昨夜テレビ東京で放送された『美の巨人たち』で、岡本太郎と「太陽の塔」を取り上げていました。
歳がバレるけど、私は35年前の大阪万博に行っています。とは言ってもあまりに子どもだったので、殆どのことは忘れてしまっているのですが。
はっきり記憶していることの一つが、この時の会場でマクドナルドのハンバーガーが売られていたこと。日本にそれがはいったのは多分この時が最初だと思いますが(1号店が出来るより前)、一口食べて「ああ、アメリカの味だ!」と思いました。実は更に幼い頃、アメリカで生活していた時期もあったので。
(余談ですが、ミスドの香りを初めて嗅いだ時にも「ああ、アメリカの匂いだ」と思ったものです。食べ物の「味」や「香り」に関する記憶というのはなかなか薄れないということでしょうか。)
そして、万博でもう一つはっきり憶えているのが、この太陽の塔と、その中の展示、特に「生命の樹」でした。
やはり幼かったため、この時受けた強烈な感銘をどう説明していいか長いこと判らなかったのですが、後に全く別のところで、画家ゴーギャンの畢生の大作のタイトルを知った時に、ああ、あれはつまりこれだったんだ、と思い到りました。
『われわれはどこから来たのか われわれとは何か われわれはどこへ行くのか』
画家としてのゴーギャンが特に好きという訳ではありません。しかし、例えばSF小説などを読む時には(それほどSFに詳しい訳でもありませんが)、やはり「それ」を取り扱ったり描いたりしているものに弱いという傾向はあります。
そうか、原点は「太陽の塔」だったか…と改めて感じ入った次第です。
しかしながら、岡本太郎自身のことは「天才」とは思っていません。
「天才」と言うのはピカソや、それこそSF作家ではレムのような人たちを指す言葉で、彼らの初期作品を見たり読んだりすると、この年齢でこれだけ完成された技術を持っていたら、そりゃ「普通の」作品なんか作りたくなくなるだろうと思わずにはいられません。
しかし岡本太郎は、そのピカソや縄文文化、メキシコ芸術などを貪欲に自分の中に取り込み、更にそこから発信して行こうとした「努力の人」だったと思います。多くの人が感銘を受けるのは、彼のその闘いぶりだったのではないでしょうか。
岡本記念館にも一度は行きたいものです。実は距離的にはそれほど遠くないのに、クルマがないとやはり不便だという場所なので、なかなか行けずにいます。