「港町・寺の町・文学の町は 心のふるさと」のつづき……
「海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海へさしかかかると、煤けた小さい町の屋根が提火のように、拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ、緑色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。…」(小説家、林芙美子『放浪記』の有名な一節)
おのみち林芙美子記念館(一番街商店街、藤原茶舗)…作家、林芙美子が少女期に暮らしていた旧居を保存している施設。直筆原稿や書簡、関連書籍・着物など、貴重な作品も展示してあります。
尾道商業会議所記念館(尾道本通り商店街)…1923(大正12)年10月に建設。外観は洋風建築様式の大正ロマンただようこの建物は、商業会議所として建築された鉄筋コンクリート造り(地上3階、塔屋、高さ17.76m、延床面積445.39㎡)の建築物として、現存する日本最古のものです。2004(平成16)年に尾道市重要文化財に指定されています。
林芙美子と尾道商業会議所……林芙美子は、1930(昭和5)7月、改造社から発行された「放浪記」が、約10万部のベストセラーとなり、一躍、文壇に名をだした。翌1931(昭和6)年4月28日に当時文壇で名がではじめた「新興文学の雄」井伏鱒二(福山出身)を林芙美子がおがみたおして、二人の講演会がこの場所で開催された。井伏鱒二は、「チェホフを語る」と題して約10分余り話しをした。その後を受けたあらたまった話しの得意でない林芙美子は、自作の詩5篇を朗読したが、余りにも時間が余ってしまった。そこへ、天の助けか、当時人気の作家横山美智子が、尾道商業会議所を訪れた。横山美智子は尾道出身である。当時、朝日新聞社が、1万円の懸賞付きで募集した連載小説に入選して一躍有名になっていた。その日、偶然にも尾道駅に降り立った横山美智子は、雨に濡れる電信柱の講演会チラシを見て会場にはせつけてきたのだった。横山美智子は、「人生と芸術」と題して1時間半も話しをしてくれ、彼女の突然の訪問で講演会が甦り無事終了したのだった。当初、林芙美子が恩師の今井篤三郎先生に母校(尾道女学校)の講堂を借りるよう依頼していたが、許可が得られず、先生や同級生の骨折りで当時新築間のない尾道商業会議所が会場となった。(同館内の資料より)
尾道商業会議所で使用されていた金庫(当館蔵)…大正~昭和時代初期に製造(かって尾道市の中浜通りにあった度量衡金庫製造販売の株式会社美濃貞本店)されたもので、ダイヤルが数字でなくイロハとなっているのが珍しい。(当館内の展示資料より)
尾道本通り商店街から南北に、うず潮小路、石畳小路、浮御堂小路、築出小路、浜の小路などの魅力的な路地が伸びています。
自家焙煎「尾道浪漫珈琲 本店」(尾道本通り)では、美味しいコーヒーを飲みながら、楽しい旅のひとときを過ごすことができました。