まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

佐世保中央駅と相浦駅

2023-05-12 23:47:24 | 鉄道風景
2022年2月に長崎県佐世保市の黒島天主堂へ行ってきたときのことを。

長崎の隠れキリシタン関連施設の構成施設として世界遺産に登録されている黒島天主堂には、
有田の松尾徳助窯製の磁器タイルが1800枚も敷かれている。この十字模様のタイルに興味を持ってからずっと
見に行きたいと思っていたが、2019~2021年までの2年間、改修工事のため見学受付はストップしていた。
ようやく工事が完了してからもコロナの波が次々とやって来るのでなかなか行けず思いだけが募っていたが
コロナがだいぶおさまってきたタイミングでようやく念願を果たすことができたのだった。


金曜の夜仕事を終えて羽田から長崎へ飛び(当時は東京住まいだった)、黒島への中継地となる佐世保に前泊。
佐世保はこれまでにも来たことがあったが、旅の通過点としてであり、まだゆっくりまちを歩いてはいなかった。
今回は佐世保に3連泊の予定なのでまち歩きも楽しみ。
2016年の記事→「佐賀~長崎の旅 松浦鉄道に乗ってきた(3)

前回も気になっていた佐世保中央駅は、佐世保駅のひとつ隣の松浦鉄道の駅なのだが、ロケーションがとても面白い。
「さるくシティ4○3アーケード」という全長約1kmの長い商店街の中ほどに位置するのだが、いったいどこに
駅があるのか、初めての人はまず分からないだろう。


よく見ると、小さな看板が出ていた。


矢印の指す方を覗いて見ると正面は山じゃないの。駅は見えない。


本当にこの奥に駅があるのか!?半信半疑のまま路地を進んでいくと、実は右側に折れる道があって、
その奥に・・・・あった!


これか!確かに駅だが・・・佐世保「中央」という名に負けているじゃないか。・・・いやいや、確かに、
繁華街である商店街のほぼ中央に位置するわけで、その名に偽りはない(笑)。


階段を上って行くと、大きくカーブした狭いホームに出る。佐世保駅とこの駅との間には山があるらしく、
ホームの端からすぐのところにトンネルが口を開けていた。
こんなまちなかの駅なのに、南海電鉄の紀伊神谷駅を思い起こさせる秘境駅っぽさ!?面白いなぁ。


ホームの向かいに壁のようにそびえたつのは、イオン佐世保店の壁だ。一見アートのような網目模様は
冬に葉を落としたツタだ(笑)。自然のアート。かなり年季の入った建物なので元は地元系デパートだったの
だろうと検索してみると、元ジャスコ佐世保店で、1974(昭和49)年に建ったようだ。
そしてこの佐世保中央駅は、JR九州松浦線が1988(昭和63)年に第三セクター化されたあと1990年に
ジャスコや商店街へ行く利便性のために新設されたのだという。
商店街の裏手を走っていた高架にあとからねじこんで作った駅だと思うと、この無理矢理感にも納得するね。


まるで温泉旅館の露天風呂へでも行くような通路が山に張り付いて続いている。ここを通ってイオンへ行くのか!?
私も一度通ってみたい(笑)
駅と言えばどこも同じように明るく開放的な建物に建て替わっている昨今、ローカル私鉄(3セク含め)に残った
こういう変な構造の駅や独特の駅前風景は地形との闘いが垣間見えて大好きだ。変わらないでほしいなぁ~


ちなみに松浦鉄道は佐世保中央駅から先、大きくカーブしながら商店街を横切って200m先の中佐世保駅へと
続くのだが、アーケードの端から端まで歩き通しても、道路はいくつも渡るが線路は見当たらない。
いったい線路はどこに消えたのか・・・実は知らぬ間に越えているのだ。
これも本当にキツネにつままれたように不思議な気分になるが、いちばん最初の写真の「無料Wi-Fi・・・」と
書かれた看板の後ろにガードが隠れているのだ。全く分からない、完全な擬態!!
ホームから線路を見ると、商店街を越える部分だけバラストがなくガードになっているのが分かった。


さて佐世保中央駅からディーゼル車両に乗り込み50分、相浦駅まで行く。
途中の左石駅の木造駅舎や駅名標は趣があるが、以前の写真をあらためて見るとずいぶんきれいに整備されたようだ。
建替えたのかな?


到着した相浦駅はまた面白い駅だった。築堤の上にある駅に隣接して留置線の跡地が広がり、ホームからは
港の風景が一望できる。


ホームには古い上屋がひとつあるだけで、殺風景といえば殺風景だがかえって面白い。


そして下へ降りる階段の四角い穴がホームにぽこっとあいている。まわりに柵はあるが屋根はなく不思議な感じ・・・


ヤードの下はトンネルの地下道になっていて、出口にはきれいなステンドグラスがあった。おぉ、いいね!



振り向くと崖の中から出てきたような感じ。これまた面白い構造だなぁ!一応出入口らしい構えにはなっているな。


相浦駅の全貌。左の方に出入口、右上にホーム上屋が見える。目の前は港だ。

さてこの相浦港から黒島行フェリーに乗ろう。

続く。
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鶴見線散歩 ~安善湯と国道駅

2021-03-06 23:52:04 | 鉄道風景
鶴見線の続き。



浜川崎駅から再び昇開橋の前を通り15分ほど歩くと、安善駅前に広がる住宅街の中に煙突が見えた。あれだ!


おぉ・・・看板建築のようなファサード。住宅街の中の道路は狭くて真正面からは撮れない。。。
道幅に合わせて高さを抑えてあるような、控えめな佇まいだな。






入口は正面でなく左右に男女それぞれの戸がついている。こういうスタイルの入口はあまり見たことがないな。


入ったところは一つの空間だが靴箱により男女が合流しないようになっている。


さて入ろう。・・・うぉ~~う!中もレトロ!!
他のお客さんが誰もいなかったので、ちょっと写真を撮らせてもらえますか?と尋ねたら、どうぞ、と。


おぉ~~~、この浴室!すばらしいじゃないの!!
丸い浴槽が中央に。そしてその真上の天井に、同じ大きさで丸く開いた湯気抜き。そして浴室自体は八角形!?
まわりの壁の腰張りにはストレートエッジの白無地タイルと、美しいグリーンの雷文のマジョリカタイル!!


火鍋のように2分割された小さな丸い浴槽には入浴剤の入った緑色のお湯。これが・・・熱い!!!
右側の方がまだ少しぬるいのだが、それでも45度ぐらいある!?熱い方は47度ぐらい・・・手を漬けても
2秒ともたない(苦)。東京に来てからこれまで入ったお風呂屋ではどこもそれほど熱くなかったけどなぁ。。。


上がったら体中真っ赤に。。。薪で焚いているせいだろうか。それとも入浴剤のせい?
おばあちゃんと少しお話ししたところ、元は会社のお風呂だったという。会社のお風呂!?近隣の工場の社宅街の
お風呂だったということかな?もう80年ぐらいやっているそうだ。昔はたくさんお客がきたけど今は全然
お客が来ない・・・と言われていて心配。。。
電車の時間に合わせておいとまする。ありがとう~~いいお湯でした。


帰りは安善駅から乗る。


安善駅のホームの階段はコンクリートでなく石に滑り止めの溝が刻んであった。




国道駅で途中下車。12年前と変わらない、カーブした高架のホーム。ここだけ見てたら全く普通の駅なんだけどなぁ。


階段を下りていくと、高い高架の空間に架けられた空中通路。


そしてそこから見下ろす風景が、やはりすごい!!


