昨晩は毎月取り置きをお願いしている資料を本屋に受け取りに行って(ポイントが付くし領収書を確実にもらうため、アマゾンではなく近所の本屋にお願いしている(笑))、行きつけの居酒屋にちょっと寄った。
扉を開けると主人がちょっと長めに僕の目を見る。
(何かあったな。今度は誰が旅立った?)と思いつつ、カウンターに座る。
「〇〇さんさ・・・」
(そこに来たか(汗))「いつ?」
「今日だって。」
すごく親しいというわけではないが、飲み友達でたまに一緒にドライブに行く仲の知人だった。去年から調子が悪くて入退院を繰り返していたことは知っているけど、本人は回復する気満々で頑張ってたのにな。
ご主人とその人を知っている常連一人がいろいろ話をしていたが、あまり頭に入ってこない。足に力が入らない。人が亡くなると、その人を知っている人たちそれぞれの中でそれぞれの思い出を元に独立して物語が進行する。
僕が去年最後に一緒に温泉ドライブに行った時には、「もう数か月で65歳になって完全引退をするから、そのあとは車中泊で日本全国気ままに廻ろうと思っている」と楽しそうに語っていた。結局できなかったんだなぁ。
そんなことを思いながら飲んでいたらご主人が面白い酒が入ったとのことで、そこにいる客に少しずつふるまってくれたのだが、グラスを人数分並べているのを見ていたら、人数よりグラスが一つ多い。お酒を注いで全員にグラスを渡して気が付いたようで「あれ、数間違えた。なんでグラス一個多く出したんだ?」と言うので、「〇〇さんが来たのかもね。」と。
酒場でしか会わない飲み友人たちだけど、ここ5年くらいで知人がちょくちょく去っていくのがちょっと耐えられなくて。年齢的に考えてこれからもっと辛いことが多くなるから、耐えていかなければいけないとは思うんだけど。やっぱ慣れないな。
主に行きつけの居酒屋で会うだけの飲み友達だと、ご遺族も御存じなくて亡くなったときに直接は連絡がこないし、まったく知らされることなくしばらく経ってから(もうずいぶん見ないけど、亡くなったのかもなぁ)と空を見上げるだけに終わってしまうこともあるんですよね。酒場の会話ではあるけど、そういう時って誰にも話していない本音を話したりするから、意外と近い存在だったりするんですけどね。
と、一晩寝ても思っている9月3日の朝なのでした。
やり過ごせ、bygones。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます