まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

かどや(旧広野家住宅)のガラス

2021-02-03 21:05:33 | ディテール
2020年1月の伊勢・鳥羽の続き。

ガラスを見ていこう。
室内のガラス障子にはまった、明治建築独特の濃厚な色のガラス。鉛の入った古い色ガラスは発色がどぎつくて
透明度が高い。赤・青・緑の三原色のガラスを互い違いに配し、間に模様入りのケシガラスを嵌めてある。




閉めるとこんなふうにすべて色ガラスに!さらにケシガラスが重なって、模様入りの色ガラスにみえるのだ。
面白い効果だな!


しかし普通はやはり光が直接当たるよう、外部に面した窓に使われることがほとんどだが、こんな部屋と廊下の
境にあるのは不思議な感じがするな・・・


このガラスの上にも北斗七星が。ちょっといびつだけど(笑)


主人の間からお庭の方を見ると、欄間のガラスがえもいわれぬ美しさ!


霞がかかったような、こんな模様入りのケシガラス、見たことがない。絵画ではこういう霞や雲を場面の切替部分に
配するのはよくあるが、それの実写版か!?(笑)


これは表に面した窓。斜め半分を半透明にして、巴文や木瓜文のような模様を散らしてあり、とってもおしゃれ!




そして、トイレ前の廊下にも色ガラスがある。


お庭に面した廊下の欄間部分に、赤・青・緑と透明のガラスが嵌っているのだが、この割付のセンス!!
まるでモンドリアンパターンじゃないか!なんと斬新な・・・


壁にゆらゆらと映る、三色の光。・・・いやもう、感嘆!


トイレに向かった突き当りにも、さっきと同じようなガラス障子があった。
こちらは一部割れてしまったのだろうか、色ガラスが4枚しかなく、所々透明のガラスが入っている。


色ガラスを通して見るモノトーンの景色は、現実のものとは思えない不思議な世界。明治の人々も、ガラス一枚
隔てたこの異世界に夢中になったことだろう。


トイレの入口のガラス戸には、まるでパッチワークのように、いろんな模様のケシガラスが勢ぞろい!








ここに挙げた以外にも数種類あった。この建物内ではいったい何種類あるだろう。
しかし、自分の姿が映り込んでなかなかうまく撮れない・・・(汗)


トイレのタイルはストレートエッジの白無地タイル、そして染付便器が残されている。
小便器の方は途中で青磁のものに取り換えられたようだが、古いものも取ってあったんだな。


ちょっと色がわかりにくいが、この格子窓の四隅の部分にも小さな色ガラスが使われている。


赤・青・緑に加え、オレンジ色も。


そして・・・何と大便所の掃き出し窓にも!う~ん、これはちょっと・・・いくら異世界でもなぁ(爆)

あぁ面白い、ガラスだけでこれだけ見ごたえのある建物もなかなかないだろう。

これだけ楽しめて、なんと入場料は無料なのだから驚く!
建物は単に公開されているだけではなく、貸し部屋やイベント会場ともなる。平成24年に設立された
「かどや保存会」の方々が、建物の保存・継承に加え、鳥羽の伝統文化の情報発信の場として活動されているのだ。
建物見学とともに鳥羽のまちを楽しんで少しでもお金を落とさないとね!
鳥羽水族館のラッコにも会いたいし、また来よう~~

おわり。

もくじ
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大王崎のタイル

2021-01-31 16:15:44 | ディテール
2020年1月の伊勢・鳥羽の続き。

いいお天気で快適ドライブ♪二見浦から、タイル物件があるという大王崎、波切漁港あたりへやって来た。


うわっ!!なんじゃこりゃ!!廃墟じゃないか!!このタイルは・・・お風呂屋だ。煙突も残っている。
もうずいぶん放置されてきたのだろう、完全に屋根は落ち、ドアも窓もない、スケルトン。
構造はRCでがっちり造られていると見える。


・・・しかしすごいつる草だな。建物を食い尽くそうとしているかのようだ。
廃墟苦手な私も、白日下これほどあっけらかんとした廃墟だと、何か遺跡のように思えてきて怖さは感じない。


市松に貼られた水色のタイルが、空の色にも負けないほど鮮やかな色!


ここから手前が脱衣所だったのかな。ん?しかし入口が1つしかないな?男女混浴だったとか、まさかね(爆)


内部にもタイルが見えている。


なんと白無地タイルが四半貼りされているじゃないか!そして雷文マジョリカのボーダーと、役物使いの納まり。
こういうタイル使いの雰囲気からして戦前のように思えるが・・・モザイクタイルも使われているから戦後なのか?
モザイクは改修時のものとも考えられるので、やっぱり元は戦前だと思う。


これは鏡か?高島屋のマークが残っている。


つる草を全部取り払い、浴槽やカランなどがどうなっていたのか、男女の仕切りがあったのかどうか、確かめて
みたいが、無理(苦笑)。ゴミも片付けてここをきれいにしたら、結構面白い使い方ができそうな気がするなぁ!

さて、大王崎の方へ向かって歩いていくと、また別の倉庫のような建物の床にモザイクタイルがあった。


油などにまみれたのだろう、こちらはかなり汚れているが、奥の方には一部模様になっている部分もある。


壁はさっきのお風呂屋と同じく白無地タイルにマジョリカボーダー。倉庫にしてはしゃれているし、どういう用途の
建物だったのかな。






漁港に面した干物屋さんの建物。


ドイツ壁のように荒く仕上げた外壁に、額縁付きの縦長窓。


お買い物のついでにお店の人と会話して、ちょっとその辺まで見せてもらった。
弓型のペディメントなんかがついているが、これは完全に土蔵だな!この入口の中は三和土の土間で、その先は
上げ床になっているようだ。


上を見ると、八角形の凹みがあった。抜けているのか、それとも照明器具がついていた凹みなのか、ちらっと
見ただけなので不明。。。


買って帰った太刀魚のみりん干しはおいしかった!


その隣の建物、こちらもかなり古そうな倉庫というか蔵。日本瓦が載った寄棟屋根だが、一部落ちていたり
見るからに老朽化が進んでいる。


一部壁が剥げているところに見えているのは、鉄筋??これRC造なのか??
しかし、台風が来たら暴風や高波をまともに受けそうなこんな場所で、よく今まで残っているなぁ。


「海女専用」駐車場。いいね!


漁港は楽しいなぁ~


さて、お天気もいいし大王埼灯台まで上ってみようか。


続く
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麻野館のタイル

2021-01-28 21:08:19 | ディテール
2020年1月の伊勢・鳥羽の続き。

各部屋それぞれに違ったデザインが楽しい麻野館
そしてお風呂の壁は、夫婦岩のモザイク絵が~~!
岩に砕ける白い波、朝日に染まる水面、夫婦岩の陰影。臨場感たっぷり!!これはすごい大作だなぁ~~
さらにこんな舟型の浴槽で、気分はすっかり海辺の露天風呂!




実はこちら、私たちが行ったとき男風呂だったのだが、お客がいないときを見計らって見せてもらった(笑)
女性用は割と普通のお風呂で残念だったが、男女入れ替えにしているようなので、朝は女性用になっていたのかな?


