で、
仕事を終えたら福岡へ飛び、前泊している友人と博多港で合流することにしていた。
ところが・・・友人から朝イチ連絡が。
博多港から福江行きのフェリー太古が悪天候のため欠航になったと。なぬ~~~!?
夜行フェリーで翌朝福江に着いたら昼イチの教会めぐりツアーに参加予定なのだ。一瞬頭の中が真っ白に・・・
確かに前日まで季節外れの荒天だったけど、今夜ぐらいには落ち着くはずなのに、欠航だなんてせっしょうな(涙)


急遽、博多空港から長崎へ移動して泊まり、朝イチのジェットフォイルで福江へ行くルートに変更。
せっかく発売日に秒殺で押さえた太古の個室、とても残念だが、、、リカバリーできたのは冷静に判断して
即座に宿と船を押さえてくれた友人のおかげ。感謝〜!

出だしから想定外のアクシデントに見舞われた五島旅だったが・・・何とか無事に福江港に到着。カラフルな船が
たくさん停まっていて楽しいな!


3連泊でお世話になる宿は「ビジネスホテルさくら」。もっと旅情のある旅館やリゾートホテルに泊まろうと
思ったのにちょっと出遅れたため空きがなく、立地重視で決めたのだが、いやいや、とってもいい宿だった!!
何せ、朝食に五島牛が出てくるのだから(笑)
荷物を置いたらツアーの時間まで福江のまちなかを見て歩こう。


武家屋敷通りは独特の石塀が両側に延々と続いていて壮観!風格ある薬医門がいくつも見られる。
しかし風雨にさらされ朽ちてしまうのか古い建物はほとんどない。


切石積や野面積の石塀の上に卵大~こぶし大の玉石をかまぼこ状に盛り上げてあるのが特徴的。
これは「こぼれ石」と言うそうだが、かわいくて何度でも撮ってしまう。




端は半円形に整形した石で留めてあるのも珍しい。


この武家屋敷通りでこちらの松園邸は唯一建築当初の古い建物が残るというので期待して入ったのだが、、、
これ本当に古いの??説明板によると、1863(文久3)年築で、何度か修理は重ねているが藩政当時の
武家屋敷が当時のまま残されている、という。。。
現在、山本二三美術館として使われており、中は全部改装されていて壁一面に展示が(汗)。
長崎県五島市出身のアニメーション映画・美術家で、ジブリ作品も多数手がけた山本二三氏の作品や展示は
とても素晴らしいので別の建物でもっと大々的に展示する方が良いと思うし、せっかく古い松園邸は
古さを生かした施設にすれば良いのになぁ。。。


ふるさと館は観光の拠点施設だが、こちらも門や石垣は古いが建物は古くない。


火山の石を組んだ庭園は残っていて、南国っぽい雰囲気を醸している。


ほんとにこぼれるように積まれた石。モルタルなどで固めてあるわけでもなさそうだが崩れないのだろうか。




まちの中央にある石田城(福江城)は天守閣などは残っていないもののすごく立派な堀や石垣があって、
多分石垣の大規模改修などしてないのだろう、オリジナル度が高そう。野面積みと切石積が混在する石垣は
苔むし具合もいい感じ。


本丸跡地には五島高校があり、城内に五島観光歴史資料館や文化会館、図書館などの公共施設があるのは
だいたいどこの城跡も同じ。


舟入も残っている。


この石田城、1863(文久3)年に完成しているのだが、幕末も幕末、もう明治間近だ。日本一新しい城、らしい。
完成してすぐに廃城令が出て、せっかく出来上がったものを取り壊したのだとか。無念、、、


松浦郡宇久島を本拠としていた宇久氏が福江島へ移り五島藩を治めるようになった。二十代目の純玄氏から
五島氏を名乗るようになった。


堀にかかる横町橋を渡って城内へ。この横町橋と横町口蹴出門は石田城でいちばん「お城らしい」入口だが、
きれいすぎず自然でいい感じ。土塀には三角形や四角形の銃眼が穿たれている。
この塀、遠目でも塀瓦の下に点線のようなラインが入っているのが気になる。


何だろうと思って近づくと、なまこ壁のような貼り瓦が、軒裏をガードするように貼られているのだ。
うわ、面白いな。これは単に装飾のためだろうか、風などから塀を守る効果もありそうだな。


さぁ「五島氏庭園」を見学しよう。


続く
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八丈富士と美しい石垣

2022-07-29 23:25:54 | 風景

八丈島の続き。



次の日は車で八丈富士の方へ行ってみる。八丈富士は8合目ぐらいの登山口まで車で上ることができるので、そこから頂上のお鉢までなら結構近いのかと思ったら、やっぱり本格的な登山で1時間、そしてお鉢を1周するのに1時間、お鉢の縁は亀裂や穴が多いとか書いてある・・・それに山の天候はコロコロ変わるらしいので、素人は無理しないでおこうと。。。

宿の人に聞いたら、八丈富士はだいたい山頂に雲がかかっていて、全く雲がかからず全体が見えるときはなかなかないとの話だったが、今はとってもきれいに見えている!テンション上がってごきげんドライブ(笑)

 

登山口のある中腹の一周道路を車でぐるっと回る。ここからの眺めは最高!ちょうど島のくびれの両側を一望することができるのだ。奥に見えるのが三原山。

 

ふれあい牧場に立ち寄る。ちょっとした観光施設なのかと思いきや、入場料もないしお店も何もなく、牛がのんびり草を食んでいるだけ。ふふふ。

かわいい~~

 

今朝は旧八重根港に停泊していた橘丸が、竹芝へ向けて出発するのが見えた。伊豆大島と同じく、天候によって発着港を変えることがあるらしい。

車で八丈一周道路を走ってるとそこここにあるきれいな石垣に目を惹かれる。昨日の三原山方面でしょっちゅう見かけた玉石積みの石垣は三原山側では全く見かけず、代わりにこういった真っ黒でぶつぶつ穴の開いた、いかにも溶岩な石、スコリアが積まれている。

 

八丈富士は1万年前に形成され、最後の噴火があったのは江戸時代。比較的新しい火山であり、きれいな円錐形をしていて玄武岩が多い。対して三原山は同じ頃にできたものの火山活動はそれほど活発ではなかったようで、早くから人が住み、ジャングルのような森や川があり湿気が多いのだとか。産出する石は安山岩で、波に洗われた玉石が海辺にごろごろと打ち寄せる。八丈島は異なる地質の2つの山がくっついてできているのだ。

海辺へ降りてみると、粘度の高い溶岩流が水際まで広がってきて固まったのがよくわかる。

向こうにみえるのは「八丈小島」。

うぉ~~~っ!備長炭のようだな・・・

 