異世界のような雰囲気は全く変わっていなかった。高架下の店舗は当時もやっているのかやっていないのか
よくわからなかったが、今はベニヤ板が打ち付けられていた。




相変わらず無人。木製の改札ラッチはさすがにもうなかった。
リニューアルするとどこも似たり寄ったり均質な感じの駅になってしまう中、国道駅のこの独特の空気感を
いつまでも保ってほしいなぁ。


今回は改札を出ず、またホームへ戻り、次の電車で鶴見へ戻った。
ところでこの記事を書きながらネット検索していたら、鶴見線かいわいには他にも可動橋があるらしい。
大阪からだと遠かったけど今はお気軽に来れるので、また半日散歩しに来よう!


終わり。
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鶴見線散歩 ~3つの浜川崎駅

2021-03-04 21:58:09 | 鉄道風景
鶴見線の続き。

田辺新田可動橋を見たあと浜川崎駅まで歩いてきた。




浜川崎駅は、鶴見から扇町へ至る鶴見線の駅と、鶴見線の駅に突き当たるような南武線浜川崎支線の駅と、2つある。
こちら、鶴見線の駅は階段を上がって跨線橋の上に改札がある。


そしてこちらの南武線の駅。頭上をあの貨物線の高架が横切っている。道路から見えるところに改札があり、
入ればもうそこがホームだ。



このふたつの駅の間には道路があるので、乗り換えようと思うといったん改札を出る必要がある。
ただ線路はつながっている。というか、複雑に入り組んだ線路の一部にホームがある、といった感じ。
駅のとなりの踏切に、若い男の子が立っていた。


あれっ、向こうに見えるのは、さっき通り過ぎていった貨物列車じゃないの?もしかして動き出すのかな!?


踏切の警報器が鳴り出して、駅周辺にいた人たちも集まってきた。


うぉ~~~っ!さっき見逃したけどここで見れるなんてラッキー♪


満足したのでちょっと周辺を散策しよう。
さっき南武線の尻手駅方面からやってきた別の貨物列車が、鶴見線の方には来ず別の方へ消えて行ってしまったので、
どこへ行ったのかちょっと見に行きたい。


踏切を渡ったところにJR貨物の浜川崎駅が。これで3つの浜川崎駅が揃ったな!


歩きながらふと横を見ると、低いガードがある。これがさっき消えた貨物列車が走っていった線路だな。
高いところを横切っているのは、廃止になった貨物線の続きだ。


さらに進んでいくと、道路は工場を迂回するように曲がり、線路のガード下をくぐっていた。高架下は駐車場に
なっている。入口はかなり低く中の方も柱の間が狭いのに、うまく停めているもんだな(笑)




こちらは別のガード。歩行者用の通路となっている。


3本の高架が段違いで頭上を渡る通路脇には、誰かが植えたのか自然に生えたのか、木が生えている。
面白い風景。これらの線路はずっと並行して川崎貨物駅の方へと伸びていく。


さて、浜川崎駅へ引き返して、そろそろ帰るか。






帰りは南武線に乗ろうかと考えていたけど、やっぱり国道駅をちらっと見て帰りたいし、鶴見線の駅から乗ろう。
ちょうど階段を上りかけたとき、ディーゼル機関車が単機で戻ってきた。


左へ行くとJFEの工場の専用出口。


ホームで鶴見行の列車を待っていると、冷えてきた。。。昼間は暖かいが夕方近くになるとやはり肌寒い。
・・・ふと思い出した。そう言えば、安善に古いお風呂屋があったな。どちらかいうと武蔵白石駅に近い。
ひと駅なら歩いていくか!鶴見行の電車が到着したけど、駅を出てさっき来た道を再び戻って歩き出す。


続く
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鶴見線散歩 ~田辺新田可動橋

2021-03-03 23:04:19 | 鉄道風景
鶴見線の続き。

武蔵白石駅からは線路のすぐ脇を歩いていく。踏切、鉄塔、線路際の柵・・・すべてが美しい。


踏切から手が届きそうなところまで伸びる武蔵白石駅のホーム。
安善駅方面を望むとずっと向こうに緑色のタキさん(※タンク車)達が見えるがまだ動いていないようだな。。


踏切の幅は広く中央に中州がある。丸文字が時代を感じさせる(?)看板。


中州を挟んで1本のレールが伸びているのは貨物線の線路で、すでに廃線となっている。
浜川崎方面へしばらく続いているが、途中から草むらになっていた。この先高架になって本線を越えていくらしい。


踏切を渡って線路を左手に見ながら歩いていくと貨物線はじわじわと高みを増し、草の背も高くなっていく。
ここでタキさんが来たら困るなぁ・・・右側は巨大な工場であんまりおもしろくない道なので、早いとこ
見通しのいいところまで抜けてしまいたい。・・・しかし、目的の昇開橋はこの貨物線上にあるのだ。


二本の頭でっかちの塔が見えてきた。あれか!


うぉ~~っ!


向かい側には富士電機の工場の入口が。


貨物線の築堤はもう背の高さを越えており、線路はここだけガーダーになっていて下が空いている。


近づいてみると2本の塔にはワイヤーと滑車がついていて、レールが丸々ガーダーごと持ち上がるのだ!
下を覗いてみると、向こう側にもこちらと同じ白い鉄扉がある。道路はなく直接工場の敷地に接しているよう
なので、向こう側に回って見ることは無理そうだ。


線路が持ち上がり、両側の鉄扉が開いて、富士電機の工場から大型トラックが向こう側へと渡ったのだな。
う~ん、何と壮大なギミック!!


