QOOTESの脳ミソ

テキストのみで地味にやらせてもらってます。

ジャッキーステーキハウス、北斗の拳2、うみそらトンネル、隈研吾やっこ。

2024-07-10 11:07:09 | 日記
本日もとりとめのない話で読みにくいと思います(笑)。

昨日は成田発那覇行のフライトが遅れたせいで、那覇のホテルに着いたのが夜19時過ぎ。手っ取り早く今は本州でも食べられる「やっぱりステーキ」で夕飯を食ったら眠くなってしまい、結局夜の街には出ず。

やっぱりステーキ、高くなった感じがします。安くシンプルなステーキが食えるから好きだったんですが。

那覇のステーキと言えば具志堅用高さんもお勧めのジャッキーステーキハウスが有名ですが、いつ行っても数時間待ち(パンデミック真っ最中は営業していればすぐに食べられてラッキーでした)。ただ持ち帰りだと電話をしておけばすぐに受け取れるので、お勧めです。ゆいレールの旭橋駅が最寄りになるのですが、そのあたりに宿をとるときは皆さんが長蛇の列を作っている中さっさとテイクアウトしてホテルで食います。

ジャッキーステーキハウスには有名人のサイン色紙が所狭しと貼ってあるのですが、あれ、どうも貼りっぱなしではないのに気づいてしまいました。たぶん間違っていないと思います。ある時店内で待っていた時に目の前の壁の色紙を見ていたら、水泳の瀬戸大也さんを中心にその年に不倫浮気で話題になった人が集められていました(笑)。偶然かなと思って店を出たのですが、その数か月後に再度店に行ったところ別の並びになっていました。

ジャッキーステーキハウスでテイクアウトする際はチーズバーガーが美味いです。フレンチフライを付けて。因みに僕がすきな英語の発音の上位にフレンチフライが入っているので、マクドナルドでもどこでもフライドポテトとは言わずにFrench Fryと言ったりしています。きっと「いけすかねぇ客」だと思われていることでしょう。でも年を取るにつれてそういうのが全く気にならなくなってきました(笑)。

そのほか好きな英語の発音に人の名前で「Davenport」と言うのがありますが、そっちはなかなかいう機会がありません。それらの単語を言っている時の口周りの動きが気持ちいいんですよね。

本題に戻ると、そんな風に寝落ちしてしまったので当然深夜に一旦目が覚めて、以前もブログに書いた『大地』の続きを読んでいました。

改めてこれだけの物語を紡ぎだせる筆力(って言ったらいいのでしょうか)はすさまじいと思いました。ノーベル賞を受賞するのもまったく不思議じゃない。いずれ書くことになるとは思いますが、人生の一時期に小説家と交流していた時期があり彼の仕事の仕方を間近で見ていたことを思い出しました。

遅読派なので現在全4巻のうち3巻目を読み終えるところ。主人公の王龍の3人の息子たちが今は主人公ですが、彼らの行動の端々に両親を思い出させる側面があり、そこも共感を呼ぶところではないのでしょうか。気が付くと自分の親と同じことをしている自分に気づく、自分の親がその配偶者に求めていたものと同じものを求めて付き合いや結婚をしていたという自分に気づくこともある。

一昨日以来、世の中が乱れているという印象が強いなと思ったら、Youtubeの東映チャンネルで北斗の拳2が始まっていました(笑)。一応得票率1位から3位の誰かに投票したわけですが(4位以下は単なる「死に票」になってしまうため)、2位と3位の候補者とその支持者がかなり憤っているよう。でも、3人共似たり寄ったりの酷さなので、自分の候補者の方がましだったとかちょっと胸張っては言えないんですよね。皆さん自信持ってるんだなぁ、すごいなぁと感心しています。