こういう溶岩の石が八丈富士全体を覆っているのだろう。それを切り出して積んだのがさっきのような石垣だ。

 

中央部の低地に戻り、少しだけ三原山方面へ行ったところにある、大里の「玉石垣」などのスポットを見に行こう。

「ふるさと村」というところに車を停める。ここは「村」というから建物がたくさんあるのかと思えば1棟しかない。ここも台風で被害に遭い建て直したのだそうで、それほど古いものではないらしい。昨日見た古民家喫茶の建物と同じような、外側に濡れ縁が回り角部分に板壁があるつくりの民家だ。規模は小さめ。

庭には玉石で組んだ石垣が残っていた。説明板には、母屋の他に高倉、牛舎、便所など一式揃っていて貴重だと書かれていたが、台風で倒壊してしまったのだろうか。

 

車を置いて大里の「玉石垣」を見に行こう。

美しい石垣が連なる小径を散策するのは楽しい。玉石だけでなく、いろんな石がいろんな積み方をされていて、写真を撮ってばかりでなかなか進まない。

自然石の野面積み。苔むしてかなり古そうだな。

少し大きさを整えた石を谷積みしてある。

草が目地になっているような石垣。

これは坂の途中にあったお墓。立派な切り石積みの基壇に、透かし積みの柵というか擁壁というか、が載っている。

切石の布積み。

八丈富士の方でしょっちゅう見かけた真っ黒なスコリアはやっぱり全然と言うほど見かけない。

 

続く

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房州石の石切場を見に行く

2022-02-07 23:03:33 | 風景
鋸山資料館からの続き。



さぁそれでは覚悟を決めて(苦笑)登山と行くか。。。ロープウェイが休業中なので歩いて登るしかない。
案内所でマップをもらって、いざ!
「車力道コース」「関東ふれあいの道コース」の分岐点まで来た。上ではつながっているはずだが、どちらを行くべきか・・・
マップでは勾配まではわからないが、遠回りの車力道コースの方が緩やかだろうと踏んで、、、左へ。


車の入れるところまでは舗装されていたが、その先は山道になってきて息が切れる・・・ほんとスタミナがない。。。
余裕はないけどまぁギブアップするほどでもない。自分のペースで石切り場目指して登っていく。




車力道コースは、石切場から切り出した石を女性がねこ車に積んで運び下したルートである。1回240kg。
山道に敷かれた石畳にこのような深いわだちが刻まれるまでには、いったい何万回、何十万回、下ったのだろうか。。。


2019年に千葉県を襲った台風15号の被害はすさまじかったようで、根っこからなぎ倒された木がゴロゴロしている。
広範囲で起こった土砂崩れや無数の倒木のため登山道は閉鎖されていたが「鋸山復興プロジェクト」が発足して
登山道の復旧に尽力されたおかげでこうやって登れるまでになったのだ。


途中には索道跡や石のストックヤードなどの見どころや見晴らしスポットなどがあるのでちょくちょく休憩しながら
何とか登っていく。ストックヤードには今も苔に覆われた石が放置されており、尺三という石のサイズ感がわかる。




そして突然岩の壁が現れた。ここがふもとから見えていた岩だな。あぁようやく到着。豆腐を切ったような垂直壁だ。


うぉお~~~っ!!すごい!これでどのくらいの高さだろう。30mぐらいだろうか。
もともとは普通の山の形をしていたのを少しずつ少しずつ剥ぎ取るように採掘していった結果だ。


これが、何と手掘りで採掘されたのであり、ツルハシの跡が模様のように規則正しく刻まれている。
これだけの高さの壁からひと皮剥くだけでも、いったい何度ツルハシを振り下ろさねばならなかっただろうか。。。
それを2皮、3皮、4皮・・・考えるだけで気が遠くなりそうだ。。。


岩の裂け目に見えるこの切通しも手掘りされている。


巨大な地球に素手で挑んだ人々の手の跡。


天然の縞模様と、ツルハシ跡と苔が織りなす模様が美しい。。。


こうした岩壁は1ヶ所だけではない。歩いていくと次々と別の面が見えてくる。
垂直の岩壁にまるで観音堂のように掘り込まれた「観音洞窟」。他にも、「吹抜洞窟」「岩舞台」「ラピュタの壁」
などの名前が付けられたスポットがある。


すごいオーバーハング!!いや、張り出しているわけではないのだけれど、落ちて来ないか・・・と不安になる。


これは積み上げられたガラだな。


舞台のように開けた場所は、最後まで採掘を続けていた芳家石材の丁場。


「安全第一」と彫られているのが生々しい。これより上が手掘り、下はチェーンソーでの採掘跡。


房州石の質感。やっぱり大谷石とはずいぶん違う。


これは索道跡。ここから石を空中へ送り出したのだ。




この上まで上れるらしい。。。一番先端に張り出した部分が、スリル満点な展望台になっているのだが、
心臓に悪いスリルはパス・・・(汗)


樋道跡は車力道よりもずっと急勾配で、切り出した石を滑らせて下ろすための設備だ。人は歩けない。


下りは関東ふれあいの道コースを行く。このコースは尾根沿いに道があり、「ふれあい」なんて言う優しい名前は
詐欺だと言いたいほどしんどい岩場や階段が続く。。


両側は転げ落ちそうな崖で、道は変な段々ができていて歩きにくいことこの上ない・・・(苦)
向こうに見える岩は層が斜め上に向かって露出している。歩いている道もこの硬い層が残ったものだろう。




そして悪魔の下り階段・・・まぁこれが上りでなくてよかった。。上りなら最初の数分でギブアップするところだ(苦笑)。
なんとか無事降りてきた。


続く
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大島町郷土資料館

2021-08-19 23:34:52 | 風景
伊豆大島の続き。

大島町郷土資料館の敷地内には大島の伝統的な民家が復元展示されている。復元と言っても実際に島内の集落に建っていた
家を移築したもので、説明板によると1861(文久元)年の築という。ここの木製の説明板もずいぶん年季が入っていて、
長年過酷な風雨にさらされたためだろう、墨書きされた文字だけが浮き彫りのように盛り上がっていた。


石造りの井戸(?)。大島では井戸を掘っても真水が出ないので、1954(昭和29)年に岡田簡易水道が
でき給水開始されるまで、川の水や潤沢な雨水を溜めて使っていたという。


3間x5間の小さな建物の2/5ほどを土間が占め、部屋らしい部屋はいろりのある8畳1間のみ。3畳の小部屋や
板の間がついている。


耐風耐震に重点を置いた構造で、柱は杉が主に使われ、大黒柱にはケヤキ、梁には地産の黒松が使用されたとのこと。
「曲がり梁」という独特の様式が見られるという。


展示してあった写真はこの建物の移築元なのかどうかは分からないが大正時代のもので、小さな家に大勢の人がおり、
島の人々の質素な暮らしぶりがリアルに写し出されている。