そしてお風呂の前にある手洗い場にもタイルがあった。


シンクまわりにはこんな小花模様のプリントタイルが貼られていた。こんなの見たことないなぁ!?かわいい~~
新しいものではなさそうに見える。同じ柄の役物まで使ってあるから結構古いと思うが、、、さっぱりわからない。


レトロな鏡も。




こちらは別の手洗い場のガラス棒を並べた間仕切り。素敵~~


廊下にお魚型のかわいいプレートがかかっていた。
二見浦では5月から7月にかけて、夫婦岩から昇る朝日が名物となっており、さっきのお風呂のモザイク画は
その神々しいシーンを描いたものだ。
シーズン中には多くの人がこのプレートに記載された日の出時刻をチェックして朝散歩に出かけるのだろうな。


階段ホールもいろんな意匠が見られる、見どころの一つ。


階段ホールに面したおしゃれな窓。


木の皮を張った天井。廊下もデザインを違えて。


手すりもかわいい模様が。


チェックアウトしてから、建物の裏側に回ってみる。麻野館の裏はすぐ海岸の松林になっていて、その向こうは海。
ビーチまで徒歩0分!


3階の左端が寿の間だな。素晴らしいロケーション。




海に向けた銅板張りの看板には「旅館 海水浴 麻野館」と書かれていた。


直接海に出られる出入口が海の家っぽい。脇にはシャワーも設けられている。夏には今でも使っているのかな?


続く
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旧横浜市庁舎の見学 議場など

2020-12-25 20:25:32 | ディテール
旧横浜市庁舎の続き。

市民広場の吹抜けに作られた階段がまた素晴らしい。軽やかに浮いたような、珠玉の「村野階段」である。
段の高さは普通の半分ぐらいだろうか、とても緩やかで踊り場がたっぷりとられている。階段はわざと雁行させてあり、
転回部分の踊り場は空中に突き出したお立ち台のようだ。


手すりも途中で形が変わっていたり、階段のデザイン一つにおいても既製品を使わず、細部にわたり効果を考えながら
設計されていることが感じられる。

上の方はごく普通の柵のある手すりがついているが、あとから付け替えられたものと思われる。

行政棟の室内はもぬけの殻であまり見どころはないが、壁に取り付けられた村野デザインの時計は今でもカッコイイし、
ドアの蝶番や取っ手など面白い形のものが見られた。






市会棟の方へ移動。

角部屋の議長室には型板ガラスのパーティションが残っていた。


この時計もかわいい。切り貼りしたようになっているのは、移設してあったのを今回のために戻したからだとか。


議場に入ると、輪っかの形の天井照明の一群が目に飛び込んできた。うわぁ、面白い形。
光源は円形のパネルの後ろに隠され、隙間から漏れる光による間接照明。シンプルだがしゃれていて機能的でもある。

天井の両側の白い部分には大きなレリーフがあったのだが、あまりよく見ていなかった(汗)

そして、この議場の両側の壁に設けられた窓に驚嘆!!壁をくりぬいてサッシをはめ込んでいるのではなく、
板壁そのものが一部細く分割されていて、縦型ブラインドのようにそれぞれが回転するのだ!すごいギミック~~
こちら、議長席から見て右側の窓は開けられた状態。この窓を開けたのはもう何十年ぶりだったとか。




そして左側の窓は閉められた状態。ぴっちりと閉じられ、ぱっと見、窓があることに気づかないほど。
なんて面白いんだろう~~!!




ギミックは議場の椅子にも仕込まれている。一見どっしりしたアームチェアは、床から少し浮き上がったように
見える以外はごく普通な感じ。


「座ってみてください」と市の担当者に言われて腰かけてみると・・・うわっ!なにこれ!?
椅子自体がまるでレールのついた引き出しのように、前後に軽くスライドするのだ!しかも、ちゃんと元に戻る。
重い椅子だと引くことができないが、これなら座ったり立ったりもしやすい。あぁなんと気の利いた配慮!


ベニヤの板目が美しい。




階を示す数字も、村野藤吾がデザインしたもの。あぁ、こんなところまで・・・すべてが素晴らしい。






外へ出て外観を見る。
高層の行政棟の柱は、言われないと気づかないが上に行くほど細くなっていると言い、軽やかな印象と同時に、
見上げた時の遠近感が強調される効果があるな。


縦の柱だけでなく水平にも同じぐらいの太さのコンクリート部分が渡っており、格子のように見える。
格子の間に、レンガタイルの壁とガラス窓とバルコニーという3種類のユニットをランダムにはめ込んだようなファサード。
もうなくなったが北九州の八幡図書館もコンクリートの格子状のファサードだったな。


屋上にそびえているのは避雷針を兼ねた鐘塔。この地はかつて運河に面し、もともと魚市場があった場所だそうで、
それにちなんで村野藤吾が漁網を模したデザインで作ったという。いい話~~


建物前の「くすのき広場」には、レンガを詰めたカゴを土台としたベンチがたくさん据え付けられている。
かつてこの場所は車道であったのが地下鉄工事の復旧時に広場となったが、車道に敷かれていたレンガを
再利用したのだとか。


約1時間の見学会だったが、このまま見れずじまいで終わるかと思っていただけにありがたい機会だった。


今後市庁舎の建物はホテルとして生まれ変わるとニュースで知っていたが、何とあのタイル壁画のある市民広場と
議場は解体して高層の行政棟を客室として利用する計画らしい。えぇ~~っ、あれを潰してしまうの!?何で~~(涙)
どちらか言うとその低層の二つが特徴的な空間なのに~~。そのままホテルのロビーにしてほしかったなぁ。。
あれを残す条件の公募にできなかったのかなぁ。。。


外へ出てからも名残惜しく、いろんな方向から眺める。。。
これから工事を経て完成する頃にはとっくに私は大阪へ帰っている(はず)。わざわざ泊まりに来たくなるような
新たな魅力が追加されるだろうか。

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旧横浜市庁舎の見学 タイル壁画

2020-12-24 20:25:26 | ディテール
夏にニューグランドに泊まったときに(まだ書いていない・汗)、SNSで目にしていた横浜市庁舎のタイル壁画を
見ようと現地へ行ったら、市役所は今年の6月で新庁舎へ完全移転していて、鋼板塀を前に茫然としてしまった。
そのとき見れずじまいだったので、今回の見学会を知って速攻で申し込み、めでたく参加できることになった!
大阪からでも行っていただろうが、うまい具合に(?)今は東京にいるので、朝イチでも行ける。
土曜日、関西から前泊の友人と合流して一番乗り!


この市庁舎は7代目で、横浜開港100周年の記念事業として1959(昭和34)年に建てられたものとか。
市会棟、「市民広間」と呼ばれる吹抜けのホール、高層の行政棟が、建設当初からの村野藤吾の設計による建物だ。
後年増改築が行われながらも、61年間使われてきたわけであるが、今見てもまったく古さを感じさせない。




入口から入るといきなりタイル壁画に迎えられた。うお~~っ!


議場への入口の両脇の藍色のタイル壁に、動物のような、人物のような、抽象的なデザインの絵がタイルで描かれている。


壁画に紛れるようにして取り付けられている時計。水彩画のような色の緑色のタイルが美しい。




そしてさらに市民広間へ進むと、吹抜のホールの壁一面に巨大なタイル壁画が広がっていた。うわぁ~~これだ!


