久しぶりに「査読(peer review)」を依頼されたので引き受けることにしました。
渡英してからは初めてです。以前に私の論文を掲載してくれた医学誌からの依頼でしたので、正直申し上げれば若干面倒ではありますが、浅学非才の身の上と知りながら査読者になることにしました。インパクトファクターはそれほど高くはありませんが、歴史と伝統のある医学誌ですので、かなりの時間と労力を割いて、しっかり査読する必要があります。
査読は、研究者にとっては馴染み深いものですが、一般の人々はよく判らないものだと思います。
我々研究者は、研究者としての存在意義をかけて、自分たちの論文を学術誌に投稿します。しかし、そのようにして寄せられた論文全てが学術誌に掲載されるわけではありません。掲載前に論文の内容が科学的に妥当であるかどうか、学術的に価値があるかどうか、ミスがないかどうか、それらを様々な観点から同業の研究者たちが評価して、その評価をもとに編集者が論文の採否を決めます。したがって、一般的には、評価が高い論文ほど有名な学術誌いわゆるトップジャーナルにすぐに掲載され、それほど評価が高くなくても重要な論文は中堅の学術誌に紆余曲折を経て掲載され、評価が低い論文はどこにも掲載されないあるいは名も知れない学術誌になんとか掲載ということになります。このような同業の研究者による掲載前の評価システムを査読と言います。
この査読という作業は、ほぼ完全に研究者たちの良心に委ねられており、つまりはただのボランティアです。どれだけ一生懸命に時間をかけて行ったとしても、基本的に、謝礼などはもらえません。作業後に編集者から「ありがとう」というメールを頂戴するだけです。
それではどうしてそのような奉仕活動をするのかというと、「自分の論文も誰かが査読してくれるから」という一点に尽きると思います。私もこれまでに筆頭著者として書いてきた論文は、15報が既に世に出ていて、1報が採択されて印刷待ちであり、3報が査読中で、1報が投稿する直前の状態です。おそらく多数の査読者の方々にこれまでお世話になってきたはずであり、これからもそうなるでしょう。だから、私もまた、誰かの論文のお世話をするのは当然というべきです。
とはいえ、正直言って、やはり楽しい作業ではありません。自分の研究と関連した分野の論文について査読を依頼されるのが一般的ですが、それでも読みたい論文ばかりではありませんから。査読も勉強の一環と言いたいところですが、自分自身も論文を投稿する直前の最終調整段階なので気忙しいところです。さっさと作業して、出来るだけ早く、査読評価を編集部にお送りしたいと思います。
振り返ると、英国にいても、日本にいても、やっていることはあまり変わらないのかもしれません。
たしかに臨床はしなくなりましたが、研究活動自体は世界のどこにいても大体同じです。実験をして、論文を書いて、査読して……
街中で救急車を見かけるたびに、ちょっと「ドキッ」として、医療従事者の血が騒ぎますが、英国での免許がなくて何もできない自分がいます。
医療人として必要とされないのは、やはり、寂しいものです
渡英してからは初めてです。以前に私の論文を掲載してくれた医学誌からの依頼でしたので、正直申し上げれば若干面倒ではありますが、浅学非才の身の上と知りながら査読者になることにしました。インパクトファクターはそれほど高くはありませんが、歴史と伝統のある医学誌ですので、かなりの時間と労力を割いて、しっかり査読する必要があります。
査読は、研究者にとっては馴染み深いものですが、一般の人々はよく判らないものだと思います。
我々研究者は、研究者としての存在意義をかけて、自分たちの論文を学術誌に投稿します。しかし、そのようにして寄せられた論文全てが学術誌に掲載されるわけではありません。掲載前に論文の内容が科学的に妥当であるかどうか、学術的に価値があるかどうか、ミスがないかどうか、それらを様々な観点から同業の研究者たちが評価して、その評価をもとに編集者が論文の採否を決めます。したがって、一般的には、評価が高い論文ほど有名な学術誌いわゆるトップジャーナルにすぐに掲載され、それほど評価が高くなくても重要な論文は中堅の学術誌に紆余曲折を経て掲載され、評価が低い論文はどこにも掲載されないあるいは名も知れない学術誌になんとか掲載ということになります。このような同業の研究者による掲載前の評価システムを査読と言います。
この査読という作業は、ほぼ完全に研究者たちの良心に委ねられており、つまりはただのボランティアです。どれだけ一生懸命に時間をかけて行ったとしても、基本的に、謝礼などはもらえません。作業後に編集者から「ありがとう」というメールを頂戴するだけです。
それではどうしてそのような奉仕活動をするのかというと、「自分の論文も誰かが査読してくれるから」という一点に尽きると思います。私もこれまでに筆頭著者として書いてきた論文は、15報が既に世に出ていて、1報が採択されて印刷待ちであり、3報が査読中で、1報が投稿する直前の状態です。おそらく多数の査読者の方々にこれまでお世話になってきたはずであり、これからもそうなるでしょう。だから、私もまた、誰かの論文のお世話をするのは当然というべきです。
とはいえ、正直言って、やはり楽しい作業ではありません。自分の研究と関連した分野の論文について査読を依頼されるのが一般的ですが、それでも読みたい論文ばかりではありませんから。査読も勉強の一環と言いたいところですが、自分自身も論文を投稿する直前の最終調整段階なので気忙しいところです。さっさと作業して、出来るだけ早く、査読評価を編集部にお送りしたいと思います。
振り返ると、英国にいても、日本にいても、やっていることはあまり変わらないのかもしれません。
たしかに臨床はしなくなりましたが、研究活動自体は世界のどこにいても大体同じです。実験をして、論文を書いて、査読して……
街中で救急車を見かけるたびに、ちょっと「ドキッ」として、医療従事者の血が騒ぎますが、英国での免許がなくて何もできない自分がいます。
医療人として必要とされないのは、やはり、寂しいものです
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