ま、単純な詐欺みたいな話ならともかく、それほど正解のない話で人がいがみ合ってるのを見るのはあまり好きではありませんね。

那覇にはもう飽きるほど来ているのでもう観光に出かけるところはなくノープランです。

石垣の帰りに那覇には再度さらに数日滞在するのでかさばる買い物はその時にするとして、今日の予定としては無印に寄って何か一つ小さくて安いものを買うことくらいでしょうか。誕生月に何か買うと後日400円だかのクーポン(最低利用金額なし)をいただけるはずなので、毎年この時期に試してみたかったレトルトカレーとかを買ったりしています。まだやってるよな、あのサービス。パンデミックを経て売り上げが落ちたからか各所でスタンプカードとかいろんな優待サービスが削られているので要注意です。

ここまで各店がサービスを削ると、逆に同様のサービスを据え置きまたはさらに充実させると、今年は厳しくても来年くらいには一人勝ちできたりしそうですよね。

そんなに簡単じゃないのかな。

今回は那覇の松山というオジサンたちの楽園にあるホテルに泊まっているのですが、ここはゆいレールの駅からは徒歩圏だけど荷物を持っていると特に近くも感じないエリア。ということで初めて那覇市内に空港から市バスでホテルのすぐ近くまで来てみました。なかなか快適。

那覇で僕が一番好きなスポットは「うみそらトンネル」。地図で見るとわかるのですが、空港から市内までは陸路だとぐるっと回らないといけない位置関係。ですが、海をこえて一直線に結ぶと最短距離で移動できるという構想から掘られた海底トンネルです。昨日乗った路線バスは通りません。

非常に混雑する朝晩のラッシュ時に車で移動するときに非常に便利です。荷物が多すぎるときや2~3人で空港に行くときは、タクシーに乗って「うみそらトンネル通ってください」というとあっという間に到着。しかもタクシー代も安く収まります。

それ以前に「うみそらトンネル」というネーミングが好きすぎて。行政機関のネーミングでは一番好きですね。2位は毎日自宅から眺めている「東京スカイツリー」。大体政治家がつける名前は「ダサい」「面白くない」と腐す人が多く、東京スカイツリーも一定数の人が文句を言っていたと思いますが、僕は当初から好きでした。あれが決まったころの都知事は石原慎太郎さんでしたっけ。

同じ石原さんで大江戸線も批判が多かったですがまあまあ好きです。高輪ゲートウェイはあまり好みじゃないけど、酷評するほど自分の感性に自信は持てません(笑)。

国立競技場に関しても、ザハハディドさんのデザインも隈研吾さんのデザインも僕はどっちも好きですが、前者は恐ろしいほどの酷評でしたね。ま、皆さんそれぞれに一家言あるんでしょうけど。

居酒屋に行くと冷ややっこを注文して、割箸を何膳か使って「隈研吾やっこ」を作って食べることがあります。

また脱線した。

とにかく「うみそらトンネル」は本当に好きです。

冷房と都知事選とガンジス川。

2024-07-08 15:26:46 | 日記
本日も酷暑ですね。冷房が効かない。

暑すぎるので本日は日々の雑感を。

世の中には冷房がダメな方もいる一方で、僕のように冷房が大好きな人間もいて、いろんな人がいて一つの社会だとは思うのですが、誰にも迷惑をかけない完全リモートワークでよかったなと思っています(笑)。冷房嫌いの人がいるところで温度設定を下げるのは非常に申し訳ないので。

極端な話に聞こえるとは思いますが、家族を持たず一人で生きていくことにした理由の50%ほどは、夏に冷房を思う存分使うことに文句を言われたくないというところにあります。あと、自分の好きなものに囲まれて暮らしたいので、リビングルームやキッチンを他人にいじられるのがいやという理由も30%ほどありますね。一旦お付き合いをするとどうしても男の部屋を整えたくなっちゃう女性が多いので、あまり機会はありませんが(笑)、そのような時は「君はお客様だから、お願いだから触らないでください。家事も全部自分でやりたいので。」と申し上げます。

ここまで読んでA型だと思われたかもしれませんが、AB型です。なかなかのサイコパスです(笑)。

老後に動けなくなって医療施設に入ることになると当然冷房も好きなようには使えないので、現在のところそれが一番の恐怖です。それを回避するためにピンピンコロリで、死ぬ直前まで寝たきりにならず冷房をガンガンに効かせて生活したいと思い、毎日の運動は欠かさないようにしています。

