前売りを買っていたのに、諸般の事情でなかなか観られなかった海賊映画『この世の果て』、上映終了間際にようやく行って来ました。時間の都合上、どうしても吹替え版しか観られませんでしたが……
今更なので、以下の感想はネタバレ有りで。
面白かったですよ。このシリーズについては、私はかなり点が甘い方だと思いますが、今回も3時間もの長丁場を飽きずに観られました。
『300』を観た時にも感じたことですが、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ以降のハリウッド超大作は、スターシステムに於いても方法論に於いても、何やら「大歌舞伎」に近づきつつある気がします。
細かいことや考証にはこだわらない疑似歴史ロマン。ビジュアル重視、怒濤の展開で押し切る力技。それらに徹した方が成功例が多いようにも感じます。
こういった「歌舞伎」性を、私は面白いと思いますが、映画にそんなものは求めない人にとっては「下らない」のひとことでしょう。
でも、どんな映画にもエンターテインメント「しか」求めない、またはそれと全く逆に、ジャンルムービーなどは全く評価しない、人間ドラマや繊細な心理描写「しか」求めない、というのは、それぞれ偏頗であり、勿体ないことだと思います。
どっちも「映画」だし、どっちも楽しめれば、それに越したことはないでしょう。
という訳で、今作も楽しかったです。
今回、誰が敵やら味方やら、人間関係がクルクル入れ替わるので判りにくい、という声も聞きますが、個々のキャラクターが、それぞれ自分自身の信念や行動原理に(のみ)忠実だというのは、これまでと変わりません。
死んだり生き返ったり(笑)、また表面上は裏切ったり裏切られたりしているように見えながらも、彼らはただ様々な局面で、その時ふさわしいと思われる行動を選択しているだけなのです。それぞれの思惑が有機的に絡み合いながら、やがてそれこそ大きな渦に呑み込まれて行くかのような構成を、私は面白いと思いました。
これまでも薄々感じていたことですが、このシリーズって意識的に「勧善懲悪ではないエンターテインメント大作」を作ろうしていますよね。
ひょっとして、登場人物の誰かを「正義の味方」や「王子様」の如く思い入れて観ている人ほど、いろいろ割り切れない気持ちになるんじゃないかという気がします。
中ではノリントンが残念と言うか気の毒でした。「亡者の箱」での活躍は何だったの?と思ってしまいます。元の地位に拘らず、彼もあのまま海賊の仲間に加わった方が寧ろ良かったんじゃないかな?
だって、一作目から出ている「間抜けな英国兵」コンビは、ちゃっかり仲間にはいって生き延びてるし(笑)。もしかしてエンデバー号乗組員で生存者って彼らだけかな?
スワン総督も、ジョナサン・プライスという名優の使われ方としては、三作通して勿体なかったですね。
そうは言っても、このシリーズのいろいろな意味での「したたかさ」が私は嫌いじゃありません。
気になる(そしてストーリーの根幹をなすべき)ウィルとエリザベスの恋も、このシリーズらしく一筋縄では行かない結末を迎え、あれはあれで良かったと思います。
そして、あの殺伐たる(笑)「結婚式」の立ち会いも、「ターナー夫人」のひとことを口にするのも、ジャックではなくバルボッサだというのは、とても正しい人選でした。
ちゃっかり甦った上に、主役はアナタですか?というくらい全編通して大活躍のキャプテン・バルボッサ。ご都合主義と言われればその通りな設定のあの役を、ちゃんと人間的な魅力を以て演じられるのはジェフリー・ラッシュ御大ならではですね。マンガチックに「見せる」部分と、深みある描写との配分が絶妙。ちょっとした表情のニュアンスもまた絶妙。
すべてのシーンをさらって行きながら、若い主役たちを引き立てもする堂々の座頭(ざがしら)演技で、やはりこのシリーズは彼によって支えられていたという思いを強くしました。
前作ではちょっと浮き気味だったジャックの存在や演技が、今回は安定して見えたのも、バルボッサ=ジェフリー御大あればこそ。ジョニー・デップ&ジェフリー・ラッシュという、やや「怪優」よりの芸達者お二人のケミストリーが見られただけで、私としては大満足です。
余談ですが、同じオーストラリアの「演技派」として知られるデイヴィッド・ウェナムの演技も、ジェフリー御大に近いものがあるなと、今回改めて思いました。特にこういうハリウッド大作の中での立ち位置と言うか、アンサンブルの中で何をどう見せるか、という方法論に於いて。
豪の舞台や映画で何度か共演したことのある彼らですが、ここは怪コメディ『Little Bit of Soul』をお奨めしておきましょう。日本では『悪魔大臣』というタイトルで、VHSビデオのみ出ていますが、まだ置いてあるレンタルもどこかにあるかも。
という訳で、結局はジェフリー・ラッシュ御大を絶賛して終わる海賊映画鑑賞記でした。