資料館の方は昭和の建物であまりぱっとしない建物だが、展示は結構面白い。
これは島の大きさ一覧のポスター。
もちろん佐渡島が1番。淡路島は4番。伊豆大島は24番目だ。このポスターには400あまりの島が載っていて
こうやって全部並べてくれると分かりやすくて面白い。家の壁に貼っておきたいなぁ~~


これは「三原山滑走台」という乗り物。レールに乗ったカートで滑り降りるもので、600mの長さがあった。
三原山の火山観光のために1935(昭和10)年に造られたが、太平洋戦争に突入した1942(昭和17)年に
軍の命令で撤去されてしまった。遺構は今でも残っているらしい。
「御下山は世界最初の滑走機に乗って」と書かれた文字を見ると、上りには使えなかったのかな。
上りにこそ使いたいと思うヘタレな私(笑)


港のある元町のまちなみは、結構道幅も広くて建物もあまり古いものが残っていないなと思っていたら、やはり
大火があって焼けたかららしい。1965(昭和40)年に起こり、一晩燃え続けて元町の市街地の7割が壊滅したとか。
死者は出なかったそうだが、大惨事である。。。
記憶をもとに作られた火事で焼ける前の地図。波浮港の細い通りと似たようなまちなみが港から山に向かって広がって
いたのだろうな。


そしてこのインパクトある写真!!モンブランではない。これも火山の噴出物らしいが、写真に目を奪われて
説明をちゃんと読まなかった(悔)。文字部分がピンボケで読めないし(苦)


船で埋め尽くされた波浮港の写真も大きく引き伸ばされたものが展示されていた。他にも「ソーメン絞り」という模様の
昔の女性の着物なども展示され、いろいろと興味深いものがたくさんあって、地味だがとても楽しめた。


これは空港。のり面がバウムクーヘンになってる(笑)。あの地層大切断面を模してペイントされてるだけなのだが、
インパクトあるなぁ!何も知らずに降り立った人は何なのか分からないだろうけど、あれを見たあとなら面白いと思える。




帰りは元町港ならいいなと思っていたのだが、また岡田港から。この手作りの板が毎朝港に掲げられる。裏は「元町港」。


岡田港のターミナルの向かいにあるレストランで「べっこう寿司」と「あしたばの天ぷら」を。べっこう寿司はカメ肉かと
思いがちだが、白身の魚をタレに漬けたもの。あした葉は雑草みたいな野菜だが、てんぷらはサクサクしておいしかった!




さるびあ丸がやって来た。


港内でくるりと転回して舳先を外海に向けてから着岸。




さらば、伊豆大島。帰りは昼行便なので景色を楽しめる・・・が、さすがに30分もすると海の真ん中で
飽きてくるので、寝たり、お風呂に入ったり、レストランで食事したりと船旅を楽しむ。何せ6時間もあるからね。




お客はそれほど多くなくゆったり過ごしていたのが、夕方横浜に着いたらどかっと人が乗って来たのには驚いた!
横浜~東京だけ乗るって、そういう使い方もあるのか!


東京からだととってもお手軽に行ける伊豆大島。船旅も楽しめて、南国気分も味わえてとても楽しかった!
八丈島や三宅島、伊豆七島の他の島も、こっちにいる間に行ってみたいな!


おわり。
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地層大切断面と大島椿製油所

2021-08-16 22:30:34 | 風景
伊豆大島の続き。

日本ジオパークに認定されている伊豆大島は活火山三原山を擁し、小さな島ながらダイナミックで雄大な風景がみられる。
地球の営みを直に感じられる数々のジオサイトをめぐるハイキングやトレッキングが、伊豆大島観光のメインだろう。
しかしバスツアーは直前すぎて満席、レンタカーは高くて諦めた、自分の足で歩いて回るほどの体力はない・・・
今回はお鉢も砂漠も赤い崖もパス。また次回にゆっくりと。。。
しかし、波浮港行のバスの窓から見えたここだけは、下車して見ておこう!


「地層断面前」のバス停で降りると、目の前には目を疑うような巨大なしましまの崖が!!
うぉ~~~っ、なんじゃこれは~~~~!?




そそり立った崖には、ベージュから薄茶、こげ茶、黒っぽい灰色までのいろんな色の地層が重なっている。
濃い色と薄い色が交互にきれいに積み重なっているために、バウムクーヘンかミルクレープのようなおいしそうな
断面になっているのだ。


で、「地層断面前」バス停標柱がこれ。バウムクーヘンにフォークが刺さってるじゃないの~~(笑)。カワイイ!!
大島バス、ユーモアがあるね!


崖は延々600mも続いている。高さは20mぐらいか。
この地層は、2万年もの間に繰り返し起こった大噴火で降り積もった軽石や火山灰が作りだしたものだ。
おそらく道路を通すのに山すそを切り崩したらこの断面が出てきたのだろう。


大きく波打っているように見えるのは地殻変動によるものではなく、もともと凹凸のある地形の上に積もったからだとか。
縞が切れているところは、途中で凸部が崩れたり削れたりして平らになり、またその上に噴出物が積もったのだ。


悠久の時を経て作りだされた景観にはもう圧倒されまくり、興奮しまくり!これは伊豆大島一の映えスポットだろう。


振り返ると、海に向かって広がる三原山のすそ野が見晴らせる。海は逆光で真っ白になってしまっているけど(苦笑)


隣のバス停まで歩き、バスを待つ間にちょろっと海岸にも出てみた。真っ黒な砂のビーチが火山島らしい。


そして、伊豆大島火山博物館の中に、この地層大切断面の一部をそのまま切り取った「地層剥離標本」が展示されて
いるのにもまた驚いた!!どうやって持ってきたのか!?


ちゃんと写真付きの解説板もあった。それによると、崖の表面に薬剤や接着剤を塗った上からガラス繊維の布を貼付け、
固まったあと剥ぎ取ると、地層の表面の土が薄く付着して取れるらしい。へぇ~~面白い。


ところで、大島と言えば椿。火山博物館の近くで、大きな松の木に抱かれるようにして建つ大島椿製油所に立ち寄った。


1927(昭和2)年創業の椿油の老舗で、ヘアケア、スキンケア用の椿油はもちろん、椿油を原料としたシャンプーや
石鹸も売っている。食用の椿油はめちゃくちゃ高級(汗)
工場を見学したかったが、シーズンである冬にしか稼働しないらしい。
店内のガラスケースには椿油の製造工程の写真や、キャラバンカーで宣伝活動に繰り出すあんこさんの写真などが
展示されていたり、古い木製看板も置いてあって興味津々。お買い物がてら店員さんにいろいろとお話を聞く。


昭和10年代の大島椿製油所の店内の写真もあって、丸っこいシャンデリアが写っている。
・・・おや!?これ今あるやつじゃないの!
一見味気ない建物だと思っていたこの建物は実は戦前からのものだったのだ!


