のち
今日は予報通り寒かったです。朝は9時くらいまでお布団にくるまっていました。
ずっと冷たい雨が降っていましたが、自分の住むあたりでは雪にはならなかった模様。多摩地域も山の方(高尾山など)では積もったりもしたようです。
洗濯はせず、ずっと家にこもっていました。
朝は昨日買ったお芋入りスコーンとミルクティーのみ。お昼は冷凍のトマトと野菜のチーズリゾットに残っていたスティックサラダと、ごく簡単に。しかしおやつに昨日買ったシフォンケーキも食べたりして、総体としてカロリーと糖質は高い気が……
他の時間は読書したりネットを覗いたり、溜まっていたTV録画を観たり。近々都心部へ行く用事ができたため、ホテルを予約したりもしました。一度決めたホテルをキャンセルして別の所を予約したりと、短時間で済ませなくてはいけないのがちょっと大変でした。
午後はテレ東【日曜ミステリー】で放送の『刑事の十字架』を途中から流し見。初見ですが、陣内孝則さんのシリアスな刑事ドラマは珍しいような…(そうでもない?)そして渡辺大さんは、なぜどの局でも主人公の若い相棒や「弟子」ポジションばかりだったんでしょうか。
チャンネルをそのままにしていたら、日曜日なのに『孤独のグルメ』再放送二本立ても始まりました。さすがに全部真面目には観ませんでしたが、先日買った公式グルメガイドによると、今日放送された中に閉店したお店もあるようです。
さて、今年の節分は二月三日ではなく、本日(二日)でした。晩ごはんは恵方巻──ではなく、サッポロ一番塩らーめん。スライスの干し椎茸を一緒に煮て玉子でとじて、サラダチキンをのせ、青ネギをいっぱい散らし、久しぶりに再開した【ふるカフェ系ハルさんの休日】を観ながらアツアツをいただきました。ハルさんの訪問先が雪の北海道だったからちょうど良かったかも。
ここ何年か、節分はちょっとリッチで美味しい巻き寿司を(丸かぶりではなく)切って食べる日となっていましたが、今年は寒い雨の中を出かけるのが嫌だったのです。まあ元々東京にはない風習ですし。
豆まきも子供たちが独立してから、殆どやらなくなりました。初めは一人で静かに行なったりもしていましたが、それも空しくなりまして。そんなわけで、今年もコメダの豆菓子を「福は内」と呟きつつポリポリしただけでした。
夜のTVはもちろん大河ドラマ『べらぼう』。「蔦に唐丸(からまる)因果の蔓」というサブタイトル通り、唐丸の過去を知るらしき怪しい浪人者が唐丸につきまとい、蔦屋の店先から少しずつ金を持ち出させる。唐丸の行ないも記憶喪失が嘘であることも薄々察しつつ、本人が語ってくれるまで待つつもりだった蔦重だが、ついに銭函を持って消えた唐丸が、その浪人者と共に川に落ちたことを知る。遺体が上がったのは浪人者だけ。唐丸は生死も行方も判らない。あの浪人の正体も不明のまま。
後悔する蔦重に花の井が語る「あの子はきっと大店の子で、元々の自分の家に戻ったんだ」という「物語」が、優しくも悲しく切ないです。「まことのことが分からないならできるだけ楽しいことを考える。それが、わっちらの流儀だろう」と──
一方の蔦重は、いつかまた唐丸と再会した時には「謎の絵師」として自分が売り出してやる、という夢を語る。それは、出て行く前の唐丸とも語り合った夢でもありました。
ということは、やはり唐丸の未来は写楽なんでしょうか?
その頃、平賀源内は秩父の鉱山開発を(地元との軋轢もありつつ)進めていた。また、田沼意次と共に「開国」と、それによる経済発展の可能性を語り合い、盛り上がったりもする。身分など関係なく、才ある者が活躍し、国を潤す時が来る、と。しかし、二人ともそんなことは「夢」でしかないこともわかっている。戦さを知る者もいなくなった今、逆に侵略される恐れもあるのだ。
蔦重も源内や田沼も「今はまだ」叶わぬ夢を抱き、未来を見据えているのだけれど、同時代にはなかなか理解されませんよね。
そんな中でも蔦重は本格的に出版業界に参入するため、株仲間になろうとするのですが──
大河の後は【クラシック音楽館】。「NHKクラシック音楽祭」から英国の名門ブラスバンド「ブラック・ダイク・バンド」の演奏でした。管楽器と打楽器だけで多彩な曲が演奏されるのが楽しかったです。メンバーそれぞれ本業がある「アマチュア楽団」というのも素晴らしいですね。
番組後半(終盤)は、このフェスのイベントとして渋谷周辺の屋外各所で行われたライブの模様あれこれ。こちらも楽しそうでした。と言うよりそういうフェスがあることを知りませんでした。今年も開催されるなら覗いてみたいです。
その後は『坂の上の雲』再放送も視聴。この二百三高地戦の描写は本当に悲惨です。日本のTVドラマでこれ以上の戦闘描写は今後とも撮れないのではないかと……しかし陸軍がここまで追い込まれたのも、元はと言えば海軍の作戦の度重なる失敗のせいで、後の日本海海戦の勝利ゆえに海軍ばかりが世界的にも称揚されるのは不公平だと思いますよ。