この昇開橋は正式名を「田辺新田可動橋」というようだ。船を通すのではなく車を通すための橋で陸上にある
のが珍しい。


・・・と、その時、キターーーーっ!!タキさんを引き連れた桃太郎が走り抜ける~~~~あわわわ・・・
本線を走る貨物列車はちょうどこの昇開橋の桁に隠れて頭の先と足の先しか見えなかった(涙)。




ところでこの昇開橋の横には跨線橋がある。貨物線が廃止されて昇開橋も稼働しなくなると逆にトラックが
通れなくなるので代わりに高架道路を作ったのだろうな。これなら好きな時に行き来できる。
・・・と思いきや、何とこの昇開橋自体は今も現役らしいのだ!!なぬ~~~!?
たしかに上のコンテナみたいな部分は新しそうに見えるし、この跨線橋は細く曲がっているので大型トラックは
走れそうにない。
実際に動いている動画もyoutubeにアップされていた。うぉ~~、興奮!この目で見てみたいなぁ!!
しかしめったになく不定期でしかも真夜中らしいから無理(汗)。とにかく現役時代を見れただけでもよかった。


※これまでに見てきた可動橋の記事をリンク(すでに動いていないものも含む)
ここと同じ昇開橋の筑後川昇開橋本渡瀬戸歩道橋
跳開橋の手結港可動橋末広橋梁(開)(閉)四日市の臨港橋長浜大橋東高洲橋丸島橋
和田岬の旋回橋 など

さてそろそろ浜川崎方面へ向かおう。


高架の貨物線は続く。


300mほど行ったところでようやく下の道路が貨物線をくぐれる高さになった。ここまで来ないとトラックは
線路を越えられないのだ。それでも規格外の大型の車両とかだとここでも通れないだろうから、やっぱり
富士電機の工場がある限りはあの昇開橋は動きつづけるのだろうな(期待)。


右側の工場敷地内の緑色の桁橋は、これ鉄道用じゃないの?昔はここから工場へ引き込んでいたのだろうか。




複雑な線路と運河のクロス。川の中央には橋脚が残っていた。このあたりの貨物線はこれでもかなり縮小されて
いるだろうから、昔はもっと入り組んで面白かったに違いない。


ここから先は貨物線の橋脚はこのタイプになる。ごく浅い角度で本線をまたぎ、道路も越えていく。


さぁもう浜川崎駅だ。




続く
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鶴見線散歩 ~浅野駅から安善駅

2021-03-02 18:51:54 | 鉄道風景
少し前にネットニュースで知った、鶴見線の昇開橋を見に行こうと、午後から出かけた。
鶴見線は10年ほど前に乗っていて、大川支線も海芝浦支線も終点まで行ったことがあるので、今回はメインの
昇開橋と、その付近をぶらぶら散策しよう。
久々の鶴見駅。電車が動き出ししばらく京浜東北線の線路に平行して走る。あれ、海は向こう側のはずだけどな、
と思っていたら、大きくカーブして古いトラス鉄橋で線路の束をひとまたぎ。おぉ~~っ、いい眺め!!
お客が結構いるのでカメラを取り出すのもちょっと恥ずかしくて、見るだけに(笑)
高い高架の国道駅。あぁ、ここももう一度降りてみたいな。帰りに時間があれば。

浅野駅で下車。ここは海芝浦支線の分岐駅だ。


うわぁ~~、やっぱりいいなぁ!


ここで降りた数人の人はみな散歩目的のようでホームで写真を撮ったりうろうろしたり。
私もここでようやくカメラを出し(笑)、のんびり気の向くままに写真を撮って楽しむ。


古びた駅は絵になる風景ばかり。




さてそろそろ歩き出そう。浅野駅から隣の安善駅までは600mほど。さらにその隣の武蔵白石駅までも同じくらい。
浜川崎まで歩いてもトータル2.5kmぐらいかな。目的の昇開橋は武蔵白石駅と浜川崎駅の間にあるらしいので
のんびり散歩にはちょうどいい距離だ。


浅野から安善は線路際に道路がなく、ちょっと迂回することになる。歩いていくと橋があった。


反対側を見ると船溜まりになっているがこれは運河だな。橋の欄干に「旭運河」の文字が。
この先は埋め立てられ倉庫や住宅が建っている。


大きな工場の間をふらふら歩いていくと、もう安善駅前だ。
おっ、タバコ屋の古いショーケースが。タイルがカワイイな~~


そして、ガラスに描かれたこれはポパイじゃないの!?(笑)
このたばこ屋と並びの店はみなとっくにシャッターを下ろしている。かつてはこのあたり工場に通う人々で
ずいぶん賑わったことだろう。


ふと見ると、安善駅の横の長い踏切の向こう側に人がたくさん集まっている。大きなカメラを首から下げた
鉄チャンたちだ。駅のホームにもいるな。これは何か珍しい列車がやってくるのか!?


あっ、安善駅の広いヤードには電気機関車とタンク車が停まっている。踏切を挟んだこっち側にはディーゼル
機関車もいるな。皆この貨物列車を撮りに来ているのか。




近くにいた人に聞いてみると、これから機関車の入れ替えがあるという。工場地帯にある貯蔵施設で燃料を
積み込んで米軍施設へ運ぶ列車だとか。これだけ人が集まっているところを見ると、レアなのだろうな。
家に帰ってからネット検索してみるとこの日確かに「米タン」という列車が走っていたようだ。


しばらく踏切のところで見ていたが、タキを引き連れた列車が動き出すのはまだしばらくかかりそうだ。
列車が走り出したら武蔵白石方面へ向かうだろうから、歩いている間に列車が動いたら見れるだろう。




旅客線の駅よりも大きい貨物駅。


安善駅のあたりは住宅街だ。またふらふら歩いていくとまた運河があって、ここにも鉄チャンがいた。


運河は昔のままの風情でとってもいい感じ。ここで列車が来てくれたらいいんだけどなぁ(笑)。


反対側に細い水路だけが残されていた。


まもなく武蔵白石駅に到着。結構新しいサイディング張りの駅舎。前はこんなんだったっけ・・・?


さぁいよいよ昇開橋へ!


続く
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苫小牧の沿線風景

2020-05-25 23:09:06 | 鉄道風景
2019年10月の弘前からの続き。



八戸から乗ったシルバーフェリーは苫小牧港に到着、6時半のバスで苫小牧駅まで移動してきた。まだ7時前だ。
前回苫小牧を全くスルーしてしまったので、今回はちょっと時間を取って散策しよう。


友人から強力お勧めされていた第一洋食店が、ほどなく廃業してしまうというので、食事したいと思ったのだが、
オープンが11時って・・・今から丸々半日以上苫小牧にいなければならず、ちょっと厳しいな(汗)
しかし早朝の北海道、めちゃくちゃ寒い・・・苫小牧の他のスポットはチェックできていないが、
とりあえず見たいと思っていた王子製紙の引込み線を見に行こう。大きな赤白の煙突を目指して線路沿いに歩き出す。




あっ、踏切があるな。
道路を斜めに横断する単線の線路。踏切のすぐ脇で工場の敷地内へ引き込まれている。おぉ~!いいねぇ~~




工場の敷地内の奥へと、レールは伸びていた。
しかし、、、レールの上に置いた枕木をくくりつけてある鉄線は錆びており、もう長いこと動かされていないように見える。
もしや、すでに廃線になっているのか・・・?


あらためて検索してみたところ、何と2017年3月で廃止されたようだ。ええーーっ!ショック。
そしたら前回来たときにもすでに廃止後だったということか。。。(涙)


先へ進もう。


巨大な煙突が近づいてきた。すごい迫力だな!!
地図を見ると、ここは「王子町」。王子製紙の会社名は最初に工場が作られた東京の王子に由来するから、ここの地名は
会社名からつけられたに違いない。苫小牧工場は1910(明治43)年操業。建設当時は荒地だっただろう。
王子製紙は複雑に合併分割を繰り返したが、苫小牧工場は創業以来の主要工場である。


おや、ここは橋か。「しろがねばし」。下を覗いてみると水路が通っていた。


工場の敷地内には築堤のようなものがあり、アーチ型のトンネルで水路を跨いでいる。
水路はもともとアーチの幅いっぱいの幅だったのだろうが現在は1/3となっている。


そして奇妙なことにその水路には丸太がたくさん浮かべられている。まるで「ミニ貯木場」じゃないか。
これも紙の原料となるのか??謎。。。


ところでこの築堤は何なんだろう?道路沿いにずっと伸びていて、駅に近い方が低く離れるにしたがい高さを増している。
上には草が生えているだけで現在何の役にも立っていなさそうだが。ここにもレールが伸びていたのか??




JRの線路を跨ぐ太いパイプライン。道路も線路も一気に飛び越えて、このパイプはどこへ??


グーグルマップで見たら、線路の向こうは原料の堆積場のようだ。


工場は広大でまだまだ続いているが、この辺でそろそろ引き返そう。


あぁ、鉄道風景と工場風景を楽しめたけど、、、寒い。もうまちなかを歩き回るのはやめて温泉でも入りに行こう。
まちはまた今度(苦笑)。


あら、おっちゃん何持ってるの~~(笑)


続く。
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大隅線の廃線跡と江之島温泉

2020-03-13 22:05:23 | 鉄道風景
2月の鹿児島の続き。



みなと食堂でのランチ後に旧古江駅舎を見つけてひとしきり写真を撮ったあと、神川大滝へ向かって走り出したとき、
古江駅の広いヤード跡から線路1本分の細い道が伸びトンネルに入って行くのが見え気になっていた。
それで3日目、鹿屋を離れる前にちょっと見に行くことにした。


緩いカーブを描きながら先へと伸びている。これはどう見ても廃線跡に間違いないが、説明板などは何もなく
ただ「フィットネスバース 自転車歩行者道」とだけ書かれている。


沿線の古い民家が雰囲気あるなぁ~!ここをあのかわいい車両の列車がとことこ走っている光景を想像・・・


トンネルだ!その上を走る道路は、もともと線路と立体交差していたのだな。


トンネルの長さは100mぐらいだろうか。向こう側が見えている。


トンネルの入口には三つ目の信号機がついていた。色あせたオブジェは雰囲気を盛り上げるね!
但し、よく見ると新しい配線がつながっていたので、もしかすると本当にオブジェとして付けられたもので
点灯できるようになっているのかもしれない。30年前に廃線になったトンネルの信号を光らせるとは楽しいなぁ!


張り出した岩盤を発破で崩したそのままな感じの岩肌。


トンネルの中は真っ暗だったが、コンクリート壁に写真が展示されスポットライトが当てられていた。
古江駅で見た写真以外にも、この付近を走る列車の姿や最終日の賑わうホームの写真などもあり、郷愁を誘う。。。




向こう側へ抜けると岩盤の切り通しがしばらく続いてから、車道の脇へ出た。


そろそろ引き返そう。


これはラストランの日だろう、列車の窓から顔を出した人がテープを持っている。ホームは人でぎっしり。
こんなにたくさんの人に華やかに見送られた列車は、翌日からもう二度とここに来ることがなかったのだ。。。あぁ


古江駅の廃線跡をあとにして北へ向かう。前にも一度入りに来たことがある海潟温泉へ。健在だろうか・・・
前も分かりにくかった記憶があるが、今回も入る筋を間違えてバックしたりUターンしたりうろうろ(汗)
細い細い路地でこすらないかとヒヤヒヤ・・・


とにかく健在だった!こんな渋い温泉だが、九州八十八湯のスタンプラリーに入っているのでちょくちょく人は来るようだ。
スタンプは前回押してもらったので、今回は純粋に(?)お湯を楽しむ。


周囲の鮮やかなピンクとグリーンのモザイクタイルが場違いな印象(笑)。

昨日行ったねじめネッピー館の温泉も2回目。あちらは現代的な大きな施設だがお湯が気に入っての再訪だ。
鹿児島県も本当にいろんな泉質の温泉があって楽しい~~

江之島温泉の前の防波堤から「江之島」と、その背後に桜島が見えた!


一昨日来たときポフッと煙を吐いていた桜島だが、今日はかなり煙が高く舞い上がり、広がっている。
空がちょっと曇っているのはもしかして桜島の噴火のせいなのか!?車のボンネットやフロントガラスは
やっぱりすぐじゃりじゃりに(苦笑)


続く。
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鹿屋駅跡と古江駅跡

2020-03-12 22:47:33 | 鉄道風景
2月の鹿児島の続き。

今回鹿屋に2泊したのだが、あまり長距離運転する自信がないので志布志も佐多岬も行けていない(汗)。
大隅半島のほんの一部をうろちょろしただけだが、見どころは多い。

旅の途中ところどころでふと出会う国鉄大隅線の廃線跡、それに駅跡。
3日目の朝から見に行った鹿屋駅は1915(大正4)年に南隅軽便鉄道の駅として開業。徐々に延伸し、
志布志~国分間が全通したのは国有化後の1972(昭和47)年。意外と遅かったのだな。
しかし・・・たった15年後の1987(昭和62)年に大隅線は廃止となる。あぁ無情。。。


現在鹿屋市役所が建っている場所が鹿屋駅跡らしい。そしてその一角に、「鹿屋市鉄道記念館」がある。
職員用駐車場の端に木製の駅名標が並んでいる。もちろんこれはレプリカだろうが、、、何となく墓標のように見えて
ちょっと複雑な気分に。。。


国分から志布志まで100km弱の路線で33駅があった。平均3kmごとに駅があったことになり、国鉄にしては
駅間が短く便利だったんじゃないかと思うが・・・本数自体が少なく、利用は当初から少なかったようだ。。


ホームにはオレンジ色のキハと黄色い作業車が停まっていた。昔の車両はかわいい(笑)


ガラスに顔をつけて中を覗くと、色あせた別珍張りの垂直ボックスシート。車掌さんの人形が建っていた。






建物は元の鹿屋駅を模して新しく造られたもののようだが、建っていた向きは違っただろう。
屋根の上の塔屋が幼稚園みたいでちょっと違和感・・・古い写真を見るとやはり塔屋はなかったようなので、
あれは蛇足か(苦笑)


腕木式信号機。




市役所の片隅に保存された鹿屋駅舎、現役時代を知らない世代の人が増えても語り継いでほしいなぁ。


もうひとつ、こちらはたまたま出会った、古江駅跡。
かのやカンパチロウの店、ではなくみなと食堂でランチを食べたあとに、駐車場から車を出したところ、
この建物が目に入ったのだ。・・・おおっ、あれは駅舎じゃないか!ストーーップ!!再び駐車場にIN(笑)