店員のお姉さんは大島椿の社員で、何と、港区にある本社から伊豆大島に転勤になって、今はこっちに住んでいるのだとか。
ええ~~っ!?
竹芝桟橋から1時間45分で来れるとは言え、大阪から東京に転勤になった私よりも環境の変化が激しいなぁ(苦笑)
ちょっとおまけもしてもらって、楽しいお買い物タイムだった。
大島椿の公式サイト→こちら

続く
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九谷焼窯跡展示館

2021-02-24 23:26:05 | 風景
2019年秋の富山からの続き。

加賀温泉で途中下車。駅前でまたカーシェアを借りて15分ほど走り、九谷焼窯跡展示館へやって来た。


ここは2000(平成12)年まで九谷焼の窯元として使用していたところであり、工房や現存最古の九谷焼の窯、
そして九谷焼の歴史を物語る古い窯跡遺跡が公開されている。


敷地内には3つの展示建物がある。工房の方はちょっとお客で混んでいるので、まずはこちらの斜面に建つ
黒い板壁の「窯小屋」に入ってみよう。




おっ、これは!九谷焼の照明器具だな。さすが~~!光が透過しないのでちょっと暗そうだけど。。


建屋の中には登り窯が丸ごと残っていた。1935(昭和13)年に作られた、九谷焼としては現存最古の窯で、
昭和40年ごろまで使われていたもの。
1300度もの高温で三昼夜かけて白磁、青磁、染付などの磁器を焼き上げた。1回で約1000個の製品を
焼いたという。
登り窯は一番下で火を焚いて下から上へと炎とガスが上っていく構造になっており、一番上に煙突がある。
この窯では煙出し部分が消失している以外ほぼ当時のままで、状態もよさそうだ。


焚き口の上には祭壇のようなスペースが。火は生き物と言われるし、レンガを積んだ手作りの窯で火を完全に
制御することはなかなか困難だ。ベストを尽くし、最後は神頼みだったのだろう。




こちらは色絵付用の「錦窯」。本焼き後の白磁の上にカラフルな絵具で上絵付けし、それを定着させるために
800~900度で焼いた窯だ。九谷焼では緑、黄、紫、紺青、赤の五色が使われた。
これは復元されたもので、今も年に1~2回使用しているという。


そしてこちらが発掘された九谷焼の窯跡である。遺跡全体を覆うこの建物は単なるプレハブではなく、建築家
内藤廣氏の設計でクールな展示室として建てられている。


九谷焼はいったん滅びている。江戸時代前期に山中温泉の奥九谷村で60年間焼かれていたものが「古九谷焼」と
呼ばれ、江戸時代後期になって豊田(吉田屋)伝右衛門が復活に成功した以降のものは「再興九谷」と呼ばれる。
ここは、1826(文政9)年に吉田屋が築いた、再興九谷の登り窯の窯跡遺跡で、上部構造はなくなっており
基礎と床面だけが残っている。さっき見た窯よりも大きそうだな。
当初4房の焼成室と1本の煙突からなる連房式登り窯だったが、明治時代には6房に増築されたようだ。


窯跡の斜面を眺めながら建物内の階段を上り、一番上から遺跡全体を見下ろすと壮観だ!ピラミッドかマチュピチュか
または鉱山の選鉱場跡みたいじゃない!?
再興九谷の歴史を語る遺跡として、国の史跡に指定されている。


さて、工房の方を見学しよう。
この赤瓦葺きの建物は江戸時代の民家を明治30年代に現在地に移築したものと推定されている。
九谷焼窯元の社屋や住居兼工房として2000(平成12)年まで使われて来たため、内部は大幅に改築されており、
当初の間取りを知ることは困難という。


入口を入ったところから作業スペースが、ロクロ場、乾燥場、ハガシ場、絵付場、店の間、と縦一列に並んでいる。
九谷焼では1つの工房の中で各製作工程がひと続きで行われたのだ。


ケースの中には使われていた道具類が展示されていた。


原料の陶石。磁器は石を砕いたものを原料として使う。


器の形にあわせたヘラなど、陶芸教室で使っているものと変わらない。


これは冬の寒い時にロクロ作業をするのに水を暖めるために使われた風炉。
手は暖めたとしても断熱材も入っていないこういう建物の中にいるだけでも寒かっただろうな。。。


絵付場。


色見本がかわいい!!わざわざ火鉢のミニチュアみたいな立体を作ってそれらしい絵付けをしてある。


こちらの色絵の色見本もまたカワイイ!!このままブローチか何かになりそうじゃない!?


続く
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大王埼灯台に上る

2021-02-01 22:29:15 | 風景
2020年1月の伊勢・鳥羽の続き。



青い海の絶景を眺めながら、大王埼灯台まで上ってきた。
うぉ~~っ、真っ青な空に映える白亜の灯台。高さ22.5mのコンクリート造。
志摩半島でも外海に面した大王崎は海の難所として知られ、早くから灯台の設置が望まれていたが
実際に建設されたのは1927(昭和2)年。


基部には一部八角形(?)の2階建ての建物が付属していて、2階の海側にはバルコニーが回っている。


直線と円弧で構成されたシンプルな形がモダンなイメージだが、バルコニーを支える円柱の列がちょっと
神殿っぽい雰囲気を醸し出す。


しかし入口だけ毛色が違うな・・・こんな古典的な雰囲気。
大王埼灯台は1978(昭和53)に大改修を行ったということなので、元々の姿が一部残っているのかな。




1階は資料館になっていて、大王埼灯台を紹介した資料などが展示されている。
2階へ上がる階段の踊り場には、ステンドグラスが。灯台とカモメと雲と波。とてもかわいくて素敵なデザインだな!


そしてここは上まで上れるのだ!細い螺旋階段をぐるぐるぐる・・・


おお~っ、この支柱の上に灯器がついているのだ!下の箱には回転させるモーターが入っているのだろうか。


ランプのまわりにはガラスのフィルターがあり、回転することで赤い光と白い光が交互に放たれるのだろう。
灯台の光は18.5海里=34.3kmも届くのだとか。


てっぺんに取り付けられた風見鶏の矢には「東」「西」の文字が見える。


そしてこの絶景!!ひゅ~ひゅ~~!!海を見ると異常にテンションが上がる海なし県生まれの民(笑)


灯台で子供のように楽しんだあとは(笑)、路地を下りランチを探す。


この昭和な海女さんの看板には誰もが惹き付けられるだろう。
「東洋一」という名の食堂、ひもの屋のおばちゃんがおいしいと言ってたのはここだな。
いい雰囲気じゃないの。もちろんランチはここに決まり!海女のお姉さんの客引き効果抜群だね~




メニューはとても豊富で、アワビやサザエなどにも惹かれたが・・・せっかくなので、伊勢海老を!


