いつごろの敬老の日(老人の日と言ったかな?)だったか定かでないが、まだ子供が小さかった頃、同居していた我が母親と
“敬老の日”だからと称して、子供を連れ家族で近くの中華料理の店に食事をしに行ったのを覚えている。
私ども夫婦が若かった当時、そう昭和の高度成長期の黎明期の頃だ。
質素な食事が当たり前で、働いていたかみさん(当時はかみさんなんて言ってなかった)も、毎日帰宅後食事を作っていて、家族で白黒テレビを見ながらの夕ご飯だった。
外食なんてその当時は、たぁ~まの休日にデパートの食堂街に子供を連れてハンバーグライスを食べるぐらいだった。
何処の家庭でも同じようだった。コンビニなんか無かった。
八百屋の、肉屋の、乾物屋などのおじさん・おばさんが、その日のお得な食材を教えてくれ、質素ながら今では贅沢な旬モノで、全てハンドメイドのおかずが食卓を飾っていた。
そんな当時の敬老の日に行った中華料理の店での“豪華な食事”が敬老の日の想いでだ。
それ以外の敬老の日の行事は覚えていない。
昭和の高度成長期、とか、失われた20年とか、、、時代は流れた。
得たモノ、失ったモノ。いろいろだ。
そんな敬老の日、
いつの間にか、我々夫婦がその対象になってしまう時代に入った。
だからと言って、格別何か変わったことをやる予定はない。
昨夜沖縄を大型台風16号が過ぎ去った(我が家でも雨音がうるさかった)。今朝は快晴。
息子は今日明日と伊豆の海に潜りに行くという。
そう、敬老の日は休日だった。
時代は変わっても、若者は連休を楽しむ日なのだ。
“敬老の日”だからと称して、子供を連れ家族で近くの中華料理の店に食事をしに行ったのを覚えている。
私ども夫婦が若かった当時、そう昭和の高度成長期の黎明期の頃だ。
質素な食事が当たり前で、働いていたかみさん(当時はかみさんなんて言ってなかった)も、毎日帰宅後食事を作っていて、家族で白黒テレビを見ながらの夕ご飯だった。
外食なんてその当時は、たぁ~まの休日にデパートの食堂街に子供を連れてハンバーグライスを食べるぐらいだった。
何処の家庭でも同じようだった。コンビニなんか無かった。
八百屋の、肉屋の、乾物屋などのおじさん・おばさんが、その日のお得な食材を教えてくれ、質素ながら今では贅沢な旬モノで、全てハンドメイドのおかずが食卓を飾っていた。
そんな当時の敬老の日に行った中華料理の店での“豪華な食事”が敬老の日の想いでだ。
それ以外の敬老の日の行事は覚えていない。
昭和の高度成長期、とか、失われた20年とか、、、時代は流れた。
得たモノ、失ったモノ。いろいろだ。
そんな敬老の日、
いつの間にか、我々夫婦がその対象になってしまう時代に入った。
だからと言って、格別何か変わったことをやる予定はない。
昨夜沖縄を大型台風16号が過ぎ去った(我が家でも雨音がうるさかった)。今朝は快晴。
息子は今日明日と伊豆の海に潜りに行くという。
そう、敬老の日は休日だった。
時代は変わっても、若者は連休を楽しむ日なのだ。
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