一方寒いのはかなり耐えられる、というか大好きで、毎年冬には稚内と道東で数週間熱燗をいただきながらワーケーションしています。真冬に北海道の陸別に二年連続で滞在したこともありますし、数年前はもっともっと寒いところはないかと真冬にフィンランドの北極圏まで行きました。どこも普通のダウンジャケットとジーンズで行きましたが、それほどは寒くはありませんでした。やはり好きなんですね。

昨日は都知事選でしたが、結果は悲喜こもごもの様相だったようで。多くの皆さんと同じように今回は消去法だなと思い、主だった候補者を消去していったらリストに誰も残らなくなってしまい(笑)、もう一度人選のやり直し。

もう少しふるいを荒くして「この人には『どうしても』やってほしくない」と思う人物をおとして、残った人物に投票しました。以前触れたように、よほどの場合を除いて原則として棄権はしません。有権者として無責任だと思うし、棄権すること自体が誰かを利する(=その人物に投票している)ことになるからです。

さて、どうなっていくんでしょうね。

明日から旅に出るのですが、今回も計画的に生鮮食品を使い切って、今夜の夕飯で全部食べ切ることになりそうです。自己満足ですが、計画通りに行くとスッキリしますね。

お給料を海外から送金でいただいているためサラリーマンだけどサラリーマンではないような立場で、この時期に一気にお知らせが来る税金は全部一括でクレジットカード納付しているので、それも今日全部決済してスッキリ。毎月毎月翌年の税金に支払う分を積み立てているのでそれを吐き出すだけなんですけど、来月口座から引き落とされると軛(くびき)から解放されたような完全にすっきりした気分になり、毎月貯金の進捗を見るのが楽しい日々に戻れます(笑)。

クレジットカード納付は手数料がかかるのですが、日本の航空会社というかJALANAは欧米のキャリアのように足りない時にマイルを買うことができないので、税金のクレカ払い手数料を使ってマイルを買っていると捉えています。そんなに得ではないと言えば確かにそうです(笑)。

石垣島で誕生日当日を過ごす前は数日間那覇にいる予定なのですが、那覇ではひいきにしていたスペインバルが一昨年閉店してしまい、その3年ほど前は『非常に』美味かった「松尾庵」という日本蕎麦のお店も閉店してしまい、あまり行くところがありません。ちょっとお酒を飲みに行くところはあるので、そこでのんびりするくらいになる予定です。

昨年沖縄に行った時はちょうど身体中がタコスを欲していたので、那覇を素通りして沖縄市(コザ)で数泊しました。このブログにたまに出てくる亡くなった院生時代のカナダ人の同期が良く言っていたように「アメリカ人のいるところには美味しいタコス、バーガー、ホットドッグが集まる」のです。東京でもザ・アメリカ人がいたら後についていくと美味いバーガーの店にたどり着くはずです。コザにも古いタコスの店から、新しいメキシカンの店までいろいろあったので、メキシコのビールを出している店でケサディージャという料理をいただきました。

名前は違いますが、味は全部タコスです。(と書くと怒られるかもしれません(笑))

全部同じ料理と言えば、ずっと昔インドのカルカッタ郊外に住んでいたインド人の友人を住所だけを頼りにたずねたことがありますが(カルカッタ市内でしか会ったことが無かったので)、その時に泊まっていけと言われて一泊させていただいたら、お母さんがいろいろ料理を作ってくれて「これは〇〇のカレー、これはヤギのシチュー、これはマトンの〇〇・・・」といろいろな説明をしてくれたのに、僕には「全部カレー」にしか思えなかったことがあります。全部美味しかったんですけどね。

あの夜はミネラルウォーターを買いに行くのが面倒になって友人の家の井戸水を飲んでいたら、カルカッタを出た数日後に激しく体調を崩し(きれいな表現にしました)、正露丸を飲みながら10日間ほどガンジス川のおおらかな流れを見て療養していたことがあります。それも懐かしい思い出ですね(笑)。