このグラウンド、というか広い空き地はずっと先まで続いている。間違いない。


あらためて旧駅舎を見てみると、線路のあった部分は土が盛られているがプラットホームも上屋もそのままだ。
ここにも数メートルのレールの上に車輪と、てこがひとつ、残されていた。


構内踏切の階段も。一人で上り下りしてみる。


改札口は開いていたので入ってみると、中にはベンチがあり昔の写真などが展示されていた。


これは古江駅の現役のときか・・・建物は今と全く同じだ。構内踏切を渡って向かい側にももう1本ホームがあったんだな。




これが全貌か!広い敷地にゆったりとレールが敷かれ、漁協の建物の前を2両の列車が走っている。
みなと港食堂の駐車場も廃線跡だったのだ。駅舎の前には車がたくさん停まり、どこにでもあるような駅前の風景。


こちらが現在の駅前。わざわざこの前に車を停める人もおらず・・・寂しいなぁ。


それでもきれいに保たれているのは、鉄道の記憶を薄れさせたくない思いをもった人がいるからだろう。


この先、廃線跡が自転車歩行者道になっているところがあったので、少しだけ歩いてみた。

続く。
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空港までの道すがら

2020-02-27 23:39:36 | 鉄道風景
2019年夏の新潟の続き。

イタリア軒でお茶したあと、近くにある吉野活版所を見に行く。1916(大正5)年築。
木造モルタル塗りの建物だが正面に凝った洋風意匠の装飾壁が立ち上がりおしゃれな外観。
使われているのかどうかは不明だが、ちゃんと手入れされているようできれいな姿なのがうれしいね。


「吉野活版所」のフォントもいいなぁ。雁木のアーケードが1階に取り付けられている。


隣の佐藤菓子店の、昔ながらの佇まいやケース、ディスプレイにふらふらと引き寄せられる(笑)


昔おばあちゃん家で出してもらったような懐かしいお菓子の数々、新潟で作っていたのか。
お土産にいろいろ買ってしまった。


さて友人を新潟駅まで送って別れたあと、私は1人で空港へ向かう。レンタカーを返して飛行機で帰るのだ。
万国橋の交差点に掲げられていた「←佐渡航路 北海道航路→」の標示に萌える~~(笑)。


前回見つけて狂喜した沼垂駅に偵察のつもりでちろっと寄り道。


おや、何かやってる!?プレハブ小屋が置かれ、砂利の山や何かの資材が置かれ、重機が停まっていた。
ええっ、ここをどうするつもりなんだろう・・・レールを引っ剥がして整地するのか・・・?


あぁ、あれから半年経った今ではどうなっているんだろうな・・・(心配)


北海道航路のフェリー乗り場へちょろっと立ち寄り、さっき対岸から眺めた新日本海フェリーゆうかりにごあいさつ。
大きすぎて駐車場の端まで引かないと全体が入らない(苦笑)。あぁ、また乗りたいな。
佐渡航路の岸壁も見に行けなかったが、次回はそこから船に乗って佐渡へ行くぞ!


さぁ、一路空港へ!
・・・と思っていたら、よさげなお風呂屋が目に入る。あっ、入口入った所にタイルも見える。
うわっ、廃線の踏切もあるじゃないの。スト~~ップ!


ここは以前沼垂のまちをうろついたときに楽しんだ貨物線の廃線跡の続き。
大きな踏切にはバッテンの標識が残っているが、レールはすでにない。


人一人が渡る幅の小さな踏切もかわいくて素敵だったが、車やバスがひっきりなしに走るこの国道を越える
踏切もいいなぁ。ここを貨物列車が横断していたと思うと・・・あぁ、ときめく(笑)


トラロープが一本。


あぁ、胸がキュンとする風景。


そしてこちらが秋葉湯。国道に面した昔ながらのお風呂屋だ。高々とそびえる煙突。う~~ん、いいねぇ!


番台裏の壁に6×4の風景画組絵タイル。まわりをかわいらしいミニミニ雷文タイルが囲んでいる。


あぁ、入ってみたいけど・・・時間がない。残念。今度来るときはお風呂に入る時間を確保しておこう。。


思わぬ寄り道でギリギリになってしまった!危ない危ない・・・空港でお土産を買う時間がなかったけど(汗)
ANAの飛行機は遅れることもなく無事帰途についた。
あぁ、今回も最後まで楽しい旅だった。新潟は歴史があり富の蓄積がすごいのでいろいろ見ごたえある。
食べ物もおいしいし、何度でも来たいなぁ!

おわり。
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もうひとつの台中駅舎

2019-08-17 21:45:47 | 鉄道風景
3月の台中の旅の続き。

翌朝、早朝からmayumamaさんは朝活へ繰り出していたが、私も時間差で朝の散歩に出る。

泊まっている宿は立派な旧台中駅舎のある西口でなく、裏側の東口にある。日本でもだいたい古い駅では街の顔である
立派な駅舎と駅前広場がある表側のまちが発展している半面、もう一方の側には出口がなかったりとても不便だったりして、
同じ駅の駅前でも表側とは全く違った印象であることが多い。そして大きな駅であるほど、表と裏のギャップが大きい。
おそらくここもそうであり、駅が新しい高架駅になってはじめてこちら側にも立派な出口やロータリーが作られたのだろう。
私が昔の台中駅をよく知らないのにそう感じたのは、最初私が台中駅に到着して階段を降りてきたときに、ピカピカの
駅施設に追いやられるように、隣接する敷地の一角にボロボロの廃墟の一群が残っているのを目にしたからだ。




ホテルを出て道を歩いていると、商店と商店の間に、商店街の入口にあるゲートサインのようなものが見えた。
おや、あの色・・・


よく見ると、やっぱり!青に赤ラインの台鉄カラーだ。そしてその奥には・・・駅舎が!おぉ!!
思わず道を渡って駆け寄り、ゲートのところで立ち止って、通りから少し奥まったところにある駅舎を眺める。
あの堂々たるレンガ造の駅舎が建っているちょうど真裏あたりだ。


「台中後站」と書いてある。なんだか別の駅みたいだが、台湾では裏側の駅舎をこのように「後站」と呼ぶ。
あぁこちら側はこんなにかわいい駅舎だったんだ。そろそろと近づいてみると、駅舎の脇には平地の駐輪場、
そしてボロ屋の有人自転車預かり所。まったく、これはどこか地方都市の各停駅の駅前風景じゃないか!


