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ヒュー・ジャックマン・インタビュー続き。つらかった少年時代の思い出。それがその後の人生に与えた影響等について。
ヒューのご両親が英国からの移住者だったこと、ヒューが八歳の時、彼らは離婚し、お母様が英国に帰ってしまったことも、ファンの間では知られたことです。
そして、多忙な会計士であったお父様が男手一つで子供たちを育てたということも。
この記事では五人きょうだい全部(女二人、男三人)育てたと書かれていますが、女の子だけはお母様に付いて行ったという話も、どこかで見た憶えがあります。
「母は健康ではなかったんだ。おそらく産後鬱だったんじゃないかと思う。ちゃんとそう診断された訳じゃないだろうから、はっきりとは言えないけど。とにかく、母はつらい思いをしていた。僕は生後18ヶ月まで名付け親の人たちに育てられたんだよ」
この、一歳半まで親元を離れていたという話は初めて聞きました。
『母親が家を出て行ってからの時期は、彼の思い出に焼き付いている。彼とすぐ上の兄は、犬と猫のように争いが絶えなかった。』
「一時は本当にみじめだったよ。父は夜6時半か7時にならないと帰って来ないし、どんなことでも起こり得た。僕たちは或る意味、自活しているようなものだったんだ。父もよく我慢の限界まで来ていた。自分のせいでもないトラブルに巻き込まれたりしたらね。兄貴が僕を殴って、僕が泣き出したりすると、父は言うんだ。『泣くな。二人ともだ。わめくな!』」
このへんの話は昨日も触れた The Daily Record にも出て来ます。
こちらではラルフさんを長兄としていますが、すぐ上のお兄さんなのでは…?
とにかく、兄はいつも弟を怒り狂わせていたとのこと。
「兄貴を殺そうと思ったこともある。ただ殴って気絶させたくらいじゃ、起き上がってから僕が殺される。だから息の根を止めなくちゃって。11歳になる頃には、僕は信じ難いほど激しい怒りを抱えていた。そして、ラグビーでそれを発散していたんだ」(TDR)
家の外に出れば出たで、
「さらし者にされているような気持ちだったよ。そりゃ離婚は珍しくもなかったけど、母親が出て行ったのはうちくらいだった。よそのうちでは、出て行くのはお父さんの方で、それもすぐ近所に住んで、週末ごとに会いに来るとかね。僕はただ『普通』でいたかった。もちろんママには帰って来てほしかったし、ずいぶん長いこと、いつか帰って来てくれると思っていたんだ。僕が12歳の時、両親はやり直そうとしたけど、それも結局一時的なことで終わった」
二人がよりを戻したかに見えた時には、
「その時の気持ちは『こうなると思ってたんだ』だった。それがまた破綻した時には、本当に腹が立った」
通っていた私立の男子校では、妙に不憫がられていたそうで、
「ちょっと過剰に気を遣われていたと思う。それと言うのも『お母さんに捨てられた子だから』」
その行き過ぎた同情を思い出して、彼は笑っていたそうですが…
この学校、ノックス・グラマー・スクールというのは割とお坊ちゃん校で、ちなみにヒューゴ・ウィービングさんもここの卒業生だそうです。
さて、その頃の「怒り」を、運動競技においては力に転じることが出来たというヒュー。TDRでも語っていたラグビーの話が出て来ます。
「僕は決然とした人間だと思う」
とも言っています。
「若い頃、ラグビーで強烈なタックルをかけたりする時には、ものすごい怒りに駆られることがあった。それがどこから来たものだったかは判らない。末っ子だったこととか、虐げられていたこととか、その他にも何かあったのかも知れないけど」
またもTDR記事によれば、
「しょっちゅう問題を起こしていたよ。僕のヒーローは当時のフランス代表チームの、ジャン・ピエール・リヴェだった。彼が顔から血を滴らせている姿を思い出してみるといい。それがつまり僕だったんだ」
そのように殺伐とした(?)少年時代を送っていたヒューですが、現在お母さんとは非常に良い関係だそうで、結局自分のオープンで快活な所は母親似なのだと、彼は以前アクターズ・スタジオ・インタビューでも語っていましたね。
「実際、母に対して怒りを感じたことは一度もない。どうしてなのか説明はできないけどね。演劇学校の先生たちはみんな『内なる悪鬼(デーモン)がいるだろう。そいつを引きずり出せ!』と言っていたから、僕も長いことそれについて考えたよ。『その通りだ。でも…』それはもういないということが判った」
一方、TDRでは
「成長し、洗練されても、こういう役を受ければ判るんだ。『それ』はまだ全部、自分の中にあるって」
と言っているのですが…
またPARADE Magazineより。
『X-MENの最初の撮影が始まって数週間、ブライアン・シンガー監督は、ウルヴァリンが少し「軽い」ことを憂慮していた。』
「彼は僕を引っぱって行って、こう言った。『オーディションの時には確かに見えた君の資質が、今は感じられない。君はただ「仕事」をこなしているだけだ』って」
「僕は大いに動揺した。その四週間自分のやって来たことに頭を悩ませ、自分が本気で取り組んでいなかったということに気づいて愕然とした。それは僕自身がこうでありたいと思うこと全てに反することだ。それで、次の日、自分の出ているシーンは殆どアドリブで演じたんだ」
で、監督はそれが気に入ったそうです。
「それこそがウルヴァリンだ。彼は何ものにも縛られない」
「自分自身に失望するんじゃないかという怖れ-----何となく不安に感じる物事を拒否してしまって、後になってから自分の部屋で『あれかこれかはっきり言える勇気があれば良かったのに』なんてくよくよするんじゃないかという怖れ-----結局それが何よりも、僕を動かす力となってくれるんだ」
『と、ヒュー・ジャックマンは言った。にこやかに。』
少年時代については、以前読んだり聞いたりしたことのある話もあり、初めて聞く話もありました。この2件のインタビューだけでなく、「ヒューヒュー!・201」で紹介したMoviehole.netのインタビューでも、ちょっと語っていましたし。
この年齢になってやっと語れたことっていうのもあるのかも知れません。
家族関係で受けた傷って、消えないんですよね…または、傷自体がなくなっても、痛みだけはいつまでも残るような………
数年前のFLIXインタビューで彼が言っていた
「僕は、チャーミングにしていれば、見つからずに何でもやりたいことが出来るってことを早いうちに学んだんだ」
という言葉、最初読んだ時には「こ、こいつ…」と思ったものですが、もしかしてそれは「サバイバル」のため習得してしまったことかも知れない、と考えると、今は何だか胸痛む思いがします。
そういういろいろな思いを抱えつつ、現在ああいう人格でいられるヒュー・ジャックマンさんが、やっぱり私は好きですね。