4月5日は「近代外科学の父」と呼ばれるジョゼフ・リスター卿(初代リスター男爵)Lord Joseph Lister (1827-1912)の誕生日です。リスター卿は外科手術における「無菌操作」を行った19世紀最高の外科医の一人として知られ、「世界最古の学術団体」と云われるロンドン王立協会理事長を務めました。1902年には「ノーベル賞よりも難しい」とさえ云われる王立協会最高賞コプリー・メダル Copley Medalを受賞しています。19世紀から20世紀にかけて同時期に活躍したフランスのルイ・パスツール博士 Louis Pasteur、ドイツのロベルト・コッホ医師 Robert Kochと並び称される医学界の大偉人ですね。
創傷部位の消毒というのは現在では常識ですが、19世紀中頃にリスターが明らかにするまではその重要性が判ってはいませんでした。
おそらく医療人としてその必要性を初めて見出したのはハンガリー人産婦人科医のイグナーツ・ゼンメルヴェイス医師 Ignaz Semmelweisであったと思われます。彼は「死者から出る臭い」が手術道具を介して患者に伝わり産褥熱に至ると考えて、その臭いを落とすために塩素などを使って手術道具を前処理し、結果として消毒していました。そのおかげで多くの妊婦が産褥熱の脅威から救われたと云われます。この功績を称えて、今日ではゼンメルヴェイスは「母親たちの救い手 saviour of mothers」と呼ばれています。しかし、前述の通り、彼自身は消毒の科学的意義を明らかに出来ておらず、当時の医学界から彼の主張は受け入れられませんでした。
消毒の科学的意義が明らかになるには、ルイ・パスツール、ロベルト・コッホらによって微生物と伝染病との関係性が明らかにされるのを待たなければなりませんでした。とくに1861年にパスツールが「白鳥の首型フラスコ」を用いた有名な実験によって「生命の自然発生説」を覆したことが重要でした。
このパスツールの成果が、消毒法の開発に至る重要な示唆と着想を、当時、グラスゴー大学医学部教授を務めていたリスターに与えたようです。つまり、空気中には微生物が漂っていること、また手術器具や術者との接触などを介して、創傷部位に微生物が付着(感染)し、患者が術後に敗血症を呈するということにリスターは気付いたのです。そして、彼はフェノールを用いた術野の消毒と無菌操作の技術的開発に着手したのでした。これが近代医学史上のブレイクスルーとなり、その結果として外科手術の安全性が劇的に向上し、多くの患者の命が救われることになりました。
Joseph Lister. On the antiseptic principle in the practice of surgery. Lancet 1867:90;353–6. doi:10.1016/s0140-6736(02)51827-4
1867年にすでに刊行されていた医学ジャーナルThe Lancet(現在、このジャーナルは世界最高峰の臨床医学誌として知られています)に彼の論文が発表され、おそらくそれを目にしたウィリアム・ウィリス医師 William Willisを介して、明治初期の日本へ外科手術時における無菌操作の科学的重要性が伝わったと言われます。
このリスターの成果は医学界のみならず広く評価され、国内外の様々な栄誉を受賞することになりました。そして、リスター自身も外科医として引退した後、前述のようにロンドン王立協会理事長を務めたり、英国王エドワード7世の手術の相談を受けるなど多彩な活躍をしました。1891年にリスターらによって設立された医学研究所は、現在も「リスター予防医学研究所 Lister Institute of Preventive Medicine」として存続しており、医学研究機関として、また医学分野における研究助成団体として機能しています。
実は、私自身もかつてこのリスター研究所から奨学金を頂戴したことがあります。
現代を生きる我々は、もはや当たり前のように創傷部位を消毒し、その恩恵を受けています。しかし、その背景にはリスター卿をはじめ偉大な先達たちの努力があります。あらためてリスター卿に感謝したいと思います。
創傷部位の消毒というのは現在では常識ですが、19世紀中頃にリスターが明らかにするまではその重要性が判ってはいませんでした。
おそらく医療人としてその必要性を初めて見出したのはハンガリー人産婦人科医のイグナーツ・ゼンメルヴェイス医師 Ignaz Semmelweisであったと思われます。彼は「死者から出る臭い」が手術道具を介して患者に伝わり産褥熱に至ると考えて、その臭いを落とすために塩素などを使って手術道具を前処理し、結果として消毒していました。そのおかげで多くの妊婦が産褥熱の脅威から救われたと云われます。この功績を称えて、今日ではゼンメルヴェイスは「母親たちの救い手 saviour of mothers」と呼ばれています。しかし、前述の通り、彼自身は消毒の科学的意義を明らかに出来ておらず、当時の医学界から彼の主張は受け入れられませんでした。
消毒の科学的意義が明らかになるには、ルイ・パスツール、ロベルト・コッホらによって微生物と伝染病との関係性が明らかにされるのを待たなければなりませんでした。とくに1861年にパスツールが「白鳥の首型フラスコ」を用いた有名な実験によって「生命の自然発生説」を覆したことが重要でした。
このパスツールの成果が、消毒法の開発に至る重要な示唆と着想を、当時、グラスゴー大学医学部教授を務めていたリスターに与えたようです。つまり、空気中には微生物が漂っていること、また手術器具や術者との接触などを介して、創傷部位に微生物が付着(感染)し、患者が術後に敗血症を呈するということにリスターは気付いたのです。そして、彼はフェノールを用いた術野の消毒と無菌操作の技術的開発に着手したのでした。これが近代医学史上のブレイクスルーとなり、その結果として外科手術の安全性が劇的に向上し、多くの患者の命が救われることになりました。
Joseph Lister. On the antiseptic principle in the practice of surgery. Lancet 1867:90;353–6. doi:10.1016/s0140-6736(02)51827-4
1867年にすでに刊行されていた医学ジャーナルThe Lancet(現在、このジャーナルは世界最高峰の臨床医学誌として知られています)に彼の論文が発表され、おそらくそれを目にしたウィリアム・ウィリス医師 William Willisを介して、明治初期の日本へ外科手術時における無菌操作の科学的重要性が伝わったと言われます。
このリスターの成果は医学界のみならず広く評価され、国内外の様々な栄誉を受賞することになりました。そして、リスター自身も外科医として引退した後、前述のようにロンドン王立協会理事長を務めたり、英国王エドワード7世の手術の相談を受けるなど多彩な活躍をしました。1891年にリスターらによって設立された医学研究所は、現在も「リスター予防医学研究所 Lister Institute of Preventive Medicine」として存続しており、医学研究機関として、また医学分野における研究助成団体として機能しています。
実は、私自身もかつてこのリスター研究所から奨学金を頂戴したことがあります。
現代を生きる我々は、もはや当たり前のように創傷部位を消毒し、その恩恵を受けています。しかし、その背景にはリスター卿をはじめ偉大な先達たちの努力があります。あらためてリスター卿に感謝したいと思います。