毎年、この時期は何処へも出掛けない。人通りも車の通りも無くなる“静かな自宅”に居る。TVも見ないので世の中の喧騒は入ってこない。新聞も緊張した雰囲気はなく持ち合わせの記事とかお盆の陳腐な記事を載せているだけ。世の中の動きは早朝のインターネットでざっと見て“静かな自宅”に居る。
そんな朝、庭と道路に水を蒔くのをこのところの日課にしている。朝錬はお休みしている。日中は今年ソロウクレレ特訓に割いている。
猛暑が続くこのところ確かに感じる年ごとに夏の酷暑。四季の日本から、日本は亜熱帯地域に入っていったのだろうか、と。
思い出す。数年前、暑い夏、白馬村で地元の友人と笑い話をした。そのうち白馬村の“米”が美味くなる。なにせ“米”は亜熱帯植物だかね。「スキーの白馬」も昔話になるかも、、、、。と。
東京も4~5十年前に比べると蒸し暑さの度合いが高まったような実感がある。
科学的環境的データ分析はそのスジに任せるが、“静かな自宅”に居ても感じる猛暑の実感である。
そんな暑さの最中、旅先か、お盆での帰省からか知らないがここ数日大きな旅行鞄を“ごろごろ”させている音がやたら耳に入ってくる。
お盆休みも終わり、またいつもの生活が始まるのを感じさせる“ごろごろ”音だ。
今朝もアブラゼミがガンガン鳴いている猛暑はまだまだ続く。
そんな朝、庭と道路に水を蒔くのをこのところの日課にしている。朝錬はお休みしている。日中は今年ソロウクレレ特訓に割いている。
猛暑が続くこのところ確かに感じる年ごとに夏の酷暑。四季の日本から、日本は亜熱帯地域に入っていったのだろうか、と。
思い出す。数年前、暑い夏、白馬村で地元の友人と笑い話をした。そのうち白馬村の“米”が美味くなる。なにせ“米”は亜熱帯植物だかね。「スキーの白馬」も昔話になるかも、、、、。と。
東京も4~5十年前に比べると蒸し暑さの度合いが高まったような実感がある。
科学的環境的データ分析はそのスジに任せるが、“静かな自宅”に居ても感じる猛暑の実感である。
そんな暑さの最中、旅先か、お盆での帰省からか知らないがここ数日大きな旅行鞄を“ごろごろ”させている音がやたら耳に入ってくる。
お盆休みも終わり、またいつもの生活が始まるのを感じさせる“ごろごろ”音だ。
今朝もアブラゼミがガンガン鳴いている猛暑はまだまだ続く。
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