高さは2層分で8mぐらい?、幅は、コンクリートの柱をまたいで合計30mぐらいあるだろうか。


これらのタイル壁画は、村野藤吾とよく協働したという彫刻家の辻晋堂の作品という。


この作品のもつちょっとレトロな雰囲気自体とても素敵で心惹かれるが、キャンバスに絵具で描かれているのでなく
タイルでできていることで私の心はわしづかみにされた!工業的なイメージのある小口タイルを使っているのに、
有機的な質感を醸し出しており、タイルの美しさが際立っているな!




レリーフ状の凹凸や方向や密度に変化をつけた貼り方によって、どの部分をとって見ても飽きない面白さ。
タイルの色によって目地の色も変え、目地の太さによって色の濃淡さえ表現されている。




特注で焼かせたと思われるちょっと変わった色、質感のものを部分的に混ぜていて、ピースの一つ一つが工芸品のようだ。


もう壊されてしまったが名古屋の丸栄百貨店など、村野藤吾の他の建築もタイル使いが素晴らしく印象的なものが多い。
この壁画は原画を辻晋堂が描いてタイルの選定や割付は村野藤吾が考えたのか、それとも辻晋堂が全て制作したのか?


床は尼崎市役所や千里南センタービルなどでもあった、こげ茶色の拍子木タイルの矢筈貼り。
天井に吊られた波打ったパンチングメタルや円形の大理石のベンチなどは竹山実氏による改修である。


最初の15分間ホール1Fで自由に撮影を楽しめたが、感激しすぎてどこからどう取ってよいかわからず・・・
あとから思うともっと細部も撮っておけばよかったとか、端の方もちゃんと正面から撮っておけばよかったとか
いろいろ思ってしまう(汗)。
そのあとは横浜市の職員の方の案内で館内を順に見て回ったが、とりあえず、タイルばかりを先に紹介。

市民広間から続く廊下の壁の藍色の小口タイルがなまめかしい艶をまとっていて、撫でまわさずにはおれない(笑)。


エレベーターまわりもなんてカッコイイのだろう。。。


三方を藍色のタイルに囲まれた至福の階段。




2階の廊下の壁にもコンパクトなサイズのタイル壁画があった。


白い背景に描かれているのは船のイメージか?木のイメージ?


ところでこの壁画は、柱で区画されたホールの壁画とは違い、廊下の藍色の壁からひとつながりである。
壁画のある面は白タイルなので、壁の角の部分は当然藍色のタイルと白のタイルが突き合わせになっているのだろう・・・
と思ったら、何と、藍色と白の釉薬が掛け分けられた役物タイルが使われていたのだ!!うわぁ~~すごい!!


確かに館内の廊下の角でタイルを突き合わせるとどうしても引っ掛かりやすくケガをしそうだ。角をなめらかに
納めてあるのはそうした配慮からだろう。それでいて、色の境界をギザギザにしたくないというこだわり。感動・・・
村野藤吾はその建物を使う人々の肌感覚までも見通して建物を作っていたんだなぁ。
そう考えると、壁画のタイルの選定は村野藤吾がしたんだろうと思う。
ツアーの一行を追いかけることに気を取られて撮り損ねたのだが、壁画の左側の入隅の部分も、あとから写真を
拡大してみたところ、同じく2色に掛け分けられた役物のようだった。

市民広間2階の通路からは空間全体を俯瞰できる。壁画を楽しむにも絶好のスポットだ。




コンクリート打ちっぱなしの柱は今の建築と比べるとずいぶんスリムで、杉の板目が美しく浮き出ている。
外壁の柱ももともとはこれと同じ打ちっぱなしだったらしいが、後年塗装されている。


続く

追記:「市民広場」でなく「市民広間」が正しいらしい。屋内なのに「広場」ってちょっと違和感あったが
 やっぱりそうか(笑)。訂正しました。
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小石川後楽園 九八屋の敷瓦

2020-12-11 23:36:21 | ディテール
久々のブログは単発ものから・・・

小石川後楽園の得仁堂の床に、古い瀬戸の本業敷瓦が敷き詰められていることを、以前多治見のモザイクタイルミュージアムで
やっていた敷瓦の世界展の展示写真で知った。そして、一昨年だったか、年に1回の得仁堂内部公開日に合わせて見てきたのだが、
その直後に、同じ小石川後楽園内の九八屋に興味深い敷瓦があったことをSNSで見て、愕然としたのだった。。。
それ以来再訪する機会をうかがっていた。


いつもながら家を出るのが遅く、阿佐ヶ谷の茶嘉葉さんへ行った後に向かったので、着いたのはもう3時過ぎ。
着いたら九八屋へ直行。九八屋とは、小さな茅葺のあずまやのような建物で、内部は周囲に作り付けのベンチがあるぐらい。
もとは酒をふるまう場所だったようで、「酒を飲むには昼は九分、夜は八分にすべし」という教訓から名づけられたという。


その床に、目的の敷瓦があるのだ。戸のない入口から四半貼りされた敷瓦が見えている。おぉ、これだ!!


近寄ってみると、いちばん目につく入口の中央部に、海松文と呼ばれる模様が印刻された分厚い敷瓦が数枚嵌っている。


模様は2種類あり、印刻はとても深くくっきりしている。どちらも海藻の海松(みる)を図案化した、古い文様である。
着物やなんかのデザインでは見たことがある。いや、この模様の敷瓦もどこかで見たことがある気がするのだが・・・
記憶違いかもしれない。




一枚だけ、水玉模様のような敷瓦もあった。


じっくり見ていると、無地に見えるまわりの敷瓦もかすかに模様の痕跡があり、もとは模様が入っていたが踏まれ踏まれて
擦り切れてしまったようだ。釉薬のガラス質が剥げて素焼きのレンガのようになってしまっている。。。(涙)




九八屋には灯りがなく、中の方の陰になっている部分は真っ暗・・・そして蚊がわらわらと湧いてきた(汗)


模様が擦り切れた敷瓦以外に、もとから無地だったと見られる敷瓦や、少し新しそうな敷瓦などが混在している。
新しいものはコンクリート平板っぽく、おそらく改修時に傷んだ敷瓦を取り除き補充されたと思われる。


九八屋の改修歴について公園事務所で尋ねてみたのだが詳しい資料はなく分からないということだったが、
ネット上に公開されている「東京都における文化財庭園の保存活用計画(小石川後楽園)」という資料を見ると
1710(宝永7)年の絵図に現在の位置とほぼ同じ場所に九八屋らしき建物が描かれている。関東大震災により損傷し、
1929(昭和4)年までに修復。そして第二次大戦の空襲で焼失し、1959(昭和34)年に再建したとの記載がある。


建物の上物は焼けても基礎は残るだろう。敷瓦のあの激しい傷み方は、焼けたからではないか。
敷瓦は焼け残ったものをそのまま使っているのか知りたくて、昭和34年の再建工事の詳細記録が残っていないのかと
東京都公園建設課に問い合わせたが、ないと。。。しかし文化財なので、元からあるものはそのまま保存するのが原則との話。
小石川後楽園は1923(大正12)年に史跡及び名勝、1952(昭和27)年に特別史跡及び特別名勝に指定されている。