それでも痩せることは一切なく、悲しかったです。

徒然日記でした。

奄美大島の南洲旅館。

2024-07-06 17:12:19 | 日記
折角、20数年前の奄美大島のことを思い出したので、宿泊していた「南洲旅館」での日々について。

当時奄美大島の南端、瀬戸内町に住んでいた友人のお宅は非常に狭かったので、僕の到着に合わせて予約しておいてくれたのがその南洲旅館だった。おばあちゃんが一人でやっている旅館。今はほとんど見かけないコイン式のテレビがおいてあるような、必要最低限の旅館。でもとても居心地が良かった。

滞在中僕以外に泊まっている人はほとんど見なかったので、おばあちゃんの家に泊まっている孫のような錯覚に陥るような日々だった(笑)。

朝食は供されない素泊まりの宿で、玄関すぐのところにおばあちゃんが生活している居間があった。毎朝出かける前に「行ってきます」と声をかけると、「ま、そんなに急がずにお茶でも飲んでいきなさい」と居間に促され、30分から1時間ほどおばあちゃんとお話をする。

最初の日だけかと思ったら、翌日もその翌日もだったので、それ以降10日ほどの滞在中はおばあちゃんとおしゃべりする時間を計算に入れて朝出かけるようになった(笑)。島の生活の話や、特に鹿児島以南で味方も敵もやたら多くて人気の「徳田虎雄」が瀬戸内町にやってきたときに説教してやった武勇伝(笑)など、おばあちゃんの面白い昔話ばかりだったので、僕も3日目になると毎朝のおばあちゃんとのお茶の時間が楽しみになった。

毎朝どんな話をしても、おばあちゃんはひとしきり喋ると必ず、

「でもね、おばさんは、世界で一番幸せな女だと思うよ。」という文句で話を締める。

そして「じゃ行ってらっしゃい。」と。

おばあちゃんの話はどれもよく覚えているがその中でも一番印象的だったのは、ある日、深夜に大潮を迎える日の朝の話だった。

その朝は、おばあちゃんがどことなく落ち着かない様子だったので、どうしたの?と尋ねると、

「今夜は潮が引くからね、おばさん、友達と『いざり』にいくのよ。」

いきなり放送禁止用語かよ、と思ったが「いざり」とは実は「漁り」のことで海に漁に出るという意味だった。因みに名古屋弁では、席をちょっと(詰めて)「ずれる」ことを「いざる」と言う。そっちの方が意味的によほど放送禁止用語に近い(笑)。

で、その夜、おばあちゃんは潮の引いた海でタコを捕ったり貝を採ったり、手づかみ漁を楽しもうとお友達と計画しているので、朝からウキウキそわそわしているのだった。

「おばさんは漁が好きなんだね。」と言うと「そうだよ。おばさんは若い頃はもっと沖の方まで出ていろんな魚を捕ったよ。」。

続けて「マイトをよく使ったね。」とも。

沖でダイナマイトをぶっ放して気絶して浮いてきた魚を捕るやつだ。(ワイルドだな、おばあちゃん(笑)。)とニヤニヤする僕。おばあちゃんは続けて、

「カリもよく使ったね。」とかわいい笑顔で、にこっとする。

(ん?カリ?カリってなんだ、放送禁止用語の次は下ネタか?)と一瞬思ったが、そんなはずはないと思い「カリって何?」と聞くと、

「青酸カリ。ちょこっとだけ沖でまくんだよ。今はできないけどね。」とまたペロッと舌を出してニコニコする。

どえらい小悪魔だった(笑)。

今はかわいいおばあちゃんだが、昔はイケイケだったんだろうなとニヤニヤしながら毎日おばあちゃんの話を聞いた。

滞在中に一度だけ、おばあちゃんが悲しそうな顔をしたことがあった。僕がハブの話をした時だ。奄美大島にもハブは多い、小さい町だけど町なかにもいるのかなと思って聞いた時だ。

