父が譲らなかったことつながりで思い出したこと。
これもまた数十年前のこと。
私が小学校低学年ぐらいのころ、我が家には当時でも少なくなっていた豆炭炬燵があった。
冬になると母が毎日豆炭に火をおこして、謎な器具に入れて炬燵に入れていた。
その謎な器具は中に綿のようなものが貼り付けて?あって、その間に火のついた豆炭を挟むようになっていたのだが
その綿のようなものはグラスファイバーなのだという。
石綿の方が値段は安いのだが、石綿はガンになるから駄目だと父が許さないのだ、と母が言っていた。
それから数十年経って、数年前に労災などでアスベストの問題が騒ぎになったのだが
正直「今更?」と思った。
父は建築ではなく土木の人なので、仕事で建材としてアスベストを使うようなことはなかったと思う。
どこかで文献なりなんなりに触れて、石綿(アスベスト)は使うべきではないと判断したということで
そう判断するだけの情報は何十年も前にあったはずなのに、と。
そこまで考えて、逆なんだと思った。
あまり注目されないような情報に触れて、父が警戒していたということだろう。
他人が大丈夫だと言っても、自分の検証なしに丸呑みで信用することはしない人ではあるので
そう考える方が妥当な気がする。
これもまた数十年前のこと。
私が小学校低学年ぐらいのころ、我が家には当時でも少なくなっていた豆炭炬燵があった。
冬になると母が毎日豆炭に火をおこして、謎な器具に入れて炬燵に入れていた。
その謎な器具は中に綿のようなものが貼り付けて?あって、その間に火のついた豆炭を挟むようになっていたのだが
その綿のようなものはグラスファイバーなのだという。
石綿の方が値段は安いのだが、石綿はガンになるから駄目だと父が許さないのだ、と母が言っていた。
それから数十年経って、数年前に労災などでアスベストの問題が騒ぎになったのだが
正直「今更?」と思った。
父は建築ではなく土木の人なので、仕事で建材としてアスベストを使うようなことはなかったと思う。
どこかで文献なりなんなりに触れて、石綿(アスベスト)は使うべきではないと判断したということで
そう判断するだけの情報は何十年も前にあったはずなのに、と。
そこまで考えて、逆なんだと思った。
あまり注目されないような情報に触れて、父が警戒していたということだろう。
他人が大丈夫だと言っても、自分の検証なしに丸呑みで信用することはしない人ではあるので
そう考える方が妥当な気がする。