こちらは園内にある、西行堂跡。頼房の時代に建てられ西行法師の木像が安置されたお堂があったが、こちらも戦災で
焼失したという。基礎と敷瓦が残っており、九八屋もこれと同じような状態で焼け残ったことがイメージできる。


こちらの敷瓦は印刻がなく釉薬もかかっていない。九八屋のものより古そうに見えるが・・・


九八屋の敷瓦も少なくとも昭和34年のものには見えないし、昭和4年のものにも見えないと、私は思う。
再建時または近年の整備で、状態のよいものをよく見える入口付近に並べ、粉々になってしまった分を補填するぐらいの
ことは行われたと想像する。どちらにしても貴重なので、現在の踏み放題の状態は心配・・・保護した方がよいかも。。

そんなことを考えながら1時間ほど九八屋の付近をうろついていた。他のお客さんは入口からちょっと覗き込んでは、
敷瓦を撮る私を不審そうに見ながら出て行く(苦笑)。

4時半になるともう薄暗くて写真も厳しい。。。しかし園内であと1ヶ所見たいところがある。
薄暮の中、山道のような園路を急いで愛宕坂へ。ここにも水玉の敷瓦があると、先に見に行ったタイル友の会のメンバーから
報告を受けていたのだ(笑)。確かに、あった!!


九八屋にあったのと同じだ!やはりだいぶ厚みがありそうだな。


園路の敷石には切り石が使われているので、敷瓦とまぎわらしいのだが(苦笑)、さらにあと数枚の敷瓦があった。
西行堂跡にあったものと同じような敷瓦、そしてこれはよく見ると海松文の擦り切れた敷瓦じゃないか!!
余ったから使ったのだろうか。園内もっと探せばまだあるかもしれないな!


あぁもう閉園時間だ、出口へ急ごう。・・・しかし、もう真っ暗で道がどこにあるのか見えない。。。
出口に近いと思われる森の中の道を進みかけたが、遭難の危機を感じたので(汗)、遠回りだが来た道を戻ることに。
まだいることを気づかれずに門を閉められてしまうのでは・・・と恐ろしくなり小走りで出口へ向かった。
あぁ冬は日が短くて困る。。。

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台湾復刻タイルinスパワールド世界の大温泉

2020-10-31 22:34:24 | ディテール
世界の大温泉スパワールドで10/22にリニューアルオープンされた「シンガポールSPA」には、
台湾タイル博物館の復刻(レプリカ)タイルが5500枚も使われている。
ちょろっと協力した縁で、先日は工事中の現場も見せてもらったのだが、完成した姿を、お客さんのいない
メンテナンス時間帯に写真撮影させてもらう機会を得た。


もともとドクタースパという機能性浴場だったエリアを、アジアの国々をモチーフにしたこのフロアの
テーマに合わせ、シンガポールSPAとしてリニューアルされたのだ。
デザイナーの千秋育子さんの企画と、スパワールド担当者のこだわりにより、カトン地区のカラフルなまちなみの
イメージを取り入れ、プラナカンタイルを贅沢に貼りめぐらした、フォトジェニックな空間が出来上がった!
スパワールド世界の大温泉






ピンクのバブルの中がトップ写真の酸素風呂。


デザインごとに横一列にずらりと並べられたタイルのマルチボーダー!さらさ西陣や船岡温泉を思わせる。




使われている復刻タイルは10cm角と少し小型で、模様の部分がぷっくりと盛り上がっている。




見かけの可愛さはもちろんだが、こだわった内容を知ってもらいたいという担当者の強い思いで、浴室内には
さまざまな説明パネルが取り付けられていて、ちょっとしたミュージアムのよう。また、お風呂に入りながら
見られるモニターでは、マジョリカタイル、台湾タイル博物館、シンガポールのカトン地区やプラナカンに
ついて説明した動画が流されている。この動画用に台湾とシンガポールカトン地区の写真を数枚提供した。

2年前にシンガポールへタイルを見に行ったときの記事→タイル旅シンガポール&マラッカ

復刻タイルは10種類の人気のデザインが使われており、それぞれの模様の意味がパネルで解説されている。
外国人のお客も多いからか、わざわざ英訳もつけてある。すごい!


こちらのお風呂は高濃度炭酸水風呂。壁にはタイルが1柄4枚セットで壁いちめんに貼りつくされていて、
台湾嘉義の花磚博物館を思わせるね!




実用向けに復刻タイルはふさわしい。台湾復刻タイルの日本でのショールームにもなるんじゃないかな。


床に貼られた大判タイルは千秋育子さんのオリジナルデザインで、ブーゲンビリアの花をモチーフにしたもの。
安全に配慮して滑り止め加工が施されている。






こちらの炭酸風呂・電気風呂には実物大マーライオンが鎮座(笑)。一定の時間ごとに、口からお湯を吐くらしい。
マーライオンってこんな大きいのか・・・前回シンガポールに行ったときはタイルや建築ばかり見ていたので
マーライオンは見ておらず(苦笑)。


この浴槽では柱の部分に復刻マジョリカタイルが使われているが、浴槽の丸タイルもカラフルでかわいい!




そして縁のタイルは、日本のものだとか。これだけ大量に使うのになかなか数が集まらなかったりと苦労も
されたそうだ。しかしこれらのタイルもレトロでかわいいなぁ。




ちなみに、シンガポールSPAの隣はイスラムエリア。


周囲の壁のタイルが超大判で、すごくいい感じにできているなぁ!!と思って触ってみると、何とこれはハリボテ!?
木でできているのか、紙なのか??しかし本物にしか見えないんだけど・・・






これは本物のモザイクタイル。他にも浴室内にはタイルがふんだんに使われている。


2018年に嘉義のタイル博物館を訪れたときはまだ日本ではほとんど紹介されておらず、日本人からの
コンタクトは私たちが初めてということだった。2年でマジョリカタイルブームはここまできた!!感慨深いなぁ~~~
今回は特別に許可を得て、メンテナンス時間帯に撮影させてもらったが、今後このお風呂場を使って様々な
体験イベントなどを考えられているようなので、もっと多くの人にタイルを目にしてもらえるといいな!

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高松のまちなかいろいろ

2020-10-06 23:03:05 | ディテール
今年8月の香川の旅の続き。

高松のまちは広く、中心部を貫く丸亀町商店街やライオン通り商店街などをジグザグと横切りながら路地も歩く。
美術館があって、お屋敷があるかと思えばお寺もあり、料亭や歓楽街もある。いろいろあるのが楽しいね!


鉱滓レンガ?いや、鉱滓レンガ風タイルかな?クーーール!!


ビルの壁に、隣接していた建物の型が残った、いわゆる「原爆タイプ」のトマソン物件だが、ここのは
町家の板壁がそのままベタッと張り付いた感じで、防水の鉄板まで残っている。
町家を壊した時のベリベリッという音が聞こえてきそうなほど存在感があるな。。。わざと木造の痕跡を
残しているのだろうかとも勘ぐるが、、、まさかね(笑)


おや、ビルの向こうに見えるあれは何だろう。緑青をまとった巨大な箱??ちょっとおどろおどろしい感じ・・・


見に行こうと歩いて行くと「NAGAMORI」という店名入りの面格子を見つけた。下半分はルーバーになっている。


きれいな色の小口タイルも。


こんな店舗の薄汚れた壁に目がとまる。あっ、あれはタイル!?