「たくさんはいないけど町なかにもいることはいるよ。いつだったか、出かけようと思って玄関に行ったら玄関の内側に大きなハブがきれいにとぐろを巻いてこっちを見ていたことがあったよ。外で見たことはあっても家の中で見ることはあまりないから、おばさん驚いてね、近所の人を呼んだら大きなたらいをかぶせて外に連れて行ってくれた。おばさん、その時のハブは変におとなしいなぁと思ったよ。」と言う。

「その日、そのすぐ後でね、名古屋でタクシーの運転手をしてた一人息子が死んだって連絡があってね。おばさん、びっくりしてね。むしの知らせだったのかねぇ。」

どういう経緯か、息子さんは名古屋にいらっしゃって一人で暮らしていらっしゃったようだった。どうして一人で名古屋に住まわれていたのかとか、細かい疑問はいろいろあったが話していい話ならご本人がいつか話すから僕からは聞かなかった。

それはそのおばあちゃんと話していた時に限らず、僕はいつもそうしている。

一瞬悲しそうな眼をされたが、そんな話をした後だったにもかかわらず、おばあちゃんは最後にはいつものように

「でもね、おばさんは、世界で一番幸せな女だと思うよ。」

とおしゃべりを締めた。

(そういう時まで「幸せ」って言わなくてもいいんだよ)と思ったけれど、何も言わずに「じゃ、行ってくるね。」と出かけた。

初スキューバダイビング。

2024-07-05 23:28:06 | 日記
30歳になって少し経った頃に一度だけスキューバタイビングをやったことがある。いわゆる体験ダイビングなるもので、友人の友人がやっているダイビングショップで連れて行ってもらった。

場所は奄美大島の一番南の瀬戸内町と言うところ。その当時友人夫妻が住んでいたので、10日ほど何をするでもなくその町に滞在して、友人にいろいろな集落に連れて行ってもらったり、初めて会う地元の漁師と酒を飲んだりしていて、時間があるなら体験ダイビングにでも行って来たら?と勧められたのがきっかけだった。

因みに僕は泳げない(笑)。ま、水に浮くくらいはできるけど、推進力がない、息継ぎができない。「でもスキューバはタンクを背負っていて息ができるから、泳げなくても大丈夫だよ」と言われた。

体験ダイビングとはいえなかなかスパルタで(笑)、最初から「じゃ、バックエントリー行ってみますか。」と。(えっ?後ろから倒れて水に入るやつ?無理じゃない?)と思ったものの、変なアドレナリンも出ていてノリでやってしまったのだった。

連れて行ってもらったのは奄美大島と加計呂麻島の間の海で、海中にガンダムの「ルナツー」みたいな巨大な岩がそびえたっているポイント。水深は15mくらいと聞いた覚えがある。

なんとか潜って水の中から見ると、思いがけず海の中にまた別の大地が広がっていて、自分が海に溶けてなくなってしまいそうなほど見とれてしまい「いかん、いかん」と意識的に我に戻らなければならなかった。

その日の客は僕一人。しばらく海底の景色に見とれていていろいろな角度から「ルナツー」を観たり、ニモをよく観察していて気がついたらダイビングショップのご主人を水中で見失ってしまっていた。しかも、その時急にマスククリアがうまくいかなくなってしまい、どんどんマスク内に海水がたまってきた。(うーん、これは、よくないなあ・・・)と思い、周りを見回すとダイビング用と思われる固定されたロープが少し向こうに見えたのでマスクの中がほぼ海水で満ちている状態で、ロープのところまでなんとか移動してそれを伝ってゆっくり水面にまでのぼって行った。

船にはショップのご主人の奥様がいたので合図しておく。ほどなくしてご主人も水面に顔を出された。彼も僕を海中で見失ったので焦ったようだったが、僕が楽しかったというのを聞いて安心されたようだった。