ホームが切り替わったのですでにこの駅舎は機能停止しており鋼板塀で囲われていたが、入口は開いていたので
ちょっと覗いてみたら・・・


うぉぉ・・・そのまま。物悲しいほど、そのまま。


あの歴史をまとった華々しい赤レンガの台中駅舎、そして未来に羽ばたく台中の新しい顔となった新駅舎。
それらとのギャップが激しすぎる・・・


駅舎は通りから15mか20mぐらい奥まっている。かつてはこのアプローチに面して食べ物を売る店などが並んで
いたのだろうが、今ではシャッターばかりである。


ノスタルジックな気分に浸っていたのだが、今これを書きながらネット検索をしていたら、この駅舎は何と
かつてここから台中糖廠へ伸びていた台湾糖業鉄道中南線の台中駅だったとか!!へぇ~~そうなのか!
1961年に中南線が廃止され、旅客用の「後站」として使い続けられたのだな。妄想は広がる(笑)



そのあと、昨日ちらっと見えて気になっていた建物を見に行く。


1階のギリシャ神殿風の列柱や2階の5連のアーチ窓など、かなり洋風の濃い建物だが、「文」という屋号の
レリーフが入ったバロック風の装飾壁が立ち上がる。トップには鳥、左右には、象!?
貿易商社か何かだったのだろうか。




天井の照明の台座飾り。


裏の方は赤レンガだった。


他にも古い建物もちょくちょく残っていて、大通りを歩くだけでも結構楽しめる。


台中林氏宗廟まで2kmぐらい歩いた。朝の廟は清々しい。
清朝時代に台中市大里区内新里に造られていたものを、霧峰林家の林献堂が建築実行委員長となり、この場所に移転、
1930(昭和5)年に完成した。


とても大きく美しい廟だ。屋根の上の豪華な剪黏の他にも、見事な装飾が随所に見られる。


漆喰による妻壁のレリーフも大変精密で凝ったもの。



石の柱の彫刻や木組もすごいというほかない。林氏の私的な宗廟がこれであるから、勢力の大きさが知れよう。




そうこうしているうちに、mayumamaさんはもう宿に戻ったとの連絡が。今日は台湾花磚博物館の徐さんが
迎えに来て台中郊外へ連れて行ってくれることになっているのだ。急ぎ足で戻る。


前回見た元酒廠の文化創造産業園区の前の道路にあった車止めが、お酒の瓶の形をしていてカワイイ~


続く
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烏日駅メモリアル (台湾)

2019-03-31 23:13:55 | 鉄道風景
台中からの続き。


台鉄の台中駅から1本早い電車に乗ったのは、烏日駅で寄り道するため。
烏日駅は高鉄への乗換え駅である新烏日駅の800m手前にあるローカル駅。高鉄台中駅の開業に伴い新設
された新烏日駅と違って、1905年の縦貫線開通当時からある駅で、まぁ普通は地元の人しか用事はないだろう。


今回そこで降りたのは、フェイスブックで見かけた建物を一軒、見ようと思ってのこと。
次の電車まで30分弱、途中下車にはちょうどいい。行きしな車窓から見ていた駅舎もいい感じ。




地下道をくぐって駅舎の方へ来てみると、おぉ、モザイクタイル貼りの柱や壁、人研ぎの改札ラッチ、そして
有人駅だ。いいねぇ!


これは臨時の改札かな。


コンクリート造の戦後建築だが、まだ建物に人の温もりが感じられる時代。駅に顔がある時代。


写真を撮ってる間駅員さんを待たせてしまったが、ようやく改札を出る。シンプルな待合室は高窓からの光で明るい。




おぉ~~っ!カッコイイ!!抜けるような青空をバックに、この平屋建て駅舎の堂々たる佇まい。
建物の端から端まで伸びる、波打ったデザインの白いひさしがまた素敵だなぁ!


・・・と、先に目当ての建物を見に行かねば。それは駅から徒歩数分、こちらの黄色い建物である。


上へいくほどせり出したギザギザの持ち送りが面白くてインパクトがある。
「台中縣烏日郷民代表会」と書いてあるが、今は「台中市政府警察局烏日分局 偵察隊」が使っているようだ。


フラットな2階建ての建物に見えて、実は右側に破風が立ち上がっている、アシンメトリーなデザイン。
面白いな!


おや、あれは何だ?隣にも古そうな建物が。屋根はセメント瓦が載っている。何の建物だったのだろう。


カメラを高く掲げて鋼板塀の上から写真を撮る(笑)
玄関周りだけ洗い出しのようで、その後ろの建物本体は下見板張り。学校のような雰囲気だが・・・
あとからFBで見たところ、黄色い建物と共に日本統治時代の建物で、隣が元烏日庄役場で、こちらが
元警察官吏派出所だったらしい。


現在は放置状態だが、うまく修復して使ってほしいなぁ。いや、必ずそうしてくれるだろうと信じている。


思わぬ時間を食ってしまったので急ぎ足で駅へ戻ろう。。。
駅前のメインストリートの正面に建つ駅舎は遠くからでもよく見える。道の行き着くところ、という感じがする
何とか間に合いそうだ。


駅の脇には貨物用のホームだったと思われる上屋と、古い事務所兼倉庫(?)の建物が残っていた。
ヤードは保線用の資材などが一部置かれているぐらいでガランとしていた。背後には、供用を今か今かと
待っている真新しい高架線路と橋上駅舎が見えている。




新しい橋上駅への移行に伴い、烏日駅は100mほど台中寄りへ移動することになる。
日本でもどこでもそうだが、駅が動くと人の流れが変わり、旧来の駅前通りの店は急に廃れてしまうことが多い。
このあたりのお店は今後どうなるだろうか・・・心配してしまう。


いずれにせよこの駅舎はあと少しの命ということ。。。地上に烏日駅がある風景を、しっかり目に焼き付けておこう。


新烏日駅までひと駅移動して高鉄で台北へ戻り、ロッカーの荷物を取り出してからMRTで桃園空港へ向かった。
しかしあとで思ったのだが、どうせ荷物を預けるなら高鉄桃園駅で預ければよかった。高鉄桃園駅からなら
空港まで20分ほどだ。遠回りして時間もロスしてしまったな・・・ま、台北から2日連続で台中へ日帰りしている
時点で大きなロスなのだが(苦笑)。今度来る時はもっと効率よく動くようにしよう!

終わり。
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台中駅メモリアル (台湾)

2019-03-21 00:35:20 | 鉄道風景
台湾の続き。

台中発タイル民居めぐりを終えたあとは台北の宿へ戻り、最終日はどこへいこうかと考えていた(行き当たりばったり!笑)。
夕方4時頃に台北駅を出て空港へ向かえばいいのでほぼ丸一日ある。
しかし、翌日台北は雨らしい。雨は嫌だなぁ・・・ということで、台北を離れ南へ向かうことにした。
昨日に続き、台中へ(爆)

今日の台中はいい天気!!高鉄の台中駅から台鉄に乗り換え、降り立ったのは朝10時過ぎ。よしよし。
そして改札を出てみると・・・おや、何か様子が違うな?あっ、ここも新しい駅舎に変わっているのか!
台鉄高雄駅も少し前に新駅舎が供用開始されており、私が去年の秋訪れたときはそのほんの直前の姿だった。
そうかぁ、続々新駅舎に変わっていっているのだな。。。


そして空中通路から下を見下ろすと、、、うわぁ。。。広い空き地。ここは元は地上ホームやヤードの広がっていた場所だな。
もうすっかり跡形もなく原っぱになっているが、端の方に見える古い倉庫は線路脇に建っていたものだ。
新しい橋上駅舎を作るときはもちろん鉄道を運行しながら建設するので隣接する空地に先に新築しておいて、
完成後に旧の部分を撤去するから広い空き地ができる。いずれここも、駅前広場として整備されるか
何かの建物が建つかのどちらかだろうが、線路が取り払われガラーンとした状態は何とも哀れを誘う。。。(苦笑)