やっぱりタイルだ!白い釉薬がかかった、四角い皿型のタイルが壁いちめんに貼られているのだ!
建物の感じからして1970年代ぐらいのものかな?・・・しかし、埃が積もってすごく汚れている(汗)。
ウェットティッシュを取り出し、1枚拭いてみると・・・おぉ、きれい!!2枚、3枚、4枚・・・(笑)


16枚分ぐらいきれいに拭いてあげたら、このとおり、まるで新品のように!!
白イラボ?白と言ってもナチュラルなオフホワイトから緑を帯びた白まで色幅が広く、中央の凹んだ部分に
釉薬が溜まっていてとっても味わいがあるなぁ!本当は壁全体にホースで水をかけてブラシで洗ってあげたかった。


ここは、はなびしという子供服屋さんの本店のようだが、このタイル壁がくすんでいて残念。。。
きれいに洗えばタイルは輝きを取り戻し、お店の印象も見違えますよ!今一度その美しさに気づき大事にしてほしいなぁ~


そして、、、さっき見えていたのはこれか!中央通に面して屹立する、百十四ビル。うぉ~~カッコイイ!!
たとえが悪いかもしれないがまるで台座の上に墓石が載ったようなシルエットのインパクトは強烈!


正面と裏側の2面が、全く窓のない銅板張りのような壁であり、側面の2面が全面ガラス張り。
台座部分の低層部が、道路をまたいで隣の敷地に建つ棟にまで続いているのも斬新!


こちらが正面。中央通に面して角柱が並び、ボリュームのある緑青色の箱を支えている。


百十四ビルは、日建設計の設計で、1966(昭和41)年竣工。丸亀町商店街に面して建っていた近代建築の
現百十四銀行高松支店が、もともと本店だったが、このビルが完成してこちらに本店を移転した。


外回りの床の花崗岩の60度120度の角度をつけた貼り合わせパターンがまた素敵だなぁ!
このパターン床は1階のガラス壁の中のロビーにまで連続している。




高松のシンボルと言える建物だな!!


こちらは高松琴平電気鉄道(コトデン)の片原町駅。商店街のアーケードの続きにあってショッピングセンターの
入口にしか見えない(笑)。とっても庶民的で地域の人々の生活に密着しているという感じ。


駅の壁の外側に駐輪場が設けられていたのだが、よく見ると、その壁は施釉ブロックじゃないの!?


うわぁ~~きれいだなぁ!海老茶色とブルーの組み合わせは、窯変による色なのだろうか?


もっと近寄って見たかったのだが、自転車のラックが全く隙間なく設置されている上にあまりにも汚れていて
全く人を寄せ付けない(苦笑)

施釉ブロックは寒冷地のものかと思っていたが、なぜか高松ではよく見かけた。

続く。
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なかむらやの青いタイル

2020-10-05 22:38:55 | ディテール
今年8月の香川の旅の続き。



高松の有名純喫茶、城の目が開いているかなと思って行ってみたが、なんと閉まっている。。。あぁ残念。


ランダムな模様入りコンクリートの外壁がユニークで素敵だなぁ!無機質で冷たい感じになりがちなコンクリートだが
陰影のある表情豊かな壁になっている。


これが「眼」なのか!?謎のオブジェ。。。


お隣のミニも休み。。。高松は土日は喫茶店の定休なのか、それともモーニング文化がないのか・・・
仕方ないので商店街のサンマルクカフェでモーニング(苦笑)


隣接民家の跡が、パッチワークのようなコンクリート打ち放し。本体のビルの外壁よりもカッコイイね(苦笑)


商店街のアーケードに面した百十四銀行高松支店の雄姿。1878(明治11)年、百十四国立銀行としてこの地で創業。
石積みの重厚さはあるが、表面がすべらかに整えられた切り石は、コンクリートブロックのように軽快でモダンな印象を
作り出している。


窓下のレリーフ。


百十四銀行のマークが燦然と。


商店街なので引きが取りにくいが・・・アーケードは3階の上の高さで建物全体が見えるように配慮され、
アーケードの支柱もおしゃれなデザインで邪魔にならないのがうれしい。


横道にそれたところの「四国会館」の壁の大判タイル。施釉ブロックかな?


おやっ、あれはなんだ!?


うわぁ~~、きれいなターコイズブルー色のタイル!!!


イタリア料理店のように見えるが(笑)、ここは中村谷(なかむらや)という家具屋、インテリアショップ。
しかし今日は閉まっているな。・・・あぁ、まだ時間が早いからか。


均一な色ではなくムラがあって味わいのある色合いは今のものではないな!?


オレンジ色っぽい窓枠にとても映える。


そして上を見ると・・・軒先にこんな丸瓦が使われている!?丸瓦を樋代わりに!?






おや、屋根は黄色いのか。


道の向かい側から見ると勾配屋根がよく見えた。屋根の上は砕いたタイルのモザイクになっている。おもしろいな!!
家型の建物が後ろのビルディングにめり込んだような不思議な形。いったいどういうつくりになっているのか!?
お店が開いていたら奥まで行ってみるのだが、ちょっと待っていられない(汗)


今ネット検索してみると、中村谷は創業が1853(嘉永6)年、讃岐箪笥の老舗だとか。現在は家具の販売にとどまらず
建築事務所として設計施工も行っているという。
1974(昭和49)年築の本社ショールームというのがこれだな。改修はしているだろうが、このタイルは当時のものだろう。
中村谷のサイト →こちら

あぁ、いくら眺めても見飽きない至福のタイル。。。去りがたい思いを断ち切って、次へ行こう。

続く。
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橋本のマッサージ屋 2階

2020-09-25 21:48:45 | ディテール
橋本のマッサージ屋の続き。



さっきの元手洗い場を中庭側から見ると、光が通らないのであまりきれいに見えないが、最近のものでなく古いことがよく分かる。




手水のところにタイルのカケラが並べてあった。うわぁ~~、きれい!これは玄関の壁などに貼られていたタイルの一部だとか。
崩れ落ちていたため撤去し、かなりの量を捨てたと言われていた。えぇ~~もったいない~~
若草色のタイルなどあまり見かけない色も。


裏側にはモルタルが着いていてはっきり見えないが、鷹のマークなど(?)あった。マーブル模様の大型のものは戦前かな?


2階へ。


こちらの部屋がまたすごかった!


まず入口ドアの上の欄間に、ステンドグラスが。


廊下に面したガラス戸の上の欄間にも、ステンドグラス。


この廊下の天井が、傘天井のように放射状に押さえ縁を配してある。クモの巣みたいだ(爆)。




そして部屋の中を見てびっくり!!変わった形のステンドグラスの窓があった。下の手洗い場と同じテイスト。
うわ~~~、これはすごい!!
この部屋でマッサージをしてもらいたかったが、ここは特殊な施術をする部屋だといい、かなわなかった。


使われている型板ガラスはちょっと古そう。


たくさんある部屋を生かして近々宿をオープンする予定とのことで、もうほぼ準備は整っていた。
建具一枚で隔てられただけの部屋だが、清潔なベッドと寝具が用意され、1泊5千円程度だとか。安いなぁ!!


