観て来ました。面白かった!
ジョニー・デップって言うと、私にはやはり「ティム・バートンのお気に入り」、顔の綺麗な怪優という印象が強くて、このところのメジャー人気にはちょっとびっくり。
今回は彼の主演で、音楽はもちろんダニー・エルフマン。だから諸手を挙げて、「ティム・バートンが還って来た!」と讃えたい気分です。
但しこれに若干の含みがあることは後述します。
チャーリーのフレディ・ハイモアくんは、変な癖や嫌味がなくて可愛い。
ジョーおじいちゃんのデイヴィッド・ケリーって、『ウェイクアップ!ネッド』に出てた人じゃん!と驚いたり(マッパでヴェスパに乗ってた姿が忘れられない)、チャーリーのお父さんがノア・テイラーだ!と嬉しかったり(こちらは『シャイン』の若デイヴィッド・ヘルフゴッドが忘れ難い。当然?豪俳優。あれがジェフリー・ラッシュの役の青年時代だったことを思うと、ジョニー・デップとは不思議な縁があるとも言える)、ジェイムス・フォックスがこんな役で!?と驚かせたり、脇のキャスティングも充実しています。もちろん「特別出演」待遇のリー様も。
そのリー様演じる父親とワンカさんの確執と和解、という原作にない要素を付け加えたことについては賛否あるみたいだけど、私はティム・バートンがそこに拘泥していると言うより、それが或る種「お約束」の型で描かれていることから、そのことは彼にとって既に乗り越え得た問題なのだろうと思いました。
エンターテインメント作品の裏に、社会への悪意や毒や、「コミュニケーション不全」「愛の不可能性」等のテーマをナイフのように、または決して癒えない傷のように忍ばせていた、かつてのバートンも好きですが。
一方で、テーマパークのような工場内部や、そこにはいる前にからくり人形を燃やして見せるグロな描写からは、相変わらずディズニーへの愛憎半ばする気持ちが感じられもします。もっともそれは、こう言われることなど見越しての表現かも知れません。
どんな映画でも、彼の造形や映像はどこかアニメ的だと評されますが、これに関しても、「どうせそう言われるなら」と開き直ったようにも見えます。
そうして造り出された、相変わらず「趣味のいい悪趣味」(以前、バートン特集の映画雑誌で見かけた表現)にして「品位ある俗悪」な、ワンダー=ティム・バートン=ランドは、やはり魅力的です。
これは宮崎駿にも共通することですが、テーマや描写に於てはプライベート・フィルムと言っても良いような作品を、ちゃんと予算をかけて、メジャー配給に乗る「エンターテインメント」として提示できるのが、ティム・バートンの強みでしょう。一方で、それをも含めて、今回は何か自己批評的、悪く言えば自己模倣的なものも感じてしまいました。
それはジョニー・デップの演技についても言えることで、さすがに彼はバートンをよく理解していると思います。
「還って来た」と感じたことには、そういう側面もあったのです。だからと言って、この映画を否定する意図は毛頭ありません。バートンファンにも「ジョニデ」ファンにも、良い子の皆さんにもお奨めできる楽しい映画であることに変わりはないのですから。