心の自由

被曝を最小限にして命を繋ごう!

放射線実験恐怖体験記

2012年04月14日 | 日記
放射線実験恐怖体験記   2011年03月30日の日記(再掲載)

大学四年の時、放射線を使った実験を、 初めて入る、
通常の研究室と隔離された、黄色に黒のマークがついた、
<放射線(専用)実験室>でやることになった。

ストマイに放射線でマーカー(目印?)をつけて、 <ストレプトマイシン(抗生物質)について書かれた、米国の論文>を検証することになった。
<どういう条件で、ストマイの何処の箇所で吸着するか否か> を調べた。

卒論で私を指導する(私淑する)山岸三郎教授 ※は、多忙を極めていた。
教授の代わりということで、○○助手と一緒に実験することになった。
助手は、初めての、ものものしい、隔離された、遠くの実験室に私を案内した。
私を残して、何故かあっという間に、頑丈な扉を閉めて帰っていった。

付き添ってくれると思っていたので、突然の事態にうろたえ、混乱する私。
「何故初めての放射線実験で一人なんだ、何が起こったのか?」の言葉が頭を駆け巡り、 足はがくがく、心は震え、頭は恐怖でパニックになった。
  
血気盛んな頃だったから、逃げ出したい恐怖を抑えて、
かろうじて踏みとどまり、震えながら、両足を広げて踏ん張り、
深呼吸をしながら、やっとのことで実験を終了。
当時の詳細は全て、所要時間さえ、記憶からぶっとんだ。

当時、誰にも話したことは、多分ない。それすらも判らない。
胸の奥深くにしまわれていたようだ。
緘口令とかでなく、恐怖からの防衛反応かも知れない。
稀に頭の片隅でぼんやり思い出すことがある、という感じ。

※ http://ci.nii.ac.jp/els/110003648242.pdf?id=ART0004169845&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1308408204&cp=

福島原発での三人の方の被爆事故で、昔の体験が強く引き出された。
私の恐怖体験の地に近い、放医研に入院した三人を、

  「神様、どうか、三人の命を助けて下さい」
   と、日本中で祈るしか、すべはなかった。
   私も祈り続けた。

ご無事で退院されて、本当に良かった。
(これからも後遺症の心配が、案じられるが。)

あの、三人の被爆事故は人災だ。
「専門家が同席して、放射線測定や指導をしたら防げた」と、素人として考える。
私は、この放射線実験恐怖体験(放射線が見えない、無知でわからない、初めて)を味わったからこそ、彼らの苦悩を想像することが出来た。
今は、恐怖体験が出来て良かったと思う。


追加)
 日記を書いてから、学部の同級生4人に読んで貰った。
 皆「一人での放射線実験はしなかった」との事だった。
 私の放射線実験は、後にも先にもこれ一回限りだった。
 恐怖の中身を、誰にも理解(共感)して貰えず、残念であった。