その時は瀬戸内町にある「南洲旅館」という宿にずっと泊っており、10日間ほどの滞在中、宿泊客はほとんど僕一人きりだった。

海から直接宿までご夫妻に送っていただき、玄関の引き戸を開けると宿のおばあちゃんが居間から走ってきて「あんたぁ、大丈夫だったの?」と言う。

「大丈夫です。ダイビング楽しかったですよ!」と言うと、「さっきニュースでもやってたし、町の人からも聞いたけど、今日ダイビングの客がおぼれて死んだって聞いて、兄ちゃんじゃないかと思って心配していたんだよ。」と。

今度は僕が驚く番だった。驚きは長く続かず、それはすぐに恐怖に変わる。

(僕だったのかもしれない・・・)

そのあとダイビングショップのご夫妻から連絡があり、ちょうど僕と全く同じ時間にほかのダイビングショップの船ですぐ隣で潜っていた東京の商社のカップルがおぼれたと聞いた。女性の方がおぼれそうになっているところを彼氏が助けようとして二人ともなくなってしまった。初心者ではなくかなり本数を重ねていたベテランだったということだった。

あの日、海で彼らの船を見たことは覚えていた。それよりも、あの日の朝ダイビングに出かける直前に港の近くのスーパーでそのカップルが買い物をしていたのを見たことも覚えていた。あまり観光客のいないエリアだし、二人とも背が高い人の目を引く美男美女のカップルだった。

あの朝、スーパーで彼らを見かけたたった4~5時間後に、僕の近く、同じ海の中で彼らが死んで、霧のように消えてしまったんだということがなんだか夢の中の出来事のようで、いまだに実感がわかない。もう20年は経つのに。

あの世の彼らも、20年超もの間、僕が彼らの姿を覚えているとは予想だにしていないと思う。

こういうのを心が弱い人間はトラウマと呼ぶのだろうが、僕はそう名付けない。

心の傷ではなくて、年輪みたいなものだから。治療したり忘れるのではなく、自分の血肉にすることでしか本当には癒されない。

素人目にはわからなかったが、ショップのご主人によるとあの日は(ダイビングができないほどではなかったけれども)ちょっと海も荒れ気味で潮の流れもあって気にはなっていたので、僕を見失って(僕も彼を見失っていたのだけれど)かなり焦ったとのことだった。マスククリアできなかった時に僕は結構焦ったけれども、海中で(落ち着け、落ち着け、考えろ、考えろ)と自分に言い聞かせていたのも、ちょうどいいくらいだったのかもなと思った。海が荒れていたのなら、焦っていたらもっとひどいことになっていたかもしれない。

生まれて初めての最初のスキューバダイビングでそんなことがあったので、それ以来海には潜っていない。来週は石垣島に行くが、それでも海には入らない(笑)。

今日仕事の締め切りを終えたのだが、最後の10ページほどを必死で書いていた時に、頭の別のところでなぜかこの話を思い出していた。正確には覚えていないが、もしかしたら今日は彼らの亡くなった日なのかもしれない。ちょうど今くらいの時期だった。たぶん20回忌くらいになると思う。

氷でキンキンに冷やしたビール。

2024-07-04 10:22:12 | 日記
昨日久しぶりに帰宅したら、家の中が真夏。以前の日記にも書いたように、また数日後に誕生日旅行に出かけるのでそれまでに用事を済ませておかないと。

まずは今月もやってきた仕事のレポートライティング。今年に入ってからはAIエディタがきれいに仕上げてくれるので気楽だ(笑)。ただ数か月使ってみてAIにもいくつか弱点があることはわかってきている。そのうち一番の弱点は、AIさん、各分野や業界内で使われているアルファベットの略称を大体間違って把握すること。そこはマニュアルで修正してあげないといけない。英文でAIエディタを使う時は特に気を付ける点である。