一度泊まってみるのも面白そうだな~~

※2020年9月末現在すでにオープン済み。



表通りから見えている窓も色ガラスがはまっている。赤、青、黄、緑・・・
割れてしまったところは同じガラスが手に入らないため、透明のガラスに似た色を塗ったのだという。涙ぐましい努力・・・




元の便所はシャワールームとトイレに改造されていた。


床はモザイクタイル貼りのままがうれしいね。床がモノトーンの市松、壁の足元はマルチカラーのランダム貼り。
ちょっとよく分からないタイルの選定だが(笑)それもまた興味深い。






マッサージ屋のオーナーのおばちゃんは、この建物に惚れ込み買い取ったが、思いのほか改修費がかかったそうな。
しかし古い意匠はもう二度と作れないため、傷んでどうしようもない箇所以外はオリジナルの意匠を最大限生かしたのだという。
遊廓建築はタイルや変わった意匠がたくさんあって面白いが、建物の性格上人知れず姿を消して行くことが多い中、
こうやって普通に入って見れるというのはとてもありがたいことだな!

宿がオープンして外部から続々とお客が出入りするようになったら、地区の住民と軋轢が生じるのでは・・・と
ちょっと心配になるが、何とかうまく続けてほしいなぁ。お客もご近所に迷惑をかけないよう特に注意したいものだ。

続く。
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橋本のマッサージ屋 1階

2020-09-24 22:45:04 | ディテール
橋本の元遊廓建築でマッサージ屋が開業したと聞いて、先月友人と3人で行って来た。


橋本には2~3回行ったことがあったが、近年建物が解体されて更地が増えてきていることは知っていた。
その中の風格ある建物の1軒に、デカデカとポスターが(笑)
「漢方エステ」というのが店名の通り、中国伝来の漢方を使ったマッサージで、全く怪しくない。


玄関を入ると・・・うわぁ!ボコボコした巨大な木材の上がり框が何とも言えない独特の雰囲気をかもし出している。
玄関の正面に床の間か書院のような飾り棚が立ちはだかっているのも、いかにもな感じ。
洋風と和風がないまぜになって、色とりどりのタイルが妙に浮いている。


この幅木の部分に貼られたタイルは私が「ふっくらタイル」と呼んでいる類のもので、黒や白やあめ色やマーブルカラーなどは
よく見かけるが、こういったマットな中間色のラインナップは見たことがないように思う。
戦後、昭和30年代ごろのもののように見える。


大きさ違いのタイルを縦に3つ、細めのボーダータイルを挟みながら並べてある。色の並びはランダム。
紫や青緑など、珍しい色に目が釘づけ。きれいだなぁ~~




書院(?)欄間は松の木が彫られている。




階段の上り口の天井は白い漆喰塗りで洋風なモールディング。


階段の上り口の足元にもタイルが。
あとからオーナーのおばちゃんに聞いたところでは、現在カウンターが作られている後ろの壁にもタイルが貼られていたとか。
地震などもあって壁が崩れ落ちていたためやむなく撤去して捨てたと・・・ええーっ、もったいない・・・


上がり框の踏み段はタイル貼り。2色のタイルをしましまに並べて。


こちらは玄関に面した部屋の踏み段。床ももともとタイルだったのでは!?と思って聞いたところ、床は元から大理石だったそう。


珍木を使っているが、数寄屋ともちょっと違う。ちょっと「濃い」のか・・・やはりこの独特のスタイルは「遊廓造」なのかな。


オーナーのおばちゃんもマッサージそっちのけで建物を案内してくれ(笑)、建物の中ほぼくまなく見せてもらえた。
建物は中庭を挟んでコの字型になっており、渡り廊下のような部分から、中庭に向かって半間ほど張り出したスペースがある。
元々は手洗い場だったというこの部分の窓がいちめん素晴らしいステンドグラスなのだ!


原色の色ガラスが使われていて目がチカチカするほど派手!!ひとつひとつの模様を見ると、丸や三角や扇型など幾何学的な
形の組み合わせになっていて、アールデコ調に見える。ほとんどが型板ガラス。中央部にのみ透明のカットガラスがはまっていた。


ところどころ表されている花も単純な形の組み合せ。ポップな感じでとても楽しくてかわいいな!


曲面の窓にうまくはめてある。しかも外に面しているのに一枚も割れてもいないのだから、これは奇跡じゃない!?
あぁ素晴らしいな!!


ところでこちらは、1Fの玄関脇の部屋。この部屋でマッサージをしてもらったのだが、カーテンもなく
開けっぴろげなのが明朗ではあるものの、ちょっと気になる・・・(苦笑)


通りに面した窓の欄間。


バックヤードの部屋の建具の透かし彫り。


1階の玄関の裏側にある座敷。


一刀彫の欄間。


書院の欄間。


尚、この地区はもう完全に一般の住宅地となっており、その土地の歴史に注目されたくない人もいるだろうから、
あまり大人数で興味深げに歩き回るとトラブルを引き起こしかねないので、注意したい。

続く
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お屋敷がんこ 京都亀岡楽々荘 洋館

2020-08-20 22:14:17 | ディテール
京都亀岡楽々荘の続き。



細長い吹き抜けの階段ホールを見上げると、窓際の壁に張り付くように幅の狭い回廊がめぐらされている。
スチールの手すりで軽やかな印象。


一応歩けるようになっていて、上り口の小さな階段がかわいい。こんなところも手を抜かず丁寧な細工が施されている。


階段ホールの照明の台座は、カキツバタ?あやめ?の模様がペイントされているのかと思ったら、透かしになっていた。
換気口を兼ねているのだろうな。




洋館の2階には2部屋ある。廊下に面した内壁だが、レンガ造の躯体なのでとても分厚く、窓にはよろい戸がついている。


奥は広い角部屋。天井は亀甲模様になっている。「亀岡」にかけているんだろうな。


この部屋の暖炉は黄色いレリーフタイルが使われている。


タイルの大きさいっぱいにのびのびと描かれた花模様、彫の深いレリーフのタイルはリッチな雰囲気をかもし出す。
鮮やかな黄色もお部屋を明るくしているな!


