世界文化遺産・国宝「姫路城」…(つづき)
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大名行列の道具…
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鞍覆(くらおおい)…参勤交代では、藩主が乗る馬や将軍から下賜された馬を牽いていきます。鞍にかける覆いの素材として虎皮が使用できる大名家は古い由緒があったり、格式の高い家に限られました。酒井家(江戸時代の最後の姫路藩主)は参勤交代では虎皮を使いませんが、将軍名代で上洛した時には使用しました。
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西の丸 百軒廊下…千姫ゆかりの西の丸 櫓群(やぐらぐん)
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ワの櫓から化粧櫓まで240m。とても長い廊下が続いているこの長屋群を「百間廊下」と呼んでいます。2階建ての櫓と櫓の間は、渡櫓(わたりやぐら)と呼ばれる長屋で結ばれており、別名 多門櫓(たもんやぐら)とも呼ばれています。❝天守の無い城はあっても、多門櫓の無い城は無い❞といえるほど、江戸時代の城郭に不可欠な建物です。倉庫にも住居にも、さらに防御施設として機能する上、構造も単純で解体して移築することも容易でした。「百間廊下」も場所によって構造に違いがあります。西の丸に本多忠刻(ほんだ ただとき)の御殿があった時期、局(つぼね)として使用されたのはヨの渡櫓から北側の長屋と考えられます。
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『千姫物語』
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徳川家康の孫娘千姫は、7歳で大阪城の豊臣秀頼のもとへ輿入れしました。しかし、秀吉死去の後、大阪夏の陣で夫・秀頼は自害し、豊臣家は滅亡。千姫は燃えさかる炎の中から助け出されました。江戸城へ帰る道中、警護にあたっていた本多忠政の息子・忠刻と再婚。千姫20歳、忠刻21歳。千姫の化粧料(持参金)10万石で、姫路城三の丸には武蔵野御殿と呼ばれる千姫の屋敷が建てられたといわれ、城内の池泉回遊式庭園や高砂沖に船を浮かべ、仲良く連歌を楽しんだとの話も。勝姫と幸千代の一男一女にも恵まれ「千姫は、夫・忠刻と暮らした姫路城での生活(10年間)が生涯で一番幸せだった」と今でも語られています。しかし、長男・幸千代が3歳のとき病で亡くなり、5年後には、夫・忠刻も31歳の若さで病に倒れます。江戸へ帰った千姫は、髪をおろして「天樹院(てんじゅいん)」と号し、夫や息子を想いながら竹橋御殿で余生を送り、70年の生涯を閉じました。
(参考:世界文化遺産・国宝「姫路城」案内資料より)
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姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」…世界文化遺産・国宝「姫路城」を借景に、姫路市制百周年を記念して造営され、平成4年に開園した池泉回遊式の日本庭園です。
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昭和60年以来の発掘調査で確認された西御屋敷跡・武家屋敷跡・通路跡などの地割りを活かした九つの趣の異なった庭園群で構成され、その面積は約10,000坪(3.5ha)有ります。
「好古園」の愛称は、江戸時代の最後の姫路藩主酒井家によって、この庭園の入口付近に移設され、文武両道の振興を図った藩校「好古堂」に因んでいます。
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(参考:姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」案内資料より)
好古園内の「レストラン 活水園」で庭園を眺めながら食事しました。
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わんぱく坊や(神戸)へのお土産は二種類としました。
甘音屋 姫路駅北店(姫路市白銀町)…冷しみたらし「せせらぎ」お土産に選びました…又、お店には色とりどりの愛らしい球体の最中「球体最中笑美玉」などの和菓子もあります。
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鶏卵饅頭 一色堂(姫路市南町・山陽百貨店B1F)…行列覚悟の順番待ちで「鶏卵饅頭」を何とか買い求めることができました。
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今回は「姫路城」散策の日帰り予定のために、わんぱく坊や(神戸)へは、顔見せだけとし、お土産を渡して新神戸駅から新幹線で広島へ帰ってきました。
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最後まで、ご覧いただきありがとうございました。