反対側を見に行ってみると、あっ!旧駅舎がちゃんと残されているな、よかったぁ~!
そりゃー、あれを解体してしまうわけはないわな。ほっ


そして・・・おや、あれは・・・旧ホームじゃないの!?
生々しい土の見える路盤と、途中でブツリと切れたホーム上屋が、広々した駅前広場と、真新しい
高架駅のコンクリート橋脚に挟まれるように残っていた。うわぁ~~、胸が締め付けられる~~


エスカレーターを下りて近寄ってみると、まさしくホーム。上屋を支える鋳鉄製の柱が並び、
黄色の線とホーム端の滑り止め付の平板。ここだけ見れば何の疑いもなくホームだ。


何度か見た記憶のある柱の模様も。


しかし、矢印の指す方向を見れば、柵で締め切られたその奥に真っ暗な空間・・・あぁ。




バリケードの隙間から覗いてみると、、、おや、ホーム上屋の鋳鉄柱が根巻き基礎ごと、何本も置いてあるじゃないの。
あれはどう見ても、「とってある」感じだな。もしかして新しく整備する施設の一部に使うために保管してあるのだろうか。
いや、きっとそうだ!


そうだ、ここは台湾。台鉄はこの美しいレンガの駅舎の保存はもちろんのこと、旧ホームの一部も
素敵な何かに変身させてくれるに違いない!!






台中駅では最近、この解体工事中にだと思うが、1905年に建てられた擬洋風木造建築の初代駅舎が
一部現存していることが発見され、台湾の鉄道史上重大な発見として話題になった。
明治、大正、昭和の各時代に作られた建物が並存して今まで使われてきたのだ。素晴らしいな!

向こうに見えるのは、ル・メリディアン台中。展望台は回転するのかな?

1917(大正6)年に建てられた2代目台中駅舎。8頭身美人のような(笑)超美形レンガ建築。


これからも変わらず台中の顔として君臨し続けるだろう。




こっちの方はまだほとんどそのまま手をつけていない感じ。


今は地上の線路をぶった切られた古い駅舎がぽつねんと残っているような感じだが、近いうちに
何の違和感もなく街に溶け込んでいくに違いない。古いものと新しいまちを融合するのが台湾は
とてもうまいから。悪いようにはならない、必ず今よりよくなる、そう期待していよう!




注)これは2018年12月23日時点での風景です。

続く。
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日南線の駅風景

2018-11-06 22:26:16 | 鉄道風景
青島からの続き。

さて、飫肥へ向かうのに6:45に青島の宿を出た。
駅へ行く前にちょっと海を見に行こう。日の出は6:20ぐらいで、青島から昇る朝日が見れると聞いていたが、
やっぱりちょっと遅かった(汗)


こんな早朝なのにもうサーファーがたくさん波間に浮かんでいる。日南海岸はどこもサーフィンスポットらしく、
なるほど沖から次々と押し寄せる波は横一列にきれいに揃っている。楽しそうだなぁ、一度やってみたいなぁ~
でも朝に強くないと無理か(爆)。
陸上は苦手だけど水中は好きで、昔はダイビングも少しやったが、億劫になってしまってすっかりご無沙汰(汗)


このあたりは流木も比較的少なく混じりけのない砂が美しいなぁ。これは風紋?
水際まで行って、砂浜に投網のように広がる波を見ていると時間を忘れそうになる。


さぁ少し写真を撮ったら、もう行かないと。日南線は本数が少ないので乗り遅れたりしたらエライことである。
今日は子供の国駅から乗るつもり。昨日車窓から見た駅舎がとても素敵だったので、駅の写真も撮りたい。


ういろうと言えば名古屋と思っていたが、宮崎もういろうが名物らしい。
ういろうを連呼する看板(笑)。どこの店もフォントが同じなのが何だか笑える。


子供の国駅も無人駅だ。穴あきブロックのスクリーンと、扇型に広がる緩やかな階段が特徴的で、6~70年代の
香りを振りまいている。


日南線は、最初宮崎軽便鉄道(後の宮崎交通)が開通した路線であったが、1962(昭和37)年に廃止され、
その跡地を国鉄が譲渡を受けて1963(昭和38)年に営業開始した。
この子供の国駅はその時に整備し直したものという。


こどものくにという遊園地があるようなのだが、駅前は全く静かなもの。って、まだ朝早いからか。


乗るのはやっぱり国鉄型の古い車両。重い窓を少し引き上げて、停まる駅ごとに写真を撮れるのもいいね!
トンネルに入るとやかましいから閉めて、また開けて(笑)




日南線は海沿いを走ってるイメージだが青い海が間近で見れる区間は意外と少ない。チラチラ見え隠れする海を
撮ろうと必死(笑)
青島付近で鬼の洗濯板と呼ばれる地形はこのあたりまでも続いているようだ。
硬い層とやわらかい層が重なってできた水成岩が波に洗われて硬い部分だけが残ったもの。


小内海駅のホームから。


ひなびた駅舎のある伊比井駅で、行き違いをするようだ。ホームへ!!




う~~ん、こんなホームで列車を待てるのはうれしいなぁ!


対向列車がやってきた。やっぱりこういう駅には国鉄顔の車両が似合う。





旅情を満喫しながら1時間ほど乗って、飫肥に到着!

続く
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あぁ、感動の高雄ライトレール

2018-10-28 18:06:27 | 鉄道風景
高雄の続き。

高雄発のピーチ便は14:00発なので、高雄での滞在は午前中いっぱいしかないが、去年開通したライトレール
(高雄捷運環状軽軌)にどうしても乗りたいと思っていた。1月に嘉義へ行く前に高雄に少し立ち寄った時
走っているのを目にして開通したことを知ったのだったが、その時は乗る時間もなく横目で見ていただけだった。
早起きして乗りに行くぞ~!