床面のタイルもまたいい。繊細な模様の銅板転写(石版かも)タイル、そのまわりを囲んだボーダーのタイルは
レリーフタイルの黄色と合っている。これは銅板転写に手彩色かな!?見たことのない感じのタイルだ。

皆でドヤドヤと入り乱れて見学していたので人が写らないように撮っていたら、部屋全体の写真が
撮れていなかった(苦笑)。

お庭から見えていた明るいサンルーム。


この部屋の暖炉のタイルを見損ねた(汗)。他の人が見ているから後で・・・と思っていたら見損ねたり
おしゃべりしてたら網羅できていなかったり(苦笑)。まぁいいや、今回は懇親を優先。


廊下の換気口。


食事の用意ができたと呼ばれて、洋館1階の部屋へ。折上げ格天井からシャンデリアが下がり、ひときわゴージャスなお部屋でテンション上がる~~


この辺の写真も、出遅れたために食事後の撮影で、テーブルは食い散らかしたあとだけどご容赦を・・・(苦笑)


この部屋の暖炉もまたビクトリアンタイル使い。銅板転写(石版かも)のピンクの大きな花が華やか!牡丹かな。



皆でランチを頂き、優雅で楽しいひとときを過ごした。

ところで楽々荘の近くに古そうな料亭があった。
玉川楼。現在は右側の新しい建物で営業しており、宝寿殿という結婚式場もやっている。


創業130年の老舗であり、こちらの古い和風建築がもともとの料亭の建物だったようだ。
門から少し覗き込んだだけなのでこの建物が今も使われているのかどうかははっきり分からなかったが、
手前の棟の様子を見ると使っていなさそうだ。。。内部には数寄屋風の意匠がありそうな雰囲気。。。


アプローチには小さな石橋が架かっていて、親柱に「たま川」と彫られていた。この橋が架けられている
せせらぎ(枯れているが・・・)がたま川という名の天然の小川だったのだろうか、それとも屋号に合わせて
洒落たのだろうか。現役時代にはとても風雅な料亭だったことだろうな。


ランチのあとは、高雄の方をドライブして、嵐山で茅葺き古民家リノベーションのお店でゆったりお茶。
洋風建築講座をやめてしまって以来久々の仲間たちとも懇親できて、楽しい遠足だった!
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仁科芳雄博士生家 浴室の敷瓦

2020-08-13 23:12:35 | ディテール
非常事態宣言の解除後、6月19日から県またぎ移動がようやく解禁されたけど、今年の梅雨は異常な豪雨。。。
雨が怖くて出かける予定がなかなか立てられない。。。
土曜は雨だったけど、天気予報を見ると日曜は大丈夫そう。ちょうど18きっぷのシーズンだし、急きょ日帰り旅を決意。
気合い入れて早起きして大阪駅へ向かう。18きっぷを券売機で買い、改札へ。ところが・・・・
「使用は20日からです」と。なぬーーーー!?
きっぷの発売は7/10からだが使用は7/20からなのだ!!久々の18きっぷ、すっかり要領を忘れていた(爆)。
あぁ計画が丸つぶれじゃないか!!自分のうかつさが嫌になる(泣)。さてどうしようか。。。

正規運賃の乗車券で岡山まで行くと、チケット屋で安売りの新幹線きっぷを買うのとあまり変わらなくなる。
よっぽど、今日はもう中止して帰ってふて寝しようかと考えたが、来週まで待ってもまだ使えないし、
再来週とかになるとまた天気がどうなるかわからない。チケット屋もまだ開かないし。めちゃくちゃ悔しいけど
買ったばかりの18きっぷは払い戻すことにして、正規運賃で乗ることに。。。
岡山までチンタラ3時間かけて行くのももうバカバカしいので、相生から岡山まで新幹線でワープ!
あぁ、これで本当にチケット屋の新大阪岡山の新幹線きっぷと変わらなくなった(苦笑)。何やってんだか。。。
ま、気をとり直して・・・今日は極上物件を見に行くのだ!

前置きが長くなったが・・・ワープしたおかげであまり疲れずに来れたし、里庄駅から20数分の徒歩も楽勝。
おぉ、ここか。。。白い塀に囲まれた仁科芳雄博士生家。


松並木のアプローチや玄関に向かって並べられた敷石はお寺のようだな。


アプローチは左右に分かれ、左に式台付きの玄関、右側に土間の玄関があった。土間の玄関から中に入る。


ガイドのおっちゃんにさらっと案内してもらう。
里庄町にあるこの家で生まれた仁科芳雄博士は、日本の原子物理学の父と言われる。
東京帝国大学卒業後理化学研究所に入って国内外で学び、宇宙線の研究、サイクロトロンの建設等を進め、
ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士や朝永振一郎博士も育てた、里庄町が誇る世界的な物理学者なのである。
物理学など全く疎い私は今まで名前すら知らなかったのだが、、、(汗)


この家は江戸時代後期の築と見られており、仁科博士はここで14歳まで過ごした。
ちょっと面白い間取りで、迷路のようだ。玄関から細い土間が裏の台所まで通じている。
土間から取り次ぎの間に上がると畳敷きの部屋が4つ並ぶが、いわゆる田の字配置ではなく表側と裏側とに分かれ
その周りを廊下がぐるりとまわっている。規模は違うが淡河宿の本陣跡村上家を思い起こさせる。


仁科家は元々は庄屋や代官を務めていたため、家はそれなりの風格を備え、庭門をくぐって座敷の広縁に
アクセスする謁見用の(?)アプローチもある。


近世の住宅ではだいたいそうであるように、室内に装飾はほとんどなく座敷の床の間もあっさりしている。
書院の欄間ぐらいかな。。


裏庭に面した井戸を取り込む形でセミオープンの下屋がかけられている。井戸の周りの床には花崗岩が敷かれ、
ここで博士が水浴びをしたとか。ただし塩分を含む水だったようだ。


廊下が2階建ての離れと蔵へと続いている。この離れは後年の増築のように思える。
そして、、、離れの奥に浴室があった。これもなんだか面白い配置で、部屋からは隔離され、蔵への渡り廊下の
途中に四方とも独立した小屋のような形で建っている。


中を覗くと・・・・うひゃ~~~~~っ!!!


お風呂の洗い場の床と壁の腰から下いちめんに、古い瀬戸の本業敷瓦が貼りめぐらされている!!狂喜乱舞の大興奮!
しかしあまり顔には出さず、「おぉ、素晴らしいですね!」と(笑)。


ひと通り建物内を案内してもらった後ここに戻り、一人、このタイル貼りの小宇宙に浸る。。。


大判の敷瓦は8寸角で、模様は見たことのないものも。印花文のはよくあるものだが、竹垣に雀は下津井の廻船問屋
昔に高山昭和館で見たぐらい、牡丹に雀は本物を見たことがなかった。
12枚花弁の桜花は高山の日下部民藝館で見たものと同じだな。飫肥の旧山本猪平家のものとはサイズ違いだ。
他でもあったかもしれないが、数は少ない。


小さいものは6寸角で、陰刻に茶色の線描きのタイルは、似た模様のが本に載っていたが、青い転写の方は見たことがない。
陰刻で似た模様のはあるが、尾ひれ葉ひれが多いな(笑)




そして扇型やハート形(桃型?)手描きの敷瓦もこんなにたくさん!!いずれもユーモラスな動物や風景が軽やかに
描かれており、楽しい楽しい~~~


ネズミ顔のコウモリ。


これはタコ?クラゲ?なんだか幽霊みたい(笑)


鋭い目つきのミミズク(?)。


展示されていたアルバムに改修前の写真があった。おぉ~~、貴重!!
これを見ると、改修前とほとんど変わっていないことが分かる。
貼られている本業タイルは明治30年代頃の製品のようなので、離れは明治後期頃に増築されたのではないかと想像。


アルバムの写真からは、建物の改修工事は屋根も壁も全て取り払いスケルトンにして、元と同じ工法で忠実に
作り直されたことが分かるが、このタイルはさわっていないようだな。残しておいてくれてよかった!