ふっくらと焼き上げられた伊勢海老がまるまる1尾、至福のひと口・・・う~~~ん、んまいっ!!
これで2800円ぐらいだったような。安いよね!!あぁ、伊勢を満喫した。


2016年の伊勢志摩サミットのポスターが秀逸なデザイン!!こんな熨斗かけたプレゼントもらってみたい!
中身はもちろん活伊勢海老で(爆)


続く
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一身田のタイル

2021-01-22 18:42:58 | 風景
さて次は・・・またちょっと短めのものを(苦笑)。
ちょうど一年前ぐらいに鳥羽方面へ行ってきたときのことを書こうかな。



近鉄で向かったが、あいにく雨予報・・・
乗り換えで20分ぐらいあったので駅前をひと回り。カッコイイ松阪駅舎!
レトロな木造駅舎や華麗な洋館駅舎も好きだが、こういう単機能の戦後駅舎も好きなのだ。


松阪は5年ほど前に母親と麻吉旅館に泊まりに行ったときにまち歩きをしたのだが・・・書いていないな(汗)。


一身田で下車。町はずれにぽつんと建っている古い木造駅舎。
古き良き日本の木造駅舎。美しいフォルム。白い部分がサイディングなのが惜しい。

以前駅舎めぐりをしたときに下車したことがある。 →紀勢線・参宮線の駅舎めぐり ~その2

かつては中央にも線路が敷かれていたのだろう、棒線駅ながら駅構内はかなり広々していて、ホームもめちゃくちゃ長い。
今でこそローカル線っぽい雰囲気だが、真宗高田派総本山専修寺及びその門前町の最寄り駅として大勢の人や
荷物を運んだのだろう。


前回眺めていた駅前のレトロビル、落合運送だったところはおしゃれなカフェに変貌を遂げていた!


近寄ってちょっと中を覗いてみたがすごくセンスがよくて居心地がよさそう~~
しかしお客が多くてガラス越しの写真も撮れず。。


よく見ると、モルタル塗りのビルの背後には塀に囲まれたお庭が続いていて、横には和館がくっついている。
庭を挟んで離れもあるようだ。うわ、なんかよさそうだな!こちらはまだ住まわれているような雰囲気。
カフェに入ったら和館の様子も窺えるかな?




入ってお茶しようかとも思ったが、到着して早々にマッタリするのもなぁ(苦笑)。それに友人と合流して
ランチすることになっていたので、またの機会に。。。


まちを少し歩いてみたが、やたら人が多いな!今日は高田本山の新年のイベントか何かがあるらしく道に警備員も
立っている。出店もでて賑やか。お祭り気分を味わいながらふらふらお店を覗いたり、建物を見たり。




商店や町家、蔵などが並び、こんな洋風意匠も見られた。
しかし人が多くて途切れないので建物の写真も撮りづらいなぁ(汗)




友人が到着、目的の下津家住宅長屋門にやって来た。ここにはタイルがあるのだ(笑)。
下津家は江戸時代に一身田村の庄屋を務めた家で、現在まで醤油醸造業を営む。→下津醤油のサイト こちら
三重県のサイトによると、この長屋門は下津家がここに「珂雪園」という接客用の離れを建てる前からあった
もので、専修寺の警固を担った寺侍宅の長屋門だったのだとか。
しかし・・・建物の前には出店が小屋掛け、のぼりがはためき、お客がずらりと並んで、人々が途切れなく
行き交い、、、全く外観の写真が取れない(汗)
ここに入っている中華そば屋が今日のランチの予定場所。少し待って店内へ。さてタイルはどこに・・・?

あった。お店の裏の窓から見えた庭先に、2種類の本業タイルが並べて置いてあった。よくある柄だ。


おそらくもともと便所などに貼られていたもので、改修工事で剥がしたのを取っておいたのだろう。
しかし、長屋門にあったのか、珂雪園にあったのか、それともその他の建物に使われていたのかは、不明。
お店の人はあまり建物のことを知らなそうだったし、とても忙しそうだったのであれこれ尋ねるのは控えておいた。


長屋門は江戸末期の築というのでこのタイルが作られた時代とは合わないが、明治中期以降に便所が増改築
された可能性もある。一方珂雪園は1922(大正11)年築ということで、こちらはちょっと遅すぎる気が
するが、このタイルの雰囲気を気に入って使ったということもあり得るので、、、結局わからない(苦笑)


中華そばはとろとろでボリュームあるチャーシューが載ってとってもおいしかった!
タイルを眺めながら食べるとおいしさもひとしお(笑)。

さて、小腹が満たされたら伊勢方面へ移動しよう。

続く
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週末山形旅 瓜割石庭公園

2021-01-15 23:05:46 | 風景
2019年の山形旅の続き。

日曜日は朝早起きして念願のさくらんぼ狩りにGO!!山形は言わずと知れたさくらんぼの産地。
上山市の木村観光農園さんではもうほぼ最終だったらしく、すべり込みだったが、佐藤錦をはじめ、紅さやか、
大将錦、南陽、高砂といった多様な品種の木があってまだまだたくさんの実がなっていて、食べ比べを楽しむ。
桃のような淡い色のもの、濃い紅色のもの、黄色っぽいもの・・・大きさも味もいろいろだが、どれもむちむち
弾力があって、かわいくて、眺めるだけでも幸せ~~
お気に入りの木の下に脚立を移動させて取り放題、食べ放題!あぁ~パラダイス!!満喫した~~♪


おや、農園の目の前にぽつんと置かれているのは、古バスの車体・・・?近寄ってみると、バスじゃないみたいだな、、、
あっ、これはロープウェイのゴンドラか!?


検索してみたら、この近くでは蔵王にロープウェイがあるらしい。そこで使われていたものだろうか。
今の写真を見るとこれよりだいぶ小型のようだが、昔はこんな大型のゴンドラを使っていたのかな。


山形県内に数あるさくらんぼ農園のうちでも上山市にやって来たのは、このあと行きたいところがあったから。
それは、母親が数年前に新聞記事の切り抜きをくれて興味をそそられていた、瓜割石庭公園。高畠石の石切場跡が
そのまま公園になっている場所だ。

さて、見えてきた石切場。


うぉ~~~~っ!!すごい!!


たて縞模様の入った黄色っぽい石の壁が目の前に立ちはだかる!


高畠石というのは大谷石と同じ凝灰岩であるが、大谷石が緑がかった暗灰色であるのに対し、こちらは明るい
サンドベージュからオレンジ色で石切り場の雰囲気もずいぶん違うな。
やはり家の基礎石や蔵の壁、土木構造物などに使われた。あの謎洋館に使われていた石も高畠石だったのかな?