AIなんだから略称くらい文脈から判断しろと言いたい。

そのうちできる子になるのかな。YDK(やれば できる 子)ならぬ、SDK(そのうち できる 子)。

仕事のプライオリティが最も高いが、その下に雑多なタスクがいろいろと。

1.都知事選の不在者投票。
当日投票に行けるときでも、不在者投票の方が人が少なくてさっさと投票できるので毎回不在者投票。

基本的に政治のことには具体的には触れないつもりだが、今朝近所に住む友人から都知事選についての呆れ調子の雑談メールが来たので。僕も正直に呆れ気味に「米国大統領選もだけど、日本もアメリカも人材不足感がひどすぎるよね。」と返す。するとさらに愚痴が送られてきたので、

「どんな選挙戦でも、金か名誉か権力か何かに突き動かされて政治家になりたい人の方がやたら目立つけど、その一方で誰かにやってもらわないといけない仕事でもあるんで、自分がやるつもりがないのに『投票できる候補が誰もいない(怒)』って投票に行かないのは逃げだと思うから、できるだけ言わないようにはしてる。気持ちはわかるけどね。」と送ったら、ぱったり返信が来なくなった。

怒らせちゃったかな。

意見の相違はやり過ごせる大人だと思っているから大丈夫だとは思う(笑)。

2.不在者投票の次は掃除。
この家には今後20年以上は住まないと思うので、新旧の友人や姉や妹とその子供たちまで順番に隅田川花火大会を見せてあげたいと思い、今年初めて友人を招くことにした。

部屋を掃除して、当日作るつまみのラインナップを決めないと。暑いうえにベランダから観るので、冷たいものを中心に考えている。

ハードチーズは年末年始にスペインで買ってきたものがあるが、ブルーチーズは買いに行かないと。本当は北海道の興部村で作っている「ジャパンブルー」というブルーチーズが美味いのだが、花火までに北海道に行く予定はないので(新千歳空港で売っている)、他のブルーを都内の百貨店で購入。がっつりブルーチーズもいいが、マスカルポーネチーズとゴルゴンゾーラを何層にも重ねたチーズがマイルドで美味い。百貨店のチーズ専門店で何度か買ったが、イタリアのスーパーでも日本のイオンでも見たことがある。

生ハムも買った方がいいかなと思うが、〇〇ハムなど日本のメーカーの生ハムは水分がすごくてびちゃびちゃしているので、自分で食べるならいいが友人のおもてなしには少々高くてもスペインのハモンセラーノとかイタリアのプロシュートを準備したい。

クラッカーは100円ローソンに売っているナビスコのプレミアムクラッカーそっくりの韓国製のクラッカーが値段も味もよろしい。類似品なのに、本家のプレミアムクラッカーよりも少し香ばしく焼きあがっているのでチーズなどにものすごく合ってしまう(笑)。

あとはタコのイタリアンマリネが候補。

北島サブちゃんの寿司太郎くらいササっと作っておこうかなとも思っている。ツナ缶を少し混ぜ込むのがお気に入りだ。

花火の後は部屋の中で雑談をしてお開きにする予定なので、アメリカ南部風の「締めビーフシチュー」を作ることだけは決めている。アメリカ南部風はデミグラスのコッテリではなく、ブイヨンでひたすら煮込むさらっとタイプ。

僕は特に気にはならない方だったが、パンデミック全盛の折「外が怖いのでQOOTESの家で酒を飲みたい」と友人に頼まれて、お菓子と缶ビールだけというのもアレだと思いそのビーフシチューを作ってみたら、美味しい美味しいと何度もお替りしてくれてちょっと自信がついた。そんな一品(笑)。

「アメリカ南部の思い出」が尻切れトンボになっているが、次回で登場する予定のご婦人に教えていただいたレシピで作る。

酒はビール・ワイン・日本酒などおおよそ全部そろえる。押し入れの奥に仕舞ってある釣り人が持っていそうなでかいクーラーボックスを出して氷でキンキンに冷やすつもり。そのクーラーボックスは外で酒を冷やして飲むためだけに買った(笑)。

今月は定期健診の月なのでそれに合わせて節制の日々なのだが、予約は隅田川花火大会前日に入れてある。

と言うことは、花火大会当日は「いろいろ総解禁」の日である(笑)。