続く
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タイル旅金門島 民居探訪(9)

2020-07-28 23:28:19 | ディテール
2019年9月の台湾金門島の続き。



今日は夕方台北へ戻るのであまり遠出をせずに近くのエリアを回ることにしよう。


こちらの集落は規模が小さく全部で15軒ぐらいだろうか、きれいな配列で並んだ民居は、石の壁の陰影が美しい。
ここも同姓集落で家廟もある。石積みとれんが積みを組み合わせた3.5合院民居は惚れ惚れする美しさ。
ちなみに「3.5合院民居」とは私が勝手に呼んでいるだけで正式名称ではないので、あしからず(笑)。
正式名は一落二欅頭(正しくは「欅」ではなく違う字)というようだ。


石積みと言ってもいろんな積み方が見られる。規則性のない乱積みも角部分だけは算木積みっぽく積んであるな。
オレンジ色っぽい花崗岩がよく使われている。


そしてこちらのお宅は・・・タイル発見!柱頭の部分に四枚のタイル。果物盛りカゴ柄だな~


とても控えめ・・・棟の部分は無地とプリントタイル、それにモザイクタイルがあしらわれている。


そして、、、もっと本格的なタイル民居があるはずと思っていたが、、、、やっぱりあった!


入口脇の壁にグリーン基調でまとめたタイルコンポジションが!


中央のタイルは1種類だが、上・下・左右のボーダータイルに変化をつけて。




そして窓の上の、まつげと眉毛部分のタイル。中央の青と紫の蘭の花のタイルが目を惹くね!


そしてさらにこのお宅ではレンガの装飾もタイルと併用されている。レンガを彫り込んだり並べて模様を作る
レンガ装飾は閩南式民居によく見られる手法。彫った部分にモルタルを埋めて現れた文字は・・・何と読むのかな?(汗)


卍や双喜文を組み込んだおめでたい模様。まわりの磚も凝っている。まるで寄せ木のようだな!


おや、こちらは微妙に色の違うレンガを嵌めこんであるようだが、コントラストが小さく文字や模様が
よく分からない。


朝イチでこんな素晴らしいタイル物件に出会えるとはラッキーだな!


さて次は・・・こちらも通り過ぎてしまいそうな小さな集落だったが、、、、おぉ~~っ!これは!


これはまた美麗物件じゃないの!!緑色の風車のようなタイルと、台湾花磚博物館のロゴマークにもなっている
淡い色あいの七宝つなぎ文の組み合せ。四隅の黄色が効いてるね!!




垂直面の壁のタイルは、風車ばかりと思っていたら、違う模様も混じっているな!色が同じなのでぱっと見
わからなかった~~


まつげのタイル。これも並べて貼るとイメージが大きく変わるタイルだ。


あぁ素晴らしい。こんなタイル民居を朝っぱらに散策途中で見つけたら本当にテンション上がるよね!!


続く
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タイル旅金門島 金城の夕散歩

2020-07-06 23:40:09 | ディテール
去年の9月に行った台湾の旅をいいかげん書かないと1年経ってしまう(汗)。
台湾はその後もう1回行っていて、さらに3月にも行こうとしていたのだがコロナ禍のため行けなくなった。
お金を払って7月に変更し望みをつないでいたが、ピーチは8月まで運休が決まり、返金と相成った・・・(泣)

さて、2018年の7月に初めて行った狂喜乱舞のタイルパラダイス、金門島。2泊3日の滞在では全然足りず、
全く未踏のエリアもあったので、1年後にもう一度行こうと計画した。
台北の松山空港から午後に金門入り。今回の宿は古民居ではなく普通の安宿(それほど安くなかったけど)だが
便利な場所だ。荷物を置いたらさっそく金城のまちなかを散策開始。


有名どころ、「許金鐘洋楼」は宿からすぐ近く。見に行ったら、、、あら、改修中!?いや、改修待ちだな。


表側は見ることができた。1933年竣工。
金門島にはこういった洋風意匠をもつ「洋楼」があちこちで見られる。前にも書いたとおり、金門島には少なくとも
51町村に133棟もの洋楼があった。しかし現在その多くは廃墟となり建物の内側にまで草が入り込んでいる
始末で・・・(涙)。ここはまだ住んでおられるから幸せな建物である。。。




こちらは赤レンガに扁平アーチの「許允選洋楼」。ここは前回チラリとだけ見たな。商店街から横丁を覗き込んだら
その奥にあったのだ。


高さ抑え目でシンメトリー。1915年築。金門島の洋楼は、純洋風ではなく閩南建築の特徴もあわせ持つのが
面白い。日本で和洋折衷の建物があるように、閩洋折衷建築(!?)。
金門島の洋楼はほとんどが、南洋へ渡って一旗上げた華僑たちにより、1920年代~30年代に建てられたという。
この洋風は、東南アジアに進出していたイギリスなどの西洋人が建てた西洋館のイメージを真似たものと思われるが、
さらに台湾の地に適応した形にアレンジされているのが面白い。


亭仔脚の壁は同じレンガ色でも、六角形の磚だ。腰から下は條石。ここだけ見ると完全に中国風の民居だもんね。


そして窓付近にはこんなタイルも~~(笑)。これは50年ほど前に貼られたものだろう。レトロでかわいい!


ところで、壁に貼ってあった雑誌のコピーを見てびっくり!・・・なんと、許允選洋楼の前は川だったのだ!!
まわりには閩南建築の民居がたくさん見える。


今は商店街の裏側という感じだが、建物の前は割と広い空間である。あっ、そうか、ここは暗渠になっているのだ!


まわりをうろついてみると、粉々に解体された赤レンガの民居が・・・これはさっきの古い写真に写っていた建物だ。
あぁ、無残。。。(涙)


古い井戸は健在。覗き込んだら水面が見えた。


また少し歩いて見つけた洋楼。


この建物のコンクリート部分の肌がこんな年輪みたいな模様だった。これはどうやってつけるのだろう!?


金城のまちなかは表通りには隙間なく商店が並んでいるが、一本裏手に入ると古い建物がいろいろあって楽しい。
簡素な三合院民居も飾らない美しさがある。


金城のまちに残る洋楼の数は、水頭に次ぐ多さで、適当に歩いているだけで結構見つかる。割と新しく建てられた
ようなものもあり、洋楼スタイルはすっかり金門スタイルになっているわけだ。


路地裏では家々が思い思いの方向に向いて、好きなところまで張り出して建っていて、路地はあくまで建物の
隙間という感じで、細くなったり太くなったり(笑)。通路と家の敷地の境界はいったいどうなっているのか・・・


こちらは、また有名な「陳詩吟洋楼」。ここも覆いがされていてよく見えないのが残念だが、ちゃんと
保全するための改修工事待ちなのだから、うれしいことだな。




その隣にも洋楼があった。ここはカフェをやっているようだ。


こちらは空き家か・・・


陳詩吟洋楼には素晴らしいタイルがあるのだ。


1階のドアと窓の間の壁に貼られたタイルコンポジション。半分の幅のボーダータイルで額縁のように囲んだ中に
数種類のタイルが並べられている。よく残っていてくれた!
空き家だと、明らかにタイルが剥がされたような跡が見られたりするので、盗難には本当に注意してほしいなぁ。


建物の裏側を見ようと、横の路地を奥へ入って行くと、、、おや、裏の原っぱの向こうに見えるのは・・・!?


続く
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