高畠町の石切場での採掘は、1923(大正12)年より始められたとされ、終戦後にピークを迎えたあとは
職人が減少、2010(平成22)年で手堀りによる採掘が終了したのだとか。
壁には手作業の跡がくっきりと残っていて、こんな巨大な山と格闘した石切り職人の息吹が感じられる。


有名な大谷石の石切場にももうずいぶん前に行ったが、丸ごと石でできた山の巨大な断面の前に立つと、
人間の力など到底及ばない地球の絶対的な存在感に圧倒されると同時に、そこに挑む小さな小さな人間の涙ぐましい
手作業の積み重ねに思いが至り、気が遠くなりそう。あぁ心臓がバクバクする。。。


トンネルが奥へ抜けていたので行ってみる。


高畠石の壁に囲まれた中庭のようなぽっかり開けた空間。高さはどのくらいだろうか・・・3~40mはあるかな。
深い穴に落ちた気分・・・
縞模様は雨によるものだろうが、このオーロラのようなグラデーションが立体感を演出し幻想的な雰囲気を
作り出している。


あぁ、興奮しまくりであっちこっちの石の塊に上っては空を仰ぎ見て奇声をあげる(笑)




あぁ、感動~~~!ちょっと個人的な好みに走って友人をつき合わせたけど、来れてよかった!


続く
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霧多布でラッコを見る!!

2020-09-19 22:35:21 | 風景
2019年6月の道東旅の続き。

奥行臼駅で思わぬ寄り道をしてしまったのでだいぶ予定が押してしまった。。。。もうかなり日が傾いてきているが、
根室半島の根元の風蓮湖にちょろっと立ち寄る。
風蓮湖は、春国岱と呼ばれる砂州によって根室湾から隔てられた、北海道で3番目に大きい汽水湖。
貴重なタンチョウの生息地、また国内最大級のオオハクチョウ飛来地として有名で、ラムサール条約登録湿地となっている。


スワン66という道の駅の裏手からお手軽な遊歩道が湖際に伸びているので、ちょろっとそこを歩くことにする。
スワン66は魅力的なお土産がいっぱいあって、閉店時間間際というので先にいろいろ買い物(笑)。
目の前に浅い湿地が広がっているが、6月ではタンチョウもオオハクチョウもいない(苦笑)。
実際のところ風蓮湖は面積57.5平方km、周囲96kmもあり大きすぎて全貌は見渡すことはできないので
湖のどこかにはいるのかもしれない。

初めて人が写っている写真を公開(笑)

さて、日が暮れる前に宿へたどりつきたい。


妹と交代で運転していたのだが、、、あっ、キタキツネ!カメラ、カメラ!!
う~ん、起動が遅い~~~、フォーカスが遅い~~~。なかなかうまく撮れないが、、、何とかこのぐらい。
何か哀愁を感じる後姿・・・(笑)


今度は近い!!目が合った!(笑)


さて、海沿いの道を走っているとき見える風景は、ここがまさに海の砂が堆積してできたことを思わせる地形だ。


しかし、小さな湾の向こうに、テーブルのようにまっ平らな台地が長々と伸びているのが見えた。あれが霧多布半島である。
標高40~60mの高さで、長さは5kmぐらいだろうか。地図上で知床半島や根室半島などと比べると
ほんの盲腸のようなちっぽけな半島だが、断崖の風景はダイナミックで、身をもってその地形を感じられる。


もう宿はそこだが、せっかくなので霧多布岬の展望台まで行って、サンセットを楽しもう。






今宵の宿は、霧多布岬にある「えとぴりか村」というゲストハウス。まちから外れた一軒家だ。
チェックインしたあと霧多布の小さなまちへ出てスーパー銭湯のような「霧多布温泉ゆうゆ」へ。
霧多布半島のある浜中町は、ルパン三世の作者モンキーパンチの出身地で、お風呂の暖簾は峰不二子(笑)。男湯はもちろんルパン。


岬近くの小さな宿に泊まったのは、この岬先端付近でラッコがみられるというネット情報を見たから。
ラッコ!!野生のラッコ!!見たい、見たい、見たい~~~!!
そこの宿のご主人は、1985(昭和60)年にここへ移住して来て以来、霧多布に住むラッコを観察、調査を続けられ
ちゃんと個体まで識別されている。


どの辺で見られるのか、前日の夜に教えてもらい、翌日早朝5時、まだ暗いうちから起き出して車で展望台よりもさらに先まで行き、
灯台の駐車場に車を止めてそこから歩く。しかし、、、すごい霧。。。




霧多布とはよく言ったものだ。薄暗い上に目の前は真っ白で、数十m下の海面などかすんで見えないな・・・そして寒い!!


すごくきれいなくもの巣!!露がビーズのように!


灯台まで500mほどの道のりを歩いて、海面が近くなって視界が開けた場所で目を凝らしていると・・・




おや、あれは?
波間をすすすーっと動く黒い影が。あれか?カメラのズームがあまり効かない上に薄暗いのでハッキリ撮れないが、
波の寄せる方向とは関係なく泳いでいるのが分かる。母親持参の双眼鏡で見ると、アザラシみたいだな。


霧多布岬は正式名を湯沸(とうふつ)岬と言うのだが、別名「トッカリ岬」(トッカリ=アザラシの子供)の通り、アザラシも生息する。
海獣好き、アザラシも大好き。もちろん野生のアザラシなど初めて見るのでうれしいのだが、ラッコはいないのかな。。。
そのアザラシは荒い波をものともせず、波間を長いことうろちょろしていたが、そのうちどこかへ行ってしまった。


宿へ戻り、ご主人にアザラシは見れたがラッコはいなかったと報告して、撮った写真を見せたら・・・これはラッコだよと。
ええっ、アザラシじゃなかったのか!体が長くてアザラシにしか見えなかったけど、ラッコも意外と大きいらしい。
・・・ということは、ラッコを見れたのか!わ~い!!(笑)

えとぴりか村のご主人、片岡さんのブログ⇒こちら

念願のラッコも見れたし(豆粒ほどの大きさだけど笑)、キタキツネも見れたし、エゾシカも見れたし。動物大好き妹も大満足!
帰りのピーチ便は12:30発なので急いで釧路空港へ向かう。途中通った釧路駅は昭和40年代ぐらいの水平連続窓の箱型駅舎。
地方にまだ残るこういう簡素で単機能の駅舎も、ノスタルジックで好きなんだが、どんどん建て替えられている。。。


さっき朝食食べたばかりだけど、さいごに駆け込み「シャケ番屋」で海鮮丼を。全然おなかすいてなかったけど・・・(爆)