朝からMRTで西子湾へ移動、出口を出たらすぐライトレールの哈瑪星(はません)駅がある。あの高雄港駅の中に!
「哈瑪星」とは、日本時代に呼ばれた「浜線」という地名がそのまま定着したもの。響きがいいね!
これまでは正式な地名としてはなかったと思うが、駅名になるというのはうれしいなぁ。

まるで高雄港駅から列車に乗るように、構内へ入って行く。ドキドキ・・・


すると見えて来るのは、貨車!客車!機関車!うわぁ~~~
あぁ・・・感動が胸に押し寄せる。なんて素敵な気分だろう。


そして真新しいホームと青々とした芝生が目に入る。背後に広がるヤード。ここから列車に乗れる喜び!
ここに路面電車を走らせるという素晴らしいアイデアは、貨物線を廃止する前に決めていたのだろうか、
まさか、これのために廃止したとか・・・まぁそんなことはあるまい(苦笑)


ライトレールのホームの裏には高雄港駅のホームが。




さてひとしきり写真を撮って浸った後は、2両編成の真新しいトラムに乗り込む。右側がいいか左側がいいか
迷うところだが、結局フリー(立ち)で。


さぁ出発!!
お楽しみはすぐにやってくる。哈瑪星駅を出るとまず左へ大きく90度カーブして道路と並行になる。


この道路は臨港貨物線の廃止後に広い貨物ヤードをズバッと横断するように作られたものであり、
断ち切られたもとの線路の束を横から眺められるスポット。長い長い踏切を渡るような感覚。

かつてこの辺りに転車台もあったのだ。

鉄道博物館のある倉庫街を回り込んでトラムは左へ。かつて殺伐としていたエリアは今や函館の赤レンガ倉庫にも
劣らない賑わい!劇的な変貌である。
高雄港の大きなゲートを横目に今度は右へカーブ。


この辺りの右側にも古い台糖倉庫が並んでいた記憶があるが、いくつかは取り壊したのかもしれない。


もとの貨物線跡を、おしゃれに変貌した倉庫と港を両側に眺めながら、貨物列車と同じ目線でトラムで走るなんて
なんてわくわくするんだろう!


そこから少し上り坂となり、愛河を渡る。


この先の港湾エリアは近代以降に作られた大工場地帯で、工業都市高雄の心臓だったところだが、
街の発展、人口増加に伴い工場や港湾機能はどんどん郊外へと移転していった。
近年郊外型のショッピングセンターや展示場などの大型施設が作られてきたがまだまだ発展途上で、
ここでも巨大な建築が鋭意工事中。






新光埠頭もずいぶん変わったなぁ!


高雄展覧館駅で降りて陳中和記念館を見に行こうと思っているが、せっかくなので終点まで行ってみよう。


前鎮の港あたりからライトレールは海岸を離れ内陸部へ入って行く。
以前、渡船の中州~前鎮航路に乗ったときに前鎮港に着いて自転車で走り出してここにさしかかり、
巨大な交差点の真ん中を堂々と横切る臨港貨物線の線路を「発見」し、感激にむせんだのだった(笑)。


このあたりには肥料や化学工場があったようで、更地になったのはここ数年の間ではないかと想像。
建物が解体されたばかりのような雰囲気で門と塀だけが残っている。土壌汚染などあるだろうから今すぐ
開発に着手はしないだろう。
開発の度合いは地域によりグラデーションがある。これから一帯に新しい街が作り上げられていくプロジェクトの
過程を、ライトレールの車窓から何年もかけて観測することができるというのは、まさにとびきりの観光じゃない!?

さて終点の籬仔内駅に到着。ライトレールはまだここから北へ伸びる予定なので暫定の終着駅である。


大きな交差点の先に前鎮機廠が見えた。


道路の中央にある籬仔内駅のホーム。


この柵など、貨物線の香りがまだまだ感じられるなぁ。。。



この感動を感じてもらうためには、是非ともこれまでの記事を順番に読んでほしい!
2009年(1)
2009年(2)
2011年
2012年
2014年
2018年1月

続く
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虎尾駅と虎尾糖廠鉄橋

2018-10-26 23:21:01 | 鉄道風景
虎尾の続き。

まちなかから少し移動して来た。この虎尾駅は日本統治時代の1907(明治40)年に五間厝驛という名で
開業し、以降サトウキビ運搬に加え旅客営業路線としても重要な役割を果たしてきた。
1975年に廃止されたあと修復され、現在は旅客中心となっている。


中はベタなお土産屋(笑)


建物を通り抜けた裏には、、、広大なヤードが!駅舎は今も稼働している台湾糖業虎尾糖廠の敷地内にあるのだ。


サトウキビを積み込む貨車が留置され、背後には工場の倉庫が並んでいる。あぁ~~いいねぇ!


このヤードは今も使っているのかどうかは分からず、冬にはサトウキビが満載された列車が続々と入線してくる、、、
という光景は頭の中に描くのみ。。。


虎尾駅舎の横にはいくつかの建物が並んでいる。1918(大正8)年に建てられたこちらの建物は外壁に
台湾ヒノキが使われていたという。ちょっとよく分からなかったが駅関連の事務所だったのだろう。


中央部に塔屋が載った独特の外観。修復されて今はオーガニック食品の店になっている。


アールデコっぽいデザインの持ち送り。


こちらもレストランになっているようだ。ドアを開けて中を覗いてみたが内部はもうすっかりきれいになっていた。


そしてこちらの廃墟は、もと台糖の診療所と理髪所だった建物。


荒れ放題ですでに朽ち果てかけているが、大屋根に守られ予算がつくのをじっと待っている。




さてこちらは現役の台糖の工場。門から中を覗いてみると、建物の方まで線路が何本も伸びていた。
ん~~いいねぇ~~


線路は工場の外まで伸びているが、途中で寸断されているところを見るともう廃止されたのかな。。。


線路をまっすぐたどっていくと、あっ、鉄橋だ!


リベットぶつぶつの力強いトラス橋。これは「虎尾糖廠鉄橋」で、全長437m。台湾糖業公司の糖業鉄道の
斗南線の橋であったが、鉄道が廃止されたあと雲林県の県定古蹟に指定された。
若い女の子やカップルや子供連れなど、人がいっぱいだ。写真を撮ろうとしても人が入ってしまうな。。


一番工場に近い側のダブルワーレントラスの桁につけられていたプレート。
「WESTWOOD BAILLIE & Co」と刻まれている。イギリスから輸入した材だ。


敷かれているレールは3本。これは三線軌道と呼ばれるもので、台湾ではここにしか残っていないとか。
虎尾鉄橋はもともとは貨物用のナローゲージだったが、その後旅客路線として縦貫線から列車を乗り入れるため
1067mm幅のレールが増設された。面白いなぁ!!


この虎尾糖廠鉄橋は2012年の台風で、橋脚が倒れ橋桁が落ちるという大きな被害を受けた。
しかしその後、中央機関と地方政府と民間企業が力を合わせ、3年の年月と巨費をかけて修復されたのだとか。
おかげでこの虎尾糖廠鉄橋は今も虎尾渓の両岸を結び、文化資産として多くの観光客を集めているのだ。


437mはさすがに長かった・・・下は枕木の間にグレーチングが敷かれているが、軽量用のグレーチングなので
踏み抜きそうで結構怖いなぁ(汗)。対岸に渡り切った時には他の客は誰もいなくなっていた。


駐車場の横にあった現役の「単身宿舎」。


最後に虎尾糖廠名物の棒アイスを併設された売店で買って食べる。あぁおいしい~~

サトウキビ列車が走る姿は見れなかったけど、旧駅舎や廃線跡や鉄橋、そしてアイスまで!虎尾糖廠の風景を
十分楽しむことができた。あぁ満喫!!

朝から夕方まで車で3つのまちを案内してくれた徐さん、ほんとにありがとう!いろいろ話もできて楽しかった!!

続く
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