フランスの大統領も来ないというのだから、安倍晋三の国葬じゃなくてこっちの国葬にした方が良くないか?
戦前・戦中・戦後の落語界を知っている生き証人が亡くなって、こっちの方が国葬級だと思うのだが、この際、安倍晋三の国葬の最中に三遊亭金翁と途中で祭壇の写真を入れ替えた方が記憶に残る国葬になるんじゃないのかねえ?冗談はともかくしてフランスの大統領が来ないという現実は相当重いと思う。
内政上の事情というのは表向きでフランスではカルト扱いの「統一教会」と安倍晋三との関係を嫌がって、正式なフランスの大統領が安倍晋三の国葬に参加するのはマズいという判断によるもので来ないのではないかねえ?どうかするとアメリカも政府高官の参加と言いながら最終的には駐日大使の参列で終わったりするかもしれない。海外の要人がほとんど参加しないという国葬になったら自民党は面子丸潰れだろうなあ。
格差だけの問題じゃ済まなくなると思う。いずれ「月収20万円未満」でも引き受け手がいた仕事から人が消えたら都市インフラが成り立たなくなると思う。それこそ金持ちだけが住むような街と貧乏人が住むスラム街とで別れたとしても、金持ちが住む街のインフラを担う人材が枯渇して、そっちも成り立たなくなるだろうなあ。まあ、こういう事を書くと「ロボットがやればいい」というお花畑脳の人が出て来るだろうが、世の中はまだそれが実現できるほど技術の進歩が追い付いていないし、仮にそういう社会ができても、そのロボットに燃料を補給する低賃金労働を誰がやるのかねえ?
しかしコロナは本当に相手を選ばない。金持ちだろうが貧乏人だろうが感染するわけで、不動産業をやっている人は相当大変だろうなあ。それこそ今回の感染拡大で自分が貸している物件がコロナで事故物件になった人も結構いるんじゃないだろうか。ここまで医療体制が逼迫すると金があっても医療が受けられない人もいるだろうし。しかも頭の悪い奴が反ワクチンとか言っているのは教育に「格差」があるからそうなるんじゃないのかねえ?そういうヤツからの感染は金持ちでも避けられないだろうし社会構造全体の変革を考えるべき時に来ているんじゃないのかねえ?
文化の停滞を言うのなら、多様性の無くなった音楽産業の構造に問題があるんじゃないのかねえ?一人が流行ると業界全体がそれを真似させるシステムにメスを入れないと意味が無いと思う。歌い出しが早くないと駄目とか、ギターソロは入れないとか、やっていたら古い音楽で今まで聴かなかったのを引っ張り出した方が面白いだろうし、若手に変な縛りをつけるから文化が停滞するんじゃないのかねえ?
という事で、また明日。