ということで、3泊4日の母娘三人旅は終わり。一人で行く建物めぐりとはまた違って、自然も満喫して楽しかった~~

おわり。

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野付半島と旧奥行臼駅

2020-09-18 22:01:02 | 風景
2019年6月の道東旅の続き。

野付半島は北海道の東海岸に突き出した、日本最大の砂嘴である。
砂嘴とは、沿岸流によって運ばれた砂礫が堆積してできた、くちばし型の地形を言う。
地図でみると、大波が来たら途切れてしまいそうに細いが、実際行ってみると巨大で、割と幅もあるのだ。


この時期は道の両側に野生のお花畑が広がっていた。雑草好きの母親は狂喜乱舞(笑)。
所々で車を止めて遊びながら先端の方にある野付半島ネイチャーセンターまで行く。


立ち枯れした木の幻想的な風景が有名な「トドワラ」は、ネイチャーセンターから1kmほど歩いたところにある。
乗り合いのトラックもとことこ走っているが、そのぐらいならハイキングで行こう。


こんなちっちゃな実をつけた、野生のいちご。かわいい~~


トドワラは、砂嘴の上に生えたトドマツ林が、海水面の上昇または砂嘴の沈降により、海水に浸かり枯れたものと考えられている。
しかし見たことのある写真のイメージよりも立枯れ木はずっと少なく感じた。枯木も腐朽が進み風景はどんどん変わって行く。


ところでトドワラの沖でアザラシの群れが日向ぼっこをしていることもあるというネット情報を見ていたので
もしかして見れるかと海獣好きの私はワクワクしていたが、岸から見えるほど近い場所ではないようだ(ガッカリ)


ここまで来たから、野付崎灯台も見に行こう。
1953(昭和28)年初点(初めて点灯した=供用開始ということか)、改築1982(昭和57)年。
白いモザイクタイルは改築時のものだろう。


灯台があるのは野付半島の先端ではなく、砂嘴はここからまだまだ先まで続いている。釣り針のように湾曲した形だが、
全長25kmぐらいあるだろうか。ネイチャーセンターは根元から15km、灯台は18kmぐらい。
そこまで延々一本道が続いているわけで、もう日本離れした風景である。


こちらは灯台の駐車場にあったトイレ。これ、タンクローリーのタンクじゃないの!?
すごい転用だなぁ!面白い~~


さて、根室半島の付け根にある風蓮湖に向かって走っていると、「旧奥行臼駅」の標示があったので
ちょっと寄ってみることに。すると・・・・うわぁ~~~っ!なんて素敵な木造駅舎なの!


「おくゆきうす」。何て変わった名前なんだろう。これもアイヌ語から来ているらしい。
1933(昭和8)年、国鉄標津線の駅として開業。国鉄の分割民営化によりJR北海道の駅となるが、そのわずか2年後
1989(平成元)年に標津線は廃線となる。。。


産業・経済・文化の発展に重要な役割を果たした奥行臼駅。現在はひっそりと静まり返っているが、木造駅舎は
有形登録文化財になっており、とてもいい状態で保存されている。
ガラス窓から中を覗くと出札窓口もそのまま。中央に置かれたテーブルは、木製のそりだろうか。


手前側の木が写りこんで、何かアートのような写真が撮れた(笑)。






島状のホームに立つ一様の角度で傾いた木製の電柱が、またわびしさを演出している。たるんだ電線も何とも言えない味。。。


これは何の小屋かな?


森の中へ消えて行く線路。


吹きさらしのホームは強い風を受けるのだろう。傾きながらも健気に建っている駅名標が愛おしい。。。





この近くにあった洋風建築の駅逓所もちらりと目の端に入ったのだが、思わぬ寄り道で時間をとってしまったので
これ以上長居するわけにはいかない。。。後ろ髪引かれるが、先を急ごう。

続く
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知床半島を観光する。

2020-09-17 23:57:17 | 風景
2019年6月の道東旅の続き。



今回は植物好きの母親といつも忙しくリラックスしたい妹のための大自然満喫旅。
屈斜路湖から一気に知床半島まで行ってしまおう!
ここまできたら網走も近い、シマリス公園も気になる、名前だけはよく知っているサロマ湖をこの目で見てみたい・・・
などと、計画段階では取りとめなく広がりそうになったが、3泊で道東をぐるっと回る計画では全くそんな余裕なし。
何せ北の大地はめちゃくちゃ広いのだ。。。

知床半島では、日本の滝百選に入っているオシンコシンの滝を見に行く。
「エゾマツの群生するところ」という意味のアイヌ語に由来する名前で、その不思議な響きからは、人を寄せ付けない
深い山の中にある孤高なイメージを(勝手に)持っていたが、実際は細長い知床半島の西海岸を走る道路のすぐ脇にあった。


駐車場にとめて滝への階段の前まで行くと、もう見えてる!!楽チ~~~~ン(爆)
苦労知らずのロケーションにもかかわらず、オシンコシンの滝はその名のイメージを裏切らない美しい滝だった。


斜面を広がりながら流れるタイプの滝で、水は凹凸のある岩肌によって細かく砕かれ、まるで真っ白な絹糸の束を黒い岩の上に広げたよう。


雨の後だから水量が多かったのだろう、奥の方はかなりの迫力。うぉ~~っ!!いいねぇ!!


知床半島にはもうひとつ有名なカムイワッカの滝もあるのだけど、そちらはガイドさん同行で山道を長いこと歩いて
アクセスしなければならず、この時期熊が出たりするということで、実際に目撃情報なども出ていて・・・ちょっとパス(汗)。


カムイワッカは諦めたけど、知床五湖まで行ってちょっと「知床気分」を味わおう~~~今日は青空も見えてる!
不思議な雲が山脈のてっぺんを覆っている。


知床は全国で22番目に指定された国立公園。楽々歩きながら広々した風景を楽しむことができる木道が整備されている。
ドローン禁止の看板が今どき。こんなきれいなところだと飛ばしたくなるのは分かるけどね(苦笑)




一見ふかふかした草原なのだが、大きな水たまりがあったりして、誤って落ちてしまったら出てこれなそう~~~(汗)


ところで、この美しい大自然の風景は、実は昔からあったわけではないという。
説明板によると、このあたりの土地は大正時代から戦後にかけて多くの入植者が開拓し農業や酪農を営んでいたという。
しかし1960年代以降、もともと入植地としては厳しい地理的条件だったこともあり入植者は離農していき、
折からの土地投機ブームの中不動産業者による土地の買い取りが始まった。