今日は予報通り寒かったです。朝は9時くらいまでお布団にくるまっていました。
ずっと冷たい雨が降っていましたが、自分の住むあたりでは雪にはならなかった模様。多摩地域も山の方(高尾山など)では積もったりもしたようです。
洗濯はせず、ずっと家にこもっていました。
朝は昨日買ったお芋入りスコーンとミルクティーのみ。お昼は冷凍のトマトと野菜のチーズリゾットに残っていたスティックサラダと、ごく簡単に。しかしおやつに昨日買ったシフォンケーキも食べたりして、総体としてカロリーと糖質は高い気が……
他の時間は読書したりネットを覗いたり、溜まっていたTV録画を観たり。近々都心部へ行く用事ができたため、ホテルを予約したりもしました。一度決めたホテルをキャンセルして別の所を予約したりと、短時間で済ませなくてはいけないのがちょっと大変でした。
午後はテレ東【日曜ミステリー】で放送の『刑事の十字架』を途中から流し見。初見ですが、陣内孝則さんのシリアスな刑事ドラマは珍しいような…(そうでもない?)そして渡辺大さんは、なぜどの局でも主人公の若い相棒や「弟子」ポジションばかりだったんでしょうか。
チャンネルをそのままにしていたら、日曜日なのに『孤独のグルメ』再放送二本立ても始まりました。さすがに全部真面目には観ませんでしたが、先日買った公式グルメガイドによると、今日放送された中に閉店したお店もあるようです。
さて、今年の節分は二月三日ではなく、本日(二日)でした。晩ごはんは恵方巻──ではなく、サッポロ一番塩らーめん。スライスの干し椎茸を一緒に煮て玉子でとじて、サラダチキンをのせ、青ネギをいっぱい散らし、久しぶりに再開した【ふるカフェ系ハルさんの休日】を観ながらアツアツをいただきました。ハルさんの訪問先が雪の北海道だったからちょうど良かったかも。
ここ何年か、節分はちょっとリッチで美味しい巻き寿司を(丸かぶりではなく)切って食べる日となっていましたが、今年は寒い雨の中を出かけるのが嫌だったのです。まあ元々東京にはない風習ですし。
豆まきも子供たちが独立してから、殆どやらなくなりました。初めは一人で静かに行なったりもしていましたが、それも空しくなりまして。そんなわけで、今年もコメダの豆菓子を「福は内」と呟きつつポリポリしただけでした。
夜のTVはもちろん大河ドラマ『べらぼう』。「蔦に唐丸(からまる)因果の蔓」というサブタイトル通り、唐丸の過去を知るらしき怪しい浪人者が唐丸につきまとい、蔦屋の店先から少しずつ金を持ち出させる。唐丸の行ないも記憶喪失が嘘であることも薄々察しつつ、本人が語ってくれるまで待つつもりだった蔦重だが、ついに銭函を持って消えた唐丸が、その浪人者と共に川に落ちたことを知る。遺体が上がったのは浪人者だけ。唐丸は生死も行方も判らない。あの浪人の正体も不明のまま。
後悔する蔦重に花の井が語る「あの子はきっと大店の子で、元々の自分の家に戻ったんだ」という「物語」が、優しくも悲しく切ないです。「まことのことが分からないならできるだけ楽しいことを考える。それが、わっちらの流儀だろう」と──
一方の蔦重は、いつかまた唐丸と再会した時には「謎の絵師」として自分が売り出してやる、という夢を語る。それは、出て行く前の唐丸とも語り合った夢でもありました。
ということは、やはり唐丸の未来は写楽なんでしょうか?
その頃、平賀源内は秩父の鉱山開発を(地元との軋轢もありつつ)進めていた。また、田沼意次と共に「開国」と、それによる経済発展の可能性を語り合い、盛り上がったりもする。身分など関係なく、才ある者が活躍し、国を潤す時が来る、と。しかし、二人ともそんなことは「夢」でしかないこともわかっている。戦さを知る者もいなくなった今、逆に侵略される恐れもあるのだ。
蔦重も源内や田沼も「今はまだ」叶わぬ夢を抱き、未来を見据えているのだけれど、同時代にはなかなか理解されませんよね。
そんな中でも蔦重は本格的に出版業界に参入するため、株仲間になろうとするのですが──
大河の後は【クラシック音楽館】。「NHKクラシック音楽祭」から英国の名門ブラスバンド「ブラック・ダイク・バンド」の演奏でした。管楽器と打楽器だけで多彩な曲が演奏されるのが楽しかったです。メンバーそれぞれ本業がある「アマチュア楽団」というのも素晴らしいですね。
番組後半(終盤)は、このフェスのイベントとして渋谷周辺の屋外各所で行われたライブの模様あれこれ。こちらも楽しそうでした。と言うよりそういうフェスがあることを知りませんでした。今年も開催されるなら覗いてみたいです。
その後は『坂の上の雲』再放送も視聴。この二百三高地戦の描写は本当に悲惨です。日本のTVドラマでこれ以上の戦闘描写は今後とも撮れないのではないかと……しかし陸軍がここまで追い込まれたのも、元はと言えば海軍の作戦の度重なる失敗のせいで、後の日本海海戦の勝利ゆえに海軍ばかりが世界的にも称揚されるのは不公平だと思いますよ。