乱開発の危機が迫った土地を守るため、斜里町は「しれとこ100平方メートル運動」として、全国に土地の購入資金の
寄付を呼びかけた。国や道に頼ることがかなわなかったから、町が単独の事業として行ったのだ。
町には当然予算がないから、ナショナルトラストの手法を取り入れた、当時の町長の英断!!
1977年にスタートして2010年にすべての保全対象地の買取が完了。33年という長い年月。何と根気強い・・・


「しれとこで夢を買いませんか!」というキャッチフレーズは現代ならちょっと怪しい勧誘かと疑ってしまいそうだけど(苦笑)
ちなみに寄付1口は8000円だったらしいが、個人的な見返りを求めるのでない寄付は尊い。
この知床の運動から日本のナショナルトラストははじまり、公益社団法人日本ナショナル・トラスト協会の発足につながる。


現在は、保全した土地に原生の森を取り戻し自然の生態系を再生するための新たな活動を続けているという。
この美しい風景は人々の努力によって守り育てられたものなのだ。

「100平方メートル運動の森・トラスト」公式サイトには、土地取得の変遷や森林再生の変遷などの図、年表もあり、
とても興味深い。⇒こちら

あっ、鹿がいるよ!笹の海からときどき顔を出す小鹿がかわいい!


本当は知床半島をぐるっと東海岸のほうへ回って、昆布で有名な羅臼とかも行ってみたかったのだが、
知床半島の中央部は意外と高い山が連なっていて、羅臼岳なんか1661mもある。夕方からの山越えに自信がないので
来た道を戻り斜里温泉で泊まるプランにしていた。
途中にあったエゾシカ牧場で寄り道。その辺の雑草をちぎってチラつかせると、牧場に遊んでいたシカたちが
続々集まってきた!!きゃ~~~っ!皆動物好きなのでテンション上がってはしゃぎまくる!!(笑)


日が暮れる前に、斜里温泉の湯元館に到着。セルフサービスの気軽な宿だ。(これは朝撮った写真)


ここは湯元館の名の通り自家源泉の黒っぽいモール泉が自慢で、この岩風呂の写真をネットでチェックしていたが、
何とこちらは男湯だって!?入替え制でもないという。隣の女湯はお湯は同じなんだろうが四角い普通の浴槽。差がありすぎ~~
宿のお兄さんに言って男性客がいない時に入らせてもらった。出た直後に常連の男性が入ってきて危機一髪!?失礼しました(苦笑)


ゴハンはチェックしていたところが休み、休み。。結局ロードサイドの大バコ店に入ったけど、めちゃくちゃおいしかった!
さすが北海道!






続く
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雨の阿寒湖

2020-09-15 22:58:49 | 風景
たまにはちょっと毛色を変えて(笑)、去年の6月に母親と妹と三人で行った北海道の旅のことを。

一昨年(2018年)、ピーチの関空~釧路便が就航したので喜んで妹とちょろっと行ってきたらすごく楽しかったのだが、
母親が何で連れて行ってくれなかったんだとすねたので(最初声かけたのに!)、今度は3人旅で行くことにした。
⇒去年の釧路旅 前編後編
関空はお天気だったが道東はずっと雨っぽい天気予報。。。

まずは前回行けず妹の心残りだった阿寒湖へ。小雨降る中傘を差しながら森の散策路を歩いていくと
いきなりエゾシカが現れた!!おぉ~~っ、テンション上がる!!


森の中には「ボッケ」と呼ばれる泥の池がある。アイヌ語で「煮え立つ」という意味の言葉がなまった呼び名で
100度ほどの熱泥が噴出しているのだ。別府の坊主地獄みたいだな。


阿寒湖の水面まで下りることができる。湖水ぎわの散策路はヘタレな私にもちょうどいいぐらいの距離だ。
雨が降ったり止んだりで空は雲に覆われているが、きれいな水を見ながら歩くのは楽しい。
植物好きの母親は足元の雑草を撮るのに余念がなく、なかなか進まない(苦笑)。


阿寒湖といえばマリモ。マリモといえば阿寒湖。そのへんにもマリモいるのかな~~?


しかしマリモが生育するのは湖のごく一部のエリアらしく、しかもそれは阿寒湖の温泉街からいちばん遠い
チュウルイ湾というところ。船に乗って行かなければならない。乗り合い船はまぁまぁの頻度であるのだが、
タイミング的にだいぶ待たなくてはならかったので、奮発してモーターボートをチャーターすることに。
景色を楽しみながらのんびり行くのもいいんだけれど、今回は限られた時間を有効に使おう。。。


こちらが高速モーターボート。乗り込むといきなり速度を上げマリモ展示観察センターのあるチュウルイ島まで
10分ぐらいで着いた。


静かな桟橋に降り立つ。観察センターの他には何もない小さな島だ。




センターの建物も風景に紛れてしまうような背の低い建物だ。


中に入ると、何だか宇宙ステーションみたい!?壁に埋め込まれた水槽の中にマリモが入っている。
別の窓からは湖の底を見ることができる。


マリモって、小さいものがビンに入ったお土産物をよく見かけるけど、、、天然記念物なのになんで売れるの!?
丸い石にコケが生えただけじゃないの?それかアオミドロとかが毛玉みたいにからまったものじゃないの?
あれって本当に生きてるの?とか、思っていたのだが、ここの展示を見るとマリモの育ち方がとてもよく分かる!!


マリモは日光の届く水深2~3mのところに生育し、大きいものだと30cmにもなるらしい。
日本以外でも生育するところはあり、お土産屋で売っているのは外国産のものらしいが、大型になるのは阿寒湖だけだとか。
波で転がりながら全身で光合成をして中央から放射状に育っていく。マリモの表面に気泡がたくさんついている。


そして、なんと、マリモは5年~9年で成長と崩壊を繰り返すというのだ!崩壊してバラバラになったマリモの姿に衝撃!
胞子から発芽した糸状体や、崩壊してばらけたマリモのカケラは波にもまれて集まり、また球状に育っていく。


そして水の流れにより、阿寒湖の最奥のチュウルイ湾やキネタンベ湾にマリモが集まってくるのだ。
なるほど、面白いなぁ~!!マリモのことをよく知ることができた。

・・・しかし水槽内のマリモを写した写真はほとんどピンボケで・・・このカメラ、ほんっとにオートフォーカス弱い(怒)

さて、またピュ―っとモーターボートで戻り、阿寒湖温泉街にある公衆浴場の温泉「まりも湯」に入ろう。
ここはさっきちらっと見えて目をつけていたのだ。




レトロな温泉に入れて満足満足!!


温泉街のお土産物屋。アイヌの木彫りのファサードがすごいなぁ!!


お茶したかったが夕方でどこも閉店なので、もう宿へ向かい、チェックしておいたお店でイタリアンのディナーを。


とても見つけにくい場所だったが、お料理はどれもおいしくて雰囲気もよくて正解!!
cafe